永劫





 琉漣殿の故郷は汝南でしたか……。
 郊外で兵馬の調練を監督している最中張コウからかけられた聲に、曹丕はちらと一瞥をくれた。冴え冴えした薄青は、すぐに張コウから興味をなくしてよく整った軍隊へ向く。

「それが何だ」
「いえ、先日琉漣殿が」
「子然がどうしたっ」

 まだ肝心の内容を言っていないのに曹丕は調練を思考の端に放り投げて、顔ごと薄青を張コウに向けた。切羽詰まったような、とまではいかなくとも切なさや焦れを含んだ表情に、張コウは「おや……」と内心嘆息する。これはまさに、司馬懿の怒鳴った内容の通り。曹丕が琉漣を不要になる日など、永劫来るまい。
 いくら琉漣が悲観しても、曹丕は絶対に彼を手放してやらないだろう。冬のように冷たい色をした眸の、何と熱いことか。美しい……、と口内で呟いた。

「曹丕殿、あの方に何を仰ったんです?」
「何を、だと」
「自棄酒をしてらっしゃったんですよ。それも深く」
「なに……」
「その折、曹丕殿がどうこうともらしておられたので、一体何を仰られたのやらと気になりましてねえ」

 号令の聲を遠くに聞きつ、張コウはこと深刻に言ってみせた。珍しく――というほど曹丕を知らないが――駭愕をあらわにしてみせる曹丕に、やはり彼でも琉漣の飲酒、それも自棄酒は知らないのだろうと張コウは胸中に思う。本当にこの怜悧な青年は、あの細身に何を言ったのやら。
 張コウを見たまま瞠目しっぱなしだった曹丕は、ややあって漸く平静を取り戻したらしい。殊更に緩慢に正面を向いた。――というよりは、張コウから顔をそらした。どうやら表情を、或いは眸を見られたくない様子だった。気取って、張コウも調練に顔を戻した。
 苦いものを含んだ聲が隣から聞こえて来たのは、それから漸うのことであった。ただし、それは張コウの疑問を解消するものではない。

「あれは……何を言っていた」

 逆に問われて、「そうですねえ……」と張コウはわざわざ勿体付ける。苛立ったような気配が隣から伝わって来た。

「曹丕殿と甄姫殿を認めて差し上げたいけれど、寂しくてうまくいかない、だとか」
「……なに」
「曹丕殿が自ら近傍におかれる人間をお選びになったことが嬉しいはずなのに、寂しくて素直に喜べないだとか」
「酔いの上の戯言ではないのか」
「酔っておられたからこそ、本音が漏れたと見受けられましたよ」

 あれが本音でなければ何だろう。あの弱気と、愁聲。郷愁。
 親心からの言葉を言いながらも、どうしてか迷い子のような不安と悲嘆を纏っていた琉漣を脳裡に思い起こして、張コウはそっと目を伏せる。
 弱気を聞いたこちらの方が、心の臓を締め付けられるほど切なくなるような聲は、いまだ耳の奥で残響している。行ってはならないと、そう縋ってしまいたくなる。去り行く者を引き止めるなど、無粋だと思うにも関わらず。

「曹丕殿が成長され、大人になられたことが喜ばしくもあり、お寂しくてもいらっしゃるようで」
「……」
「それゆえに……不安なのでしょうね。本人も酒が入らなければ吐露出来ない、或いは気付かないほど奥底にある不安なのでしょうが」
「不安」
「いつの日か、曹丕殿が琉漣殿を完全に必要としなくなる時が来ると、怯えているようでもありましたよ」
「……馬鹿な」

 低く返された曹丕の聲は、信じられない、という驚愕がまじりつ、何をたわけたことを、という苛立が勝るものだった。

「琉漣殿には、曹丕殿しかおられないのでしょうねえ。どれだけ私たちが彼と親しくなろうとも、琉漣殿をつなぎ止める術、彼のよすがとなろうものは、曹丕殿以外にありえない――。そのように思えます」

 だから、と張コウは一旦区切って、身体ごと曹丕を向いた。曹丕も訝しむように張コウに視線をやる。
 多分、これは彼に話しておくべきだ。琉漣はまるで覚えていないが、曹丕のある限り琉漣が、琉漣であるために。

「要らなくなる前に死にたいなどと、仰ったのでしょう……」
「――な、」

 忽ちに、曹丕の薄青が驚倒に染まる。

「帰りたいとも、おっしゃいましたよ。汝南の街かとも、思ったのですが――曹丕殿!?」

 どうにもそういう風には見えなかった、と続ける前に、曹丕の足首まである彼の背の外套が、重たく翻った。眼前を横切る純白に曹丕の転進を知った張コウは、その怒りを孕む背中に向けて曹丕を呼ばわった。

「どちらへ行かれるのです!」
「――張コウよ。後は任す」
「お待ちください! 琉漣殿は酒が入った後のことは何も覚えておいででないのです」
「知らぬ。記憶がないというのなら猶罪深い」
「曹丕殿――!」

 怜悧な人は苛烈な心情を残り香に、街へ消えた。

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