犬は狗に向かない


 ――藤原熾輝(しき)とのファーストコンタクトを果たしたのは最悪の場所だった。天吏の根城特別棟、秋官府――風紀刑部取調室。
 そのころ1Fのリーダーを決める争いは膠着状態で、しかし状況は俺に有利だった。喧嘩は俺のが強いし、2Fリーダーの後ろ盾もあるし。っつうか争いも何も、相手の木曽がゴネて負けを認めないから収まらないだけなんだけど。
 木曽一派が譲らないまま夏を迎えたころ、唐突に夏官――風紀機動隊が1Fまでやってきて、俺を引っ立てたのだ。意味も分からず呆然としていると、ニヤニヤしている木曽一派が目に入った。
 引き立てられるまま秋官府取調室に押し込められて、そこで初めて連行された訳を知って驚いた。それ以上に、優雅に足を組んで座っていた熾輝に目を奪われていた訳だが。

「――紫堂翡翠(しどうひすい)。貴様には強姦の容疑がかかっている」
「…………」
「おい、聞いているのか」
「聞いて、る」

 冷酷そうな、でもきれいな顔。男前といったほうがいいかもしれない。
 高潔をそのまま表すみたいな、Fの俺を見下しそうで見下すまいと努める黒い眸。
 低くて、耳に心地良い、秋空みたいな声。
 ――一瞬で、もっていかれた。

「あんた、は?」
「……貴様を嫌疑について取り調べる者だ」
「ンなもんわかる。名前はっ?」

 更に問うと、官は思いっ切り眉を顰めた。名前を教えなきゃ何も話さないぞと言えば、ひどく鬱陶しげに溜め息を吐く。

「……3A在籍、藤原熾輝」
「熾輝……」

 俺のなかに熾輝を刻み込むように名前を反芻する。
 おとなしく尋問される気になったとわかったのか、俺を引っ張ってきた夏官は、熾輝のテーブルを挟んだ向かいの椅子に俺を座らせた。
 俺もきもち余裕ができたので、視線だけで部屋を見渡す。取調室っていうか、検事の部屋みてえだ。熾輝のデスクの脇には補佐官用のそれがあるし(今は控えていないが)、薄暗くなんてないし広いし。
 夏官が一人残ってドアの前に佇むと、熾輝は俺の取り調べを開始する。

「――紫堂。昨日(さくじつ)放課後、空き教室で貴様に強姦されたと風紀に訴え出た生徒があるが、貴様はこれに覚えはあるか」
「はぁ? なモンねえし。俺は授業終わったら速攻帰るもん」
「ほう? その生徒は貴様のものだというネクタイを持っていたがな。現に今貴様はネクタイをしていない」

 本来それは服装規定に違反する、と熾輝は付け加えた。
 本来――というのは、生徒会長が滅多にネクタイしないからだろう。生徒の規範たるべき生徒会長が自ら規定違反しているんだから、秋官が服装で生徒を裁けようはずもない。

「熾輝それマジで信じてンの? そのネクタイ俺のだって、どう証明できんだよ。それにネクタイ置いてくなんて、後ろ暗い真似したらするはずねえだろ」
「勝手に呼び捨てるな。――しかし……、意外に切れるな。無論、信じる訳がない。貴様が普段からどこぞのバ会長と同じだなどと既に風紀は知っているし、昨日も朝からネクタイをしていなかったことも確認済みだ。貴様と木曽とやらの間で悶着があることも……な」
「……何でFの事情知ってんだよ」
「ふん……ただの職責だ」

 所謂不良クラスのF組は、ある種隔絶されている。教室はFだけ学年関係なく教室棟最上階に纏められていて、あえて知ろうとしなければ他のクラスの情報なんて入ってこないし、逆も然り。
 どうやって探ってんだかな、風紀は……。

「しきー」
「藤原様と呼べ愚民」「……」
「何だ」

 な……何かちょっと……

「キた……」
「は?」
「やべえ何これどうした俺!」
「何だ貴様は」
「ちょっと……勃った」

 空気が凍った。
 たっぷり間をとってから熾輝は、

「加田。尿検査」
「え……」

 顔が、マジだ。
 残った夏官は加田と言うらしい。引きつった声が背後から聞こえた。

「誰がヤクなんてやるか馬鹿らしいっ! 体に悪いだろ! つか犯罪だろ!」

 思わず机を叩いて立ち上がる。不良だからってジャンキーって決め付けんな!
 熾輝は目茶苦茶意外そうな顔をでいきり立つ俺を見上げた。……う、上目遣いやべえ……っ!

「ほう、意外に常識はあるようだな。……加田、座らせろ」
「え、あ、……はい」
「……どうした」

 苦笑を孕む加田の声音に、熾輝は眉を顰める。
 座り直しつつ振り向けば、加田は苦く笑いながら頬を掻いていた。

「……いや。紫堂の心情もわからないでもないなと」
「……はァ?」

 熾輝の目が鋭く加田を睨んだ。その眼光たるや人を射殺すことさえ適いそうで……おっかねー……。
「だ、だって先輩サディストっぽいンですもん……先輩に罵られたいって奴多いんですよ」

 睨まれた加田は慌てて顔の前で両手を振って言い訳をした。火に油を注いでいる気がしないでもない。
 でもまあ、概ね同意だ。

「屈伏させてえ……って奴も多そうな、熾輝って」
「ああ……いるなあ……」
「えろいだろうなあ……熾輝……」

 熾輝に向き直って頬杖ついて妄想してみる。

「あ、やべ……マジ勃つ」
「――紫堂翡翠」
「う……ん? 熾輝? あの、顔こえぇ、よ……?」

 熾輝の背後に、ブリザードと般若が見えた。


 結局強姦容疑は、すぐに木曽の謀略だと露見したので晴れた。木曽と協力していた奴等は狂言で秋官府に面倒かけたとかそんな感じで厳罰に処され、1Fのリーダーはやっと俺に決まった。
 木曽一派の生き残りはゴネていたが、自ら反逆なんて真似のできねえ連中なので放っておく。
 俺が熾輝に惚れたので秋官に迷惑かけるの禁止令も受け入れてもらえたし(盛大に呆れられたけどな!)、あとは熾輝に振り向いて貰えれば万々歳。
 ……というわけで熾輝と出会ってから半月後のとある放課後、特別棟の近くをうろうろしてみることにした。
 なんかこの辺意外と日当たりいい。そしてなんか猫がいっぱいいる。

「おー、ちっこいのかわいいなお前」

 木の根元でのんびりしている子猫を撫でようと手をのばしてみたら、

「痛ァっ!!」

 ちょう引っ掛かれた。子猫は猛スピードでどっかいった。ちくしょうかわいくねえ!

「……紫堂か? そこで何をしている」
「熾輝っ! まじで会えた!」

 引っ掛かれた手の甲を舐めていると、聞きたくてたまらなかった熾輝の声がした。俺のこと覚えてたのかと思うと目茶苦茶嬉しい!
 熾輝は特別教室棟と特別棟の渡り廊下に佇んでいる。お互い表情が確認できるくらいの距離だ。

「どうした、そのき――」
「熾輝、好きだ! 付き合ってくれ!」
「――ず、は……」

 嬉しさあまって心配してくれた熾輝の台詞を遮って、大声で告白した。
 熾輝は突然のことにびっくりしている。冷血そうでも表情はかわるのだと知れて、嬉しくなった。
 はあ……と重い溜め息が熾輝から漏れた。眉間の皺がすごいことになっている。

「ふざけろ、下衆」
「俺は本気だ!」

 熾輝をオカズにオナるほどには! ……とは流石に殴られそうなので黙っておく。
 熾輝に駆け寄って、逃げられないように熾輝の手首をしっかと掴む。鋭い眸をまっすぐに見つめた。
 熾輝のほうが少しだけ背が高いのだと、それで初めて気付いた。

「……くだらん。天吏嫌いのFの言なぞ、信用できるはずもない」

 熾輝は拒否するみたいに視線を外した。

「じゃあどうしたら信じて貰える」

 熾輝の手首を掴む力を強める。本気なんだ、譲る気はないと込めながら。
 それが伝わったのか熾輝は少し思案顔をした。

「――では、俺の狗にでもなるか?」
「え……?」
「薄汚い裏切り者になれるのか、貴様は。俺のために」

 狗――そう言うことか。熾輝は俺に、ホントに惚れてるなら仲間を売れと言ってんだ。俺が熾輝に惚れたと言っても、呆れこそすれ見捨てず受け入れてくれたあいつらを。
 俯いて、ぎりと唇を噛む。

「……俺……熾輝に惚れてんのはマジだ。けど、そんな真似、できねえよ……したくねえ。性根は悪くねえ、良い奴等なんだ、だから」
「……冗談だ」

 軟らかい熾輝の声に、はたと顔を上げる。その先には、声柄と同じような目をした熾輝がいた。
 こんな目ができるとは思っていなかったので、驚きに思考が染まる。

「貴様のような馬鹿正直な男、狗にする価値もない。目立つ上に馬鹿正直では、すぐに狗だと疑われるだろうからな」
「っ熾輝ぃ……」
「――秋官に迷惑はかけさせないのだろう?」
「へ……」
「十分だ、紫堂翡翠」

 くつりと笑って、熾輝はいともたやすく俺の手を外し背を向けた。特別棟のドアを開けようとする熾輝の背中に、俺は叫ぶ。

「熾輝っ! 信じてくれんのか、俺が熾輝を好きだって!」
「――紫堂。ちゃんと手当てしておけよ」

 穏やかに返されたその言葉は、肯定だと思っていいのだろうか。少しだけ、上がっていた口角は。
 熾輝が特別棟に消えてから、俺も校舎に踵を返す。保健室に、傷の手当てをしてもらいに。
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