見えざる交錯


 今日の高萩は、どうやら迷いあるようだった。普段通りしゃんとした姿ではあったが、思うままに弓を操れていなかったのが何よりの証拠だ。

「高萩。今日は調子が悪かったようだが、如何にした」

 帰り支度をする高萩に背後から声をかけると、男にしては細い肩がぴくりと跳ねた。高萩はいつもの冷たそうな眸で、俺を振り向く。

「何か悩みでもあるなら、相談に乗るが」

 ほんの一瞬だけ、高萩の眸が揺れた。その一瞬を見逃すほど俺は愚鈍ではない。生徒警護の任に就く近衛軍を取り纏めるのだから、些細なことも見落とすようであってはならないのだ。
 何よりも――中領軍としての能力よりも、この俺が高萩のことで見落とすなどはしたくない。

「……いえ。猪子部長を煩わせるほどのことではありませんので」
「……そう、か。だが、もし話したくなったらいつでも頼れ」
「お気遣い傷み入ります。……では、俺はこれで」
「ああ。気をつけて帰れ」
「お先に失礼します」

 一礼して弓道場を出て行く高萩の、ぴんと張った背中を見送る。
 女王――などと言われている高萩に手を出す馬鹿はそういないだろうが、心配には変わりない。
 高萩は、美しい。真っ直ぐで艶のある黒髪も、日に焼けにくい白い肌も、筋肉がつきにくいというすらとした身体も、凛とした挙措も。
 高萩は無自覚に学園の男の劣情を誘う。そのような奴らが暴走しないとも限らない。
 俺も――いつまで冷静でいられるのか。

「玉砕だなぁ、昭人」
「喜田……」

 からからと笑いながら、弓道部副部長の喜田が更衣室に入ってきた。……見ていたのか、こいつ。

「笑うな、鬱陶しい。大体貴様、仮にも副部長なのだからその浮ついた出で立ちを改めよと何度言わせるつもりだ」
「チャラ男が弓道部副部長ってギャップがいいんじゃない〜。ギャップ萌えってやつだよ〜」
「鬱陶しい喋り方をするな」
「うはは。つーかマジ、何で俺がチャラ男ぶってるって誰も気づかねーかなぁ。初見で見破ったのが昭人だけってどうよ」
「知るか」

 喜田は一般生徒から、「部活の時だけ見せる真面目な顔と普段とのギャップが素敵」などと言われて人気がある。その誰もが喜田の浮ついた振る舞いを本性だと思っているようだ。まあ、生徒会や風紀は感づいているだろうが。

「それにしても、今日の玲綺ちゃんはどうしたんだろうなあ。ちっとも集中出来てなかったが」
「悩んでいるのは間違いあるまい。あの高萩が、部活に持ち込むほどのことをな」
「ふむ。……恋煩いとかか?」
「ッ?! な、何を言う、喜田!」

 喜田のあまりの突飛に、俺はつい咽せてしまった。
 そんな――そんなことがあるはずがない。高萩が恋煩いなどと、しかもそれで集中を欠くなどと!

「いやいや、ツンツン女王様の玲綺ちゃんだからこそ有り得るんだろ」
「何故だッ」
「自分があんな奴好きな訳ない、でも気になって仕方ない……みたいな葛藤がよ、玲綺ちゃんタイプはあるんじゃねえのと」
「な……馬鹿な」
「その相手がなあ……自分ならいいのになぁ〜、あ、き、ひ、と?」
「なっ、だッ……黙れッ!」

 確かにそうであれば喜ばしいが……って違う!
 高萩のあの眸の揺らぎは、もっと別の深刻そうな色を灯していた。色恋沙汰のことではない。

「ところでよ……玲綺ちゃんに借りた真っ白いハンカチ、まだ持ってんの?」
「……あ、ああ」
「さっさと返しゃいいだろ。あの時は有り難う、以来ずっと好きだった……と告っちまえよ」
「馬鹿を言うな」
「洗って返すって言ってから何年経つと思ってんだお前はぁ。初等部ん時だぜ?」
「う、煩い! 今更返すタイミングがだな……っ」
「玲綺ちゃんとの出会いの品を持っていたいだけだろが」
「ぐ……」

 まさしく言い当てられ、俺は答えに窮した。
 俺が高萩に出会ったのは、初等部六年の時だった。不注意で軽傷を負った俺の血を、高萩が真っ白なハンカチで拭ってくれたのだ。思えば一目惚れだ。名札で名前と学年を確認した俺は、また高萩に会う理由が欲しくて、俺の血で汚れたハンカチを洗って返すと借り受けたのだった。
 しかしいざ返そうと思うとひどく名残惜しく言葉も出なくて、返せないまま今に至る。高萩はもう覚えてなどいないだろう。

「青春だね〜」

 帰り支度をいつの間にか済ませていた喜田が、今度はへらへら笑った。

「だから、鬱陶しい喋り方をするな。……まったく、普段から素でいればよかろうに」
「だって、俺ってば顔からしてチャラ男じゃ〜ん。チワワちゃんたちの期待を裏切るのも、可哀想でしょ〜」
「それこそ、その……ギャップ萌えというやつではないのか」
「分かってないな〜、昭人は! 普段チャラいのに部活の時だけ真剣ってチラリズムのがハートをキャッチするんだよ〜」
「……疲れないのか」

 自分を偽り続けていて。
 思わず問うた俺に、喜田は首を傾けて答えた。

「俺は楽しいけど。昭人と二人きりなら息抜きも出来るしな。……でも、まあ、そうだなあ。疲れる奴は疲れるだろうな。悩みもするだろうな、本当の自分が受け入れられないようで」
「……」
「どした?」
「……いや、ただ……今のお前の目が、何となく、先刻の高萩と似ていたと、思ってな」
「玲綺ちゃん?」
「高萩も時折、普段の凛とした挙措とはかけ離れた雰囲気を見せる」

 まるで――出会ったときそのままのような、穏やかでふわふわとした、柔らかく真っ白な雰囲気を。

「……なるほど」
「野田ならば、何か知っているだろうか……」

 秋官府尋問官の野田夏樹。高萩の友人で護衛対象でもある男。

「ただじゃ教えてくれねーだろな」
「……だろうな」
「なあ。もしツンツン女王様の玲綺ちゃんが演技だったとして、お前は本当の玲綺ちゃんも丸ごと愛せるか」
「――愚問だな」

 俺はとうに、高萩玲綺そのものを愛しているのだから。
 あの凛乎の裏に隠された姿が何であろうと、それだとて紛れもなく高萩なのだ。愛しくないわけがない。

「だったら、さっさと告っちまえばいいだろ」
「……それができたら苦労しない。高萩にとって俺は単なる上司であり部長だろう、告白などすればきっと困らせる……」
「昭人」
「それに、そのせいで退部でもされたらと思うとな……これほどに恐ろしいことはない」
「随分弱気なんだな、珍しい」

 瞠目する喜田に、当たり前だと返す。

「俺は人間だからな。常に強気でなどいられない。お前が俺といて息抜きになるように、俺もまた、こんな情けない姿をさらせるのは喜田くらいのものだ」
「そりゃ光栄。玲綺ちゃんはいいのか?」
「馬鹿。高萩に情けないところなど見せられるか」
「好きな人の前ではカッコ良くいたいってか? 青春だなぁ」

 呵々と笑い肩を組んでくる喜田に毒気はないのだろうが、どうにもからかわれているようで癪に障る。

「矢張り貴様、猫を被っていて正解だ」
「おおい何だそりゃ」
「知らん。帰るぞ」
「へーへー」

 喜田の腕を叩き落として、道場の出入り口に向かう。
 高萩――。彼にも俺たちのように、息抜きの出来るところはあるのだろうか。
 俺が、高萩のそれになれればいいのに。

(本当に、いつでも頼ってこい……玲綺)

 俺はいつまででも、お前の頼れる場所でありつづけるから。
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