僕がここで行方不明になっていた零崎を見つけたのは偶然だった。仕事がなく誰にも用がなかったから気まぐれに散歩をしていた。それだけなのだから。
 五月十三日。紅葉の名所として知られる永観堂。赤く染まった紅葉よりも青々しい紅葉のほうが好きな僕はそこを訪れてみた。そして、傷だらけで力なく地面に倒れた鏡の姿を見た。
「……君さあ、僕が君を一回殺す間に君は僕を九千九百九十九回殺せるって言ってなかったっけ?」
 仰向けで倒れている零崎の胸に右足を置く。体重はかけない。でも零崎は少し苦しそうな顔をした。どうしてこいつはこんなことになっているのだろうか。
「よお……欠陥。まー、随分大きくなっちゃってー……」
 それでも零崎は無理矢理笑顔を作ってそんなことを言った。
「もう成長期は止まってるよ」
「知ってるわ……そういう意味じゃなくて、なんつーか……中身が?」
 かはは。と零崎は力なく笑う。きっと普通だったらこいつの胸に足なんか置いてないで、さっさと介抱して家にでも連れ帰って事情を洗いざらい吐かせるんだろう。でも、何故か僕にはそれが出来なかった。おかしいな、もう随分と僕は人間らしくなったはずだったのに。
「えっとさ、いーたん……」
「なんだよぜろりん」
「足、どけてくんねえ?」
「嫌だと言ったら?」
 素直にどければいいものを、僕の口は勝手に意地の悪いことを言う。零崎は困ったように笑って少し考えてから言った。
「ちょっとナイフで刺してちょっと殺して解して並べて揃えて晒してやんよ」
「それは――」
 無理な話だ。そう言いながら足をどけた。それからしゃがんで、零崎の身体を起こした。普通だと思う行動をなぞることにする。
「今の君なら、君が僕を一回殺す間に僕が君を九千九百九十九回殺せるよ」
「……かはは、傑作だな」



 家に連れ帰り、ある程度回復した零崎に根掘り葉掘り聞いてみたが、零崎は断固として口を開こうとしなかった。甘味でも用意しておいたら口を開いただろうか。……流石に犬じゃないから無理か。犬好きではあるらしいけれど。
「……そういえば君さ、いつだか殺すことは生理現象と一緒だとか言ってなかったっけ」
「あー、そんなことも言ったような気がするなー」
 ソファーに寝転がって零崎は言う。この反応じゃ忘れていたのだろう。記憶力が絶望的な僕にすら記憶力が劣るなんていよいよ危険だと思う。まあ、僕が余計なことだけはっきり覚えているのかもしれないけど。
「で、潤さんともう人を殺さないみたいな約束したんだよね?」
「そーそー、お陰でナイフ全部捨てちまったぜ」
「今も続いてんの?」
「もう追い回されるのは勘弁だからな」
 零崎は軽く答えるが、果たしてそんなことが可能なのだろうか。生理現象と同じことということは、零崎は今絶食している状態と何も変わらない。栄養ってわけではないから、一応生きていけるとしても、かなりのストレスがたまるはずだ。今にも爆発してしまいそうな爆弾を抱えている状態になっているはず。なのに、それなのに今の零崎にはそんな様子が一切見られない。
 零崎一賊は血の繋がりではなく、流血で繋がっている一族で、理由なく殺す《殺人鬼》集団ではなかっただろうか。要は、ニコチン依存者と同じ、みたいな。それを聞いた当時は特になにも考えなかったけれど、そんな奴から殺人を取り上げるなんて、重度のニコチン中毒者から無理矢理煙草を取り上げるようなものではないだろうか。
 ここで一つの仮説を立ててみることにする。
 もし、零崎が『零崎同士から生まれた子供』というだけで、『零崎』になっていないとしたら。『零崎』ではないとしたら。もしそうだったとしたら、零崎は周りに合わせるために無理に殺し合いをして、無理に身体を酷使していたことになる。その場はしのげても、そんなことをしていたらいつかは必ずツケが回ってくるのではないだろうか。そのツケが、この行方不明だった期間中に回ってきていたとしたら、あっさりやられて永観堂で倒れていた理由もなんとなくわかるような気がする。
「なあ、零崎」
「あー?」
 答えは期待しない。とりあえず、反応が見られれば収穫があったといえるだろう。
「君はもしかして、」
「飛べない豚は焼いて食えってことだ」
「は?」
 さえぎられた。しかも意味の分からない一言で。ただの豚だから美味しくいただこうぜってことだろうか。いやはや、こいつはいつからそんな意地汚い胃袋キャラになったのだろうか。
「俺は腹が減った。なんか食いに行こうぜ、いーたん」
 零崎は笑顔で、すごく素敵な笑顔で言った。その言葉の裏には「お前が奢れ」という意味が含まれていることを僕は知っている。殺人をやめたこいつは無一文のはずだ。ニートめ。
 はぐらかされて気分が削がれた僕はおとなしく零崎と外に出ることにした。零崎の服はあまりにもボロボロだったため僕の服を貸してある。

「……戯言で、済めばいいけど」

 嬉しそうに歩く零崎の後姿をみてそっとつぶやいた。