甘くて苦くて最後はやっぱり甘く




 下校時刻が迫り人気の少なくなった校内を、帰り際の巡回を装い元澄は足早に進んで行く。肩にかけた鞄の中には、勿論あのチョコレートが入っている。
 誰ともすれ違うことのない廊下で、元澄は段々と歩調が速まっていく自分を自覚していた。
 ――藤次が彼の教室で待っている。そう、安東からメールで教えられた。急がなければならない。急がなければ、悪い意味で誰かに呼び出されてしまうかもしれないのだから。
 けれどそういう、風紀委員長としての職責からの思考ではない焦りがあるのも、事実だった。

(奪われてたまるか……ッ!)

 もしかしたら――可能性は低いだろうが、他に藤次を狙う輩に先手を打たれてしまうかもしれない。そちらの焦燥の方が、職責よりも元澄を突き動かしていた。
 こんな風に執着して、自分のものにしたいと焦がれる心は初めてだった。きっと彼を他者に奪われたら、自分は正気ではいられない。相手の男と武力を持って引き離して、強引に手に入れてしまうかもしれない。
 それはきっと藤次を傷つけることだから、何が何でも御免だった。
 跫音はいつしか荒く、駆け出していた。

「小山田……ッ!」

 息せき切って、2Aの教室に闖入する。色濃い夕陽に染められた室内には、驚いて元澄を凝視する藤次が一人席に着いていた。
 闖入した勢いのまま、元澄はずかずかと窓際二列目中央の藤次へ歩み寄る。藤次の驚愕は、まだ抜けていない。

「……小山田」
「せ、んぱい……驚いた……。どうしたんですか、そんな慌てて」
「俺が来るまでの間に、何もなかったか」
「え、はい。危ないことは、なにも」
「危険だけのことじゃねェ」
「は?」

 一瞬訝し気に眉を顰めた藤次だったが、数秒してから元澄の言外を悟ったらしい。ああ、と納得したように声を出して、そうしてから彼は苦笑した。

「バレンタインですか。俺に渡すような物好きはいないですよ。というわけなので、そう言ったことも含めて、何事もありませんでした」
「そう、か」

 物好きはまさに藤次の眼前にあるが、藤次はまだそれを知らない。

「先輩こそ、紙袋くらい必要なんじゃないかなと思っていたんですが。意外でした」
「あ? ……俺は受け取らねェよ、信の置ける知り合い以外からは」

 だから今日は、生徒と出くわさないよう授業が始まってから登校して、一日中風紀室に籠っていた。元澄は強面だが美形だし役職があるので、お近づきになりたがる生徒は多い。おそらく生徒会連中も元澄と同じような行動をとったろう。
 信頼している相手からしかものを受け取らないのは、元澄が人の恨みを買いやすい風紀委員長だからでもある。不用意に他人から貰ったものを口にして、実は一服盛られていた……などということになって、もしそれが毒薬だったら笑い話ではすまない。食べ物以外でも、盗聴器や隠しカメラなどが仕掛けられたものがあった、ということが実際過去にあったと、これは風紀委員全員に注意が促されている。

「そうですか……。じゃあ、俺が渡しても受け取ってもらえませんね、チョコレート」
「馬鹿野郎、貰うに決まって――は?」
「実は用意してあるんです。貰ってくれるなら無駄にならなくて良かった」
「いや待て、ちょっと待て小山田。用意してあるッて……俺にか? 安東でも和田でもなく?」
「あの二人には購買で買った五円チョコあげましたよ。先輩には別に用意したんです。……でも本当は――」

 本当は渡すつもりはなかったのだ、と俯きがちに藤次は呟いた。
 驚愕に目を見開くが、すぐにまた藤次の声が紡がれたので、元澄は詰問しようとした口を閉じた。

「今日先輩に会えなかったら、チョコも渡さずに、何も言わずに先輩を見送ろうと思ってました」
「……だったら、何で教室に残ってた?」
「ギリギリまで、運に賭けたかったんですよ。拓真先輩がお節介するかどうか、してくれても先輩が来てくれるとは限らないですから。――というわけで、先輩。どうぞ」
「あ、ああ……」

 藤次の鞄の中から取り出された、質素なラッピングの箱を受け取る。あまりにもあっさり渡されて、少々面食らう。
 随分思わせぶりな発言のあとだったから、わずかに期待を抱いたが、どうやら水泡だったらしい。
 日頃の礼でも何でも、貰えただけ良しとしよう――。
 まじまじと包装紙を見つめながら思って気付く。深緑の包装紙にさり気なく刻まれた刻印、これは確か都内の有名店のロゴマークのはずだった。

「先輩、言っておきますが、本命ですよ」
「…………、なに?」

 視線を手中の箱から藤次へと、勢いよく移す。
 目に映った藤次の呆れ顔が、夕陽の残り香のせいでうっすら赤い。

「案の定思い違いしてたんですか。義理で、礼儀で贈るバレンタインチョコを、そんな店のものにするわけないでしょう」
「そ、そうか……」
「先輩。俺は先輩のことを――」
「ま、待て! 待て、小山田」
「……何で止めますかね」

 ひどく真剣な顔つきで見上げてきた藤次の発言を、肩を掴んで遮ると、苦々しい顔をされた。
 だが、こればかりは言わせてはいけない。元澄が先に言わなくてはならない。
 待てよ、と言い含めて藤次の肩から手を放し、隣の机に鞄を置いて中から件のチョコレートを取り出した。
 深く息を吸い込んで、急かす心臓を落ち着ける。
 意を決して、手にしたそれを藤次に差し出した。

「――好きだ、小山田」

 元澄からのチョコレートを前に目を丸くしていた藤次は、やがてふと肩の力を抜いて、笑んだ。
 ――しょうがないひとだ、とでも言うように。
 静かにチョコレートを受け取った藤次が、笑貌をおかしくてたまらない、といったふうのものに変えた。訝る元澄の耳に、ひとつ爆弾が落とされた。

「知ってます」
「そうか。――って、……はァ?!」

 思わず素っ頓狂な声を上げる元澄に、藤次はいよいよ吹き出した。

「だって、いくらなんでも、気付きますよ」
「な……」
「いつ思い切るのかと思ってたら、夏休み前しくじってから思い切らないままで、もう二月ですし。何か考えがあって思い切らないのかもしれない……と思ったので、だったらせめて今日、会えたら、俺から好きだとだけでも伝えようと」
「……そうか……」

 とうとう脱力して、元澄は床に座りこむ。今なら羞恥心やら遣る瀬なさやらで死ねそうだった。
 両思いだったことは素直に喜べるが、好きだということがバレていたと思うと何故か情けない。

「で、先輩。俺と付き合ってくれますか?」
「……つきあう」
「卒業しちゃってからも、ですよ? 続けられる限り、繋がっていられる限りずっと、ですよ」

 それはこちらから頼み込みたいことだ。ちらと藤次の目を見上げると、いつでも真直ぐに元澄の目を見てくる視線とかち合った。この視線に、思えば心までをも貫かれたのだろう。
 覗き込んでくる藤次の顔を引き寄せ、唇を合わせることをもってして、願うような藤次の声への返答とした。

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