喰光雄




 曹操は、おのれの内で駆け回るけものをじいと見ていた。"彼"は蒼空の下、荒れた大地で暴威を喰らっている。"彼"を見つめていると、詩興が湧く。"彼"のしていることを、風景をそのまま言葉にすれば、詩が出来た。
 孟徳、と呼ばれて、曹操は意識をおのれの内から外に向けた。夏侯惇が呼んでいる。

「伯星(ハクセイ)が来たぞ」

 伯星というのは豫州汝南の太守で、姓を琉、名を元という。曹操とは同郷で、旧友である。

「流石は太守、というところか。騎馬と弓騎が二千ずつ、歩兵は四千、弩が二千だそうだ」
「汝南では志願兵が多いそうだな。伯星の人柄故か。劉虞とどちらが仁のものかな」
「どちらも、戦上手ではない」
「まあな」
「良いのか、孟徳。伯星の息子、琉靜(ジョウ)といったか。あれが統率に長けているとは言え、精強とは言い難い軍だぞ」
「黄巾の殆どがもとは民、戦い方も知らぬ雑兵だ。問題なかろう。まあ、略奪で人の殺し方を覚えている分、肝はあちらのほうが座っているか。取り敢えずは数が揃えば良い」

 光和七年、張角という男を首魁にした宗教団体が、漢王朝に対して蜂起した。
 王室は力を失いつつあるとは言え、一応は国の主。後漢王朝第十二代皇帝劉宏は同年三月、何進を大将軍とした大規模な討伐軍を編成した。その一軍に、曹操はいる。
 討伐軍に参加するにあたり、武勇を誇る武人が多くあるとはいえ、未だ大きな力を持たない曹操が頼りにしたのは琉元だった。同僚だった袁紹や袁術は名門の子で、宦官に連なる曹操は負目と反発から、彼らを恃みには出来なかった。
 琉元は袁家ほどでないにせよ名門の出なのだが、素直に協力を要請できたのは彼の人柄所以なのである。戦を好かぬ穏やかな男で、だが愚かではない。彼の傍にいると不思議と落ち着いたので、曹操は琉元という人間が好きだった。
 ――ただ。恐らく琉元は、おのが道の妨げになるであろう。琉元は必ず兵を挙げる。漢王朝を正すためだ。
 反して曹操は、王朝を正そうという心がない。忠義は一応持っているが、古来の王朝では駄目だと思っている。古来に添って正すのではなく、根本から変える。新しい理を布くのだ。
 時にそれは、漢王朝という四百年続いたものを蔑ろにすることもあるだろう。その点で、琉元とは相容れない。

「従兄上、琉元殿らが挨拶においでですぞ」
「おう、通せ」

 曹洪が、三人の男を幕に引き入れた。久方ぶりに会った琉元は、やはり穏やかな目をしていた。従えている青年の片方は琉靜だ。目つきの鋭さが、自身の長男である曹昂と似ている。
 もう一人の青年は、見覚えがなかった。濡れ羽色の髪と眸が美しい、線の細い青年。顔立ちも琉元とはまったく似ていないが、雰囲気だけは通じている。成人してそう過ぎていないのだろうか、あどけなさがいくらかあった。

「久し振りだ、孟徳」
「ああ。伯星、要請に応じてくれたこと、感謝している」
「気にするな。私でも、黄巾の暴挙は捨て置けん。……ああ、こっちは漣だ」

 漣、という青年が、微笑んで拱手する。動作の一つ一つが様になる男だ。

「汝南太守琉伯星が次子、琉子然と申します」
「次子?! おい、いつの間に再婚したのだ」

 琉元の妻は、琉靜が生まれて暫くで病死した。琉元は彼女を心底愛していたので、後妻は娶っていない。妾もない。
 つまり、琉靜以外に子供が出来ようはずもないのである。

「ははは、違う違う。漣はな、養子だ」
「養子?」
「汝南のそばに河があるだろう。そのあたりで倒れていたのを拾った。昨年のことかな」

 怪我をしている様子だったので、見捨てられずに保護したのだと琉元は言った。彼らしいことだ。
 琉漣を見た夏侯惇が、余人が気付かない程度に眉を顰めたが、曹操は言及しなかった。

「孟徳の軍に編成するにあたって、何か注文はあるかな」
「特には。何進殿にはこちらから報告しておく、兵らを休ませてやれ」
「ああ、それでは失礼する。進軍では、孟徳の足を引っ張らぬように尽力するよ」

 それぞれ礼をして退出していった。少ししてから曹洪を報告にやって、それから漸く曹操は夏侯惇に向き直った。

「どうした」
「得体の知れん奴だ」

 と、唸る。まるで警戒心を剥き出しにする獣だ。夏侯惇は、曹操に降り掛かる災禍を出来うる限り減らそうと、常に目を光らせている。
 それは曹操に取って有り難いことだ。自分の分以上を疑ってくれるので、心配する時間を他のことに使えてとても良い。

「あいつは、何かが違う」
「何か?」
「生気とでもいうのか。それが希薄。例えるなら、一度死んだような」
「それでは鬼の類いではないか。しかしおぬしには、妙な嗅覚があるからな」
「だが、恐らくお前は欲しがるだろうよ」
「そうだろうな。琉漣、琉子然か……」

 腕を組んで口角を上げると、夏侯惇から疲れきったような溜め息が聞こえてきた。鋭い刃と堅い盾、上物の筆が欲しい曹操に取っては、死霊だろうと何だろうと、使えればそれで良いのである。


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