愁色
あー今日も雨ですね梅雨は憂鬱ですねーと内心やさぐれつつ、だがしかし雲と雨ではどちらが受けか、雨と大地ではどちらが受けかと考える。いや、もしかしたら雲と大地の遠距離恋愛なのかもしれない。
決して手の届かない場所にいる思い人に焦がれて、けれど雨という涙を流すことしかできない雲! 雲の流す涙をただ受け止め受け入れるしかできない、好きな人が泣いているのに抱きしめる腕すらもたない大地!!! やべえなにこれ滾る。さっそくユナにメールなんだぜ!
「うお」
たったいま脳内に溢れかえった妄想を携帯のメールにしたためながら歩いていたら、うっかり目的地を通り過ぎるところだった。あぶねぇの。
ちらほら出てくる生徒を尻目に、俺は1Aの後ろのドアから教室を覗き込む。
「へーい鷹臣ー。飯いこーぜー」
「メグミ」
鷹臣の席は、教室の真ん中らへんだ。振り向いた鷹臣は、何故か俺を見てほっとしたように息を吐く。ええなんですかあれキモイ。
立ち上がって俺の方に来ようとした鷹臣を、隣にいたらしい美人系チワワが引き止める。鷹臣は迷惑そうにしてるけどおかまいなしだ。……なに、あいつ。
残念だが俺は鷹臣に関しては鷹臣×曄士さんの固定CP派だ。曄士さん以外の受けなどお呼びでない。
ちょいとイラッときて、いちおう遠慮して足を踏み入れたことのなかった1A教室にずかっと入る。上位クラスはFを見下してるけど、俺は顔がそこそこ整ってるおかげか、そこまで不愉快な視線は貰わない。……うん熱い視線はちらほら貰うけども。
「行こうぜ、鷹臣」
「ああ」
「ちょっと、」
鷹臣の腕を掴んで引っ張ると、むっとした顔をしたチワワが、俺の前に立ちふさがる。うわ、ガッツリ化粧してるチワワを目にするのは初めてだ。俺が見かけたことあるのは、してても薄いもんばっかだったから。
……カワイイは、作れる。しかしそれは裏を返せば、カワイイは幻想なのだ。
見てみろ、このチワワの俺を見る目。すっげえ下等生物を見る目だよ。気取った鷹臣が鬱陶し気に舌打ちをした。こんなんでも一応、俺らのリーダー様だからな。一応、仲間思いなとこもあるからな。
「キミ、あの落ちこぼれクラスの奴でしょ。そんなクズみたいな奴が、鷹臣君に近づかないでくれない? 馬鹿がうつるでしょ」
「はぁ?」
馬鹿は空気感染しねーよ!
つか、なにマジこいつ。
「鷹臣、なに名前呼ばせてんの」
「許可してねえよ」
眉を顰めて糾弾すると、心底忌々しそうに鷹臣は吐き捨てた。
鷹臣は、自分が気を許した相手にしか名前で呼ばせない。それは鷹臣なりの線引きの仕方だ。《Arcadia.》の面子以外で鷹臣の名前を呼べる奴なんて、こいつの家族か曄士さんのお兄さんくらいしかいない。
「そんな照れなくてもいいのに」
「……うぜえ」
「ねえ、そこの落ちこぼれクン。鷹臣君は僕とお昼を食べるんだから、さっさとその薄汚れた手を放してくれない? 急に来て図々しく鷹臣君に声をかけて、鷹臣君が汚れちゃうじゃん」
「……俺からしたら、てめえのが急に出てきて鷹臣にまとわりついてんだがな」
「はあ? 僕は最初からA組なの。Fの落ちこぼれが鷹臣君とどんな関係かはしらないけど、もう二度と近寄らないでくれる。君と鷹臣君の間には、圧倒的に越えられない壁があるんだから。あーあ、鷹臣君も可哀相だよね、こんな社会のゴミみたいな奴につきまとわれて。……まったく、野田夏樹もこんなゴミのどこがよくて口説いてるんだろ。あの人、目が腐っちゃったわけかぁ」
「……ってめえ!」
「――室木」
ずん、と。室内の重力が増して、室温が一気に下がったような心地がした。室木、と、多分このチビの苗字だろう名前を一言呼ばわった鷹臣の声、だけで。
――これが《Arcadia.》二代目総長としての、鷹臣の姿。たった一声で場を支配してしまう才。絶対的な、怜悧な王者の風格。
あたりをちらと見回してみれば、案の定皆顔を青くさせて震えている。それもそうだ、鷹臣の目ったら、それだけで人を凍死させられそうなほどに温度がないものだから。
俺には慣れがあるけれど、この場にいる誰もが、鷹臣の夜の顔を知らないから尚更きついだろう。
「それ以上、俺の仲間を侮辱してみろ。学園にも、日本にも、果ては人目あるところにさえいられないようにしてやる」
「な……ぼ、僕は鷹臣君のためを思って――」
「勝手に俺の名前を呼ぶなと、何度言わせる。テメエの耳こそ腐っているんじゃねえのか。使えねえ耳なら切り取って鮫の餌にでもしたほうが、余程に有益だろう。なんならテメエの全身ごと、餌にしちまったほうがいい。――ああ、ゴミクズなど餌になりようがないか。食った鮫が腹を壊して死んでしまうな」
どこまでも凍てついた嘲笑に、室木は顔を赤くするけれども、言葉を返せないでいる。
「存在自体が人間の害悪になる有害物質は、俺の目の前から消えて失せろ。そして人知れず腐り果てて朽ち、誰からも忘れ去られるのが、クズ風情には一番似合いだ」
いっそう低い鷹臣の声と、肌を突き刺す殺気に、室木は威勢をうしなってへなへなと座りこむ。それを鷹臣は鼻で笑い、逆に俺の腕を掴んで引き摺っていく。
ぴりぴりしたままの鷹臣に腕をひかれて食堂へ行くけども、俺の気分は晴れるどころか沈んでいくばかりだった。
「野田ってあれか。お前を口説いてる物好き」
「……おー」
いつのまにかテーブルに届いてた昼飯をつつきながら、鷹臣が言った。俺の前にもなぜか滅茶苦茶赤くて目に痛いラーメンが置いてある。
鷹臣のこれは、軽口。悪意ない、もの。
でも室木の言ったのは、完全に侮辱で、愚弄で、嘲笑。
「テメエに向かって言われたことより、野田ってのを貶められた方気にしてんのか」
「……べつに」
「っつか、そいつが貶められる原因であることが気になってるか」
「だから、べつにって」
「……ま、そう言うなら、いいけどよ。とりあえず、さっさと食えよ。海のように心の広い俺様が奢ってやったから」
「うわ、自分で言うなし……。さんきゅ」
箸を取ってずる、と啜って、後悔しました。なにこの激辛?! てめえ鷹臣表出ろぶん殴る!!! ていうか俺もこんな痛々しく赤い時点で警戒しろよ!
なんとかあの激辛ラーメンを完食して数時間。なんだかまだ唇やら口内やら喉やらが痛い気がして、俺は第二図書室でぐったりしているなう。
「あ、恵クンみっけ」
みっけもなにも、探すまでもないだろよ野田め。俺の行動把握してんだろ。
のっそりと顔を上げて、へらっと笑ってる野田の顔をぼんやり眺める。椅子に座った野田は、不思議そうに首を傾けて俺を見た。あーその首を傾げる動作で多くのタチを魅了するんですねそして油断したところをぱくっといくんですねわかります。
「……どうしたの? なんか元気ないね」
「なんでもないし」
「なわけ、ないでしょ。ほらほら、海のように心が広いこの僕に何でも打ち明けてご覧」
そのネタもういいし! 何いまそれ流行ってんの?
じっと見透かそうと見つめられて、居心地悪い。でも逃げ出すのもなんかなあ。微妙な葛藤の末、何となく椅子の上で膝を抱えた。
「どうしたの」
ちら、と野田の顔を窺う。
笑ってなかった。真剣に、俺のこと、心配してる。
なにも、話すつもりはなかったのに、口が勝手に開いて、声が勝手に出る。しかも、すっげえ情けない部類の。
「……野田は、なんで俺のこと好きなの」
なんか俺の身体なのに、俺の身体じゃないみたいだ。勝手に情けない面になる。
きょとんと首を傾ける野田の顔を見てられなくて、膝に顔を埋めた。
「なんでそんなこと聞くの」
「……だって、俺、Fだし。Fにいる俺なんか、Aクラでしかも秋官の野田と違って、落ちこぼれみたいなもんだし、腐男子だし、野田が好きになるような要素、ねえじゃんか……」
ああだめだ、これじゃまるで、野田と俺じゃ釣り合わないのが悲しいみたいじゃねえか。
悲しくなんてねえし。あんな外野が言う事、気にする必要ねえし。でも俺のせいで、あの場に関係なかった野田が侮辱された。俺がFだから。
「……ひとめぼれ、かな。入学式で見かけて、恵クンだけに目が奪われた。そんなの初めてで、どうしても手に入れたくて、焦って、ひどいことしちゃってごめんね」
ひどいことって、たぶんあの媚薬混入して俺を犯した事件だろう。もう気にしてないから、首を横に振った。
「……でも俺、野田に好きでいてもらえるようなの、なにもない」
「なにもなくたって、好きだよ、恵」
落ち着かせるようなやさしい声音が、耳から入ってしみ込んできた。あ、やば、泣きそう。
――俺、そんなこと野田に言われて、喜んでいる。ぽっと蝋燭に灯がともるみたいに、静かに。
「なにかなくちゃ、好きでいたらいけないの?」
それこそBLでよくある「好きになっちゃったらしょうがない」じゃないの……。野田の声に、頷けば良いのか否定すれば良いのかわからなくて、反応を返せなかった。
野田は席を立って、膝を抱える俺を後ろから抱きしめた。そして、耳元でなんかとんでもないことを囁いた。
「ねえ、恵クン。エッチしよっか」
「は……?!」
「どれだけ僕が恵クンを好きか、じっくり教えてあげるから。もう、二度と不安にならないように」
熱っぽく、でも真摯に野田は伝えてくる。
……多分、俺、引き返せないとこにきてしまっている。心臓がうるさい。野田の体温が、嬉しい。
「……ここで?」
震える声で訊ねたら、苦笑された。
「ここでしたいのは山々だけど、見つかったら夏官にしばかれちゃうし、秋官長サマに叱られちゃうから。……僕の部屋で、ゆっくり、ね」
来るでしょ、と確信もって紡がれた質問に、俺は頷くしかなかった。