混じり合う日溜まりの中で


 足早に、誰にも見られないように特別教室棟を歩く。放課後のこの時間は部活の生徒が多くいるから、歩いているのは三階の廊下だ。
 視聴覚室とOAルームしかないこの階を使うのは、演劇部ぐらいだ。その演劇部も、今は卒業生の送別会の練習で、特別教室棟から離れた講堂で活動している。だから、三階には誰もいない……はずだ。いたところでおれは影を薄くするのが得意なので、たぶん問題ない。
 校舎の外を通るのも一つだけれど、教室棟に残っている生徒に姿を見られてしまうかもしれないから、おれはあまり通らない。
 おれがどこへ向かっているかといえば、特別教室棟の北に在る特別棟だ。特別棟へ向かう姿は、どうあっても見られる訳にはいかない。
 というのも特別棟にはここ、周(あまね)学園を統べたる生徒会――天官府の拠点である生徒会室と、校内の取り締まり及び刑罰を一手に担う風紀委員会――夏官府と秋官府の部屋、更には学園の王とも言える理事長の執務室があるからだ。夏官府と秋官府は二階で、天官府と理事長室は三階に在る。
 理事長から校内統治の権限を貰っている生徒会と風紀は兎に角美形ぞろいで、生徒には狂信的なファンが多い。周は辺鄙なところに建てられた初等部からの全寮制男子校だから(初等部は希望者だけ寮だけども)、見目の良い生徒や教職員に潤いを求めるんだ。恋愛感情なんてのも、芽生えてしまったりする。
 女子部もあるにはあるんだけど、男子部とは離れた場所だから交流なんて皆無に等しい。
 ……で、そんな大人気な人達の拠点に入る姿なんて見られたのじゃあ、平凡なおれは、親衛隊にひどいめにあわされてしまうのだ。夏官府の近衛軍がそれとなく助けてくれるだろうが、彼らは本来人気のある生徒を影から護衛するための組織なので、それまでバレちゃあ、目も当てられない状況になること間違いなしだ。
 『何でお前なんかが』――ってやつだな。男の嫉妬ってこわい。
 なにやら話がそれたので、もとにもどそう。
 周高等部権力図の最底辺に位置する一般生徒のおれが、何故特別棟へ向かっているのかと言うと、

(あ……)

 三階と二階のあいだ、階段の踊り場に差し掛かったところで、窓の外に見慣れた姿を発見した。特別棟西方の庭にあるベンチにすらりとした、細身だが華奢ではない体を投げ出して爆睡している、きれいな生徒。

(前髪、右だけ金髪になってら……)

 この間までは銀、でも銀糸なんてもんじゃなく絵の具の銀みたいな色だったような気がするんだけれども。今は右前髪以外は黒になってる。

「……新治(にいはり)」

 ぽつり、彼の苗字を呟いた。
 ――新治彩人(あやと)。おれと同じ一年で、F組の裏リーダーなどと噂されている、綺麗な顔をした男だ。Fなだけあって、不良っぽいというか、V系っぽいというか。
 Fは学力最低のクラスだから、特にA組とかの連中はFを見下すのだけれど、新治はあの顔の造作だから、それでもファンが多い。親衛隊こそないにせよ。いや、親衛隊なんて不正規の組織は無い方が平和だと思うけど。
 最近は新治は物憂げで、寂し気で、その儚さにじむ表情も人気の一因となっている。
 ……おれも、多分新治のファンの一人になるんだろう。
 見慣れた姿といっても一方的なもので、新治はおれのことなんて存在自体知らないはずだ。
 新治を初めて見たのは、中等部のときだった。あの時もやっぱり、こうして踊り場の窓から熟睡中の新治を見つけたんだ。春陽のなかで寝ている彼が、とてもきれいで、まぼろしかと思ったのを覚えている。
 そしてそのとき、新治の髪はちょっと引くくらい青かった。黒髪に見えるとかいうもんじゃない。あれは、バリバリ原色の真っ青も真っ青、とにかくブルーだった。なんていうの、蛍光色のケーキを見てしまった時と似たような衝撃を、おれはおぼえたのだった。
 中一の、まだちょっとは純だったおれには、あんな原色の髪の色は衝撃的過ぎた。しかもそれが初等部過程を終えたばかりの同級生だと知って、更に驚いた。
 ……それからだ。そのあまりの衝撃から、いや違った、あのまぼろしみたいな姿が忘れられなくて、おれは無意識に新治の姿を探すようになった。近頃は、新治があまり人前に姿を現さないこともわかっているので、見れたらラッキー、みたいな感覚だけれど。
 新治の姿を、四年近くものあいだ、飽きもせず探しているのは、おれがあいつをすきだからだ。
 本当は話しかけてみたいけど、仲良くなりたいけど、そうもいかない。おれ、美形ならよかったのに……。
 新治はおれを知らないけれど、おれは新治の隠された一面を知っている。あいつはあれで日溜まり好きで、ひなたぼっこ中の猫はもっと好きで、いがいに甘いものが好きということ。
 ……あれおれなんかストーカーっぽくね?
 い、いやこれは違う、だいたい四年のあいだ新治を見てたら、あいつが猫好きお菓子好きって気付いただけで、

「……」

 新治からしたら存在も知らないような奴が隠してる(っぽい)嗜好を知ってたらキモイことにかわりは、ないよなー。
 うう地味に凹んだ。
 ていうかお菓子好きっていうのは、この間今寝てるとこと同じベンチで自棄食いみたいにマフィンだのドーナツだのを膝を抱えながらいっぱい食べてたからそうなのかなと思っただけなんだけど。

「あれ、そう言えば何で新治、特別棟のほうにいるんだろ」

 普通、生徒は親衛隊による制裁を恐れて特別棟には近寄らない。Fは制裁なんて恐くないって奴が多いけど、そもそも上位クラスや天夏秋を嫌ってるので、まず来ない。
 何で新治、Fなのに平気な顔して特別棟のそばで寝てるんだろ。
 ……人が来ないからかな。

「辻本夕陽(つじもとゆうひ)」
「あ、びっくりした。司(つかさ)先輩じゃないですか」
「まったく驚いてないように見えるがな」

 新治は人付き合いが(というか騒がれるのが)煩わしいようだから、殆ど人が来ないあそこを選んだのだろうとまで思い至った時、二階の階段真ん中あたりから声をかけられた。
 おどろいて振り向くと、二年の水野司先輩がこっちへ来るところだった。この人と話してるところなんて見られようものなら、俺は明日には山に埋まってるかもしれない。
 司先輩はただでさえ美形なのに、高等部御三家のうちのひとりなのだ。羨望や憧憬が、会長ほどではないとは言え半端ない。

「3Mの司先輩には言われたくないですけど」
「こいつ、夕陽……」

 水野司は無表情・無感動・無感情の3Mだ。……と、一般には言われている。
 おれや生徒会、風紀はそれがまったくの間違いで、先輩が本当は面倒見よくてちょっとお節介焼きだと知っている。だから3Mだと冗談まじりにいえるのだ。俺の隣に来た先輩はそれを、苦笑一つで受け流してしまう。

「ていうか、こんなところで何してるんですか?」
「おまえが、何をしているんだ。秋官府に来いと言っただろう。来ないから探してたんだ」

 秋官府。特別棟にある風紀室の一室のことだ。
 風紀委員は役目の性質上、二つに分かれている。ひとつが校内見回りや取り締まりなどを担当する夏官府こと、風紀機動隊。リーダーの大司馬は風紀副委員長の遊馬(あすま)先輩だが、遊馬先輩は生徒会会計に選ばれてしまったので、実質小司馬――機動隊副隊長である三井が、今は夏官を纏めている。
 そしてもう一つが、司先輩が長官――大司寇を務める、秋官府こと風紀刑部だ。こちらは夏官が捕らえた生徒を裁き罰を与えるといった刑罰担当となっている。
 金を積めば何とかなると思っている輩の多いこの学校で、遠慮なく裁きを下せる数少ない存在が御三家だ。だから秋官長が司先輩なんだろう。
 そんな凄い人と、中の下クラスD組のなかでも目立たない凡庸な俺が親し気に話している理由といえば、新治を見つけたことで中断した思考の先にある。

「いま、向かってますよ」
「嘘つくな。完璧に足が止まってたろ。呼び出されたことさえ忘れてたろう、お前……」
「忘れてはなかったです。えーと、その、ちょっと。……ああ、いい天気だなーって和んでただけです」
「俺の子飼いのくせに、下手な言い訳をするんじゃない。俺はそんな低能に育てた覚えはないぞ」

 何を隠そう、俺は中二のころ司先輩に目を付けられて、秋官府の密偵として育て上げられたのだ。秋官府の、というより司先輩が個人的に使ってるって感じだけど。
 なんでも、キングオブ平凡な目立たなさと存在感の薄さが、諜報活動には丁度いいのだとか。誉めてんのか、貶してんのか、どっちなんだ。確かにDのなかでも特に成績がいいでもなく、逆に悪いでもない、狙ったかのよーにど真中だけどさ! 普通に勉強してこれなんだよ!
 容姿だって普通だし! 目立たないし!
 ……や、そのおかげで平穏だからいいんだけどさー。夕陽さん、ちょっと、複雑。よしおれキモイ。やめよう。
 おれみたいに、各幹部が拾って密偵にしているのは他にもいるようだ。風紀の幹部以外の陣容が割れてないのは、きっとどの幹部もこの調子だからだろう。多分風紀には幹部以外の正式な委員なんていやしないに違いない。

「あーすみません」
「……普通に腹立つな。唇薄いし」
「いやいや、腹立てる理由が意味分かりませんけど。てか、先輩も唇薄いです。理不尽です」
「まあ、それはいい。何をしてたんだ?」
「えええ自分で振っといて!」

 何この眼鏡!
 あ、そう言えば新治も唇薄いよなー……。

「……ほう、新治か」
「ちちちちがうですが!!」

 おれが、さっきまで見つめていた対象を言い当てられて、動揺のあまり変な言葉で否定してしまった。先輩は新治を見つけただけで、おれに新治を見てたのかなんて言ってないのに、なにを超否定してんの、おれは! 何墓穴掘ってんの、おれは!
 途端にやりと、神秘的な冷酷美人……なんて褒めそやされて(?)いる美顔を、先輩は歪めた。ちくしょう美形はどんな表情も似合いやがる!

「何が違うんだ、夕陽。ん? 言ってみろ」
「う、ううう……あ、あれは、そう、新治ではないです!」
「……そうか。俺の知る限り特別棟の近くで我が物顔で寝てるあんな頭の剛胆は、新治ぐらいなんだがな」
「せ、先輩が知らないだけで、そんな人がいたんだとおもいます!」
「ほーう、そうかそうか。夕陽はあれが新治なのじゃあ、そんなに困るんだな」
「な、な、何を言ってるんですか先輩! あれがほんとに新治でも、こっ、困らないですよ! つか、先輩おれに用事あったんでしょ、こんなとこで話してたらおれが危ないから、秋官府行きましょう! ね!」

 これ以上何か言われると、とんでもないボロを出してしまいそうなので、司先輩の背中をぐいぐい押して踊り場を離れようとした。
 ……うん、段差でも押そうとしたから、「これこそ俺が危ない」って叱られたけど。とりあえず押すのはよして、先を行く先輩の後をすこし離れて追った。

「ん?」

 ……何で先輩、新治のこと詳し気なんだろう。あの口ぶりだと、新治があそこで寝てるのを前から知ってるみたいだ。
 階段を下りる前、一度振り返ってあのベンチを見たけれど、そこにはもう、新治の姿はなかった。

title:Swimmy
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