高校生になり、私は治らない病気をわずらった。
 高校生活をざっと数えて、今が二十二ヶ月目だとすると、私はその七分の一を病院ですごした。所謂入院だ。七分の一と言えば大した日数ではないが、三ヶ月ぐらいと言うとかなりの時間を入院に費やしたように思える。
 そんな私は、『充実した学校生活』というものに飢えていた。それもそうだ。学校行事を大体不参加してきたのだから。修学旅行すら行けるかどうか怪しかったぐらいだ。修学旅行に行けない学生生活なんて、行けることが確定した今考えてみると、ぞっとする。私は何が楽しくて学校に通っているのか分からなくなりそうだ。
「つまらない!非常につまらない!」
 そんな、充実に飢えた私こと繰木流夢は、所属している学芸部の根城、図書室で叫んでいた。「またか」と、呆れたように友人の尾瀬湊が苦笑していたが、私はそれを気にも留めない。否、湊に無理やり話題を振る。
「よし、其処で学芸部らしく読書している湊さん!私の生活に潤いを与える職務を任ずる!」
「無茶言うな」
 『面白いことをしてくれ』を、回りくどくかつ偉そうに言ってみたら即答で断られた。冷たい友人である。少しは考えてから断ってくれたっていいと思うのに。
「あー、あれだ。あれ」
 男っぽい口調の湊は、仕草も男っぽく、頭をガシガシと掻きながら言った。
「人に頼む前に自分で楽しくなるようなことをしたらいいだろ」
 当たり前のことを言われた。当たり前のことを言われてなんとなく腹が立った私は一言物申すことにした。「そんなこと出来ていたら今頃湊に職務を任命していない」と。
「あー、うん。そうだね」
 結果軽く流された。職務を全うしてくれる気は皆無のようだ。とある風邪薬からやさしさを分け与えてもらえと言いたくなる。流されそうだから言わないけれど。自分でも無茶を言っていることは重々承知しているし。
「さて、そろそろ閉館時間みたいだから帰ろうぜ」
 湊はずっと本を読んでいたのだが、同時に時計も確認していたらしい。視野の広い奴だ。私はまだ帰る気はなかったのだが、勤務時間を越えて司書さんにここに留まってもらうのは申し訳なかったため、しぶしぶ帰ることにした。
 また明日。と、手を振りながら湊と別れる。私は自転車で、湊は車だ。
 入院して随分体力が落ちてしまったが、なんとか自転車で登下校するくらいのことは出来るようになった。自分で出来ることが増えていくのは気分がいい。
 自転車をこぎながら私は思考を巡らせていた。何か、自分の生活に潤いを与えられるようなことは出来ないのか。せめて、文化祭が近いのだから特別なことが出来ないのか。結局、家に着くまでの二十分間、私はそのことだけを考えていたというのに、何一つ思い浮かぶものがなかった。発想力のなさに絶望した。絶望したところで何になるというわけでもないが。
「思い浮かばないものは仕方ないな。うん」
 自転車を置いて、独り言で自己解決しながら私は思考を放棄した。明日誰かが何らかの事件を起こしてくれることを期待することにしよう。大体私はこんな感じだ。だから充実しないのかもしれない。気付いたところで直す気はさらさらないが。

 それから三日後。今を生きる私にとっては今日になる。
 朝だというのに下駄箱がざわついていた。低血圧の私にとっては優しくない。非常に優しくない。
 ざわつきの中には、湊も混ざっていた。こいつが私よりも早く学校に来ているなんて珍しい。
「……おはよう」
 私の下駄箱の目の前で突っ立っていないで早くどいてくれ。と、目で訴えながら湊に話しかける。私の無言の訴えが通じたのかどうかは分からないが、湊は一歩横に動いてくれた。良かった、良かった。
「おはよう、流夢」
 そう言いながら、湊は私の手元。つまり下駄箱をじっと見つめていた。この視線は不自然極まりない。
「……私の下駄箱に何か?」
 大の靴好きというわけでもあるまい。私の汚くなった上履きとローファーを見ても何も楽しいことはないはずだ。
「いや、お前の下駄箱には何も入っていないのかなと思ってさ」
「何もって?」
 湊の下駄箱には何かが入っていたような口ぶりである。もしや、ラブレター?いやいや、今のご時世、そんな古風な手段を使う輩なんて居るはずがない。
「俺の下駄箱、こんな紙が入っていてさ。なんか他もこんな紙が入っていた人がちょこちょこいるみたいなんだ」
 持っていた紙を私に差し出しながら湊は言った。A4の紙に、ワード文書で作成したような文章がずらずらと書かれている。内容は、この学校にまつわる怪談話のようなものだ。これが面白いかどうかはイマイチ判断できない。微妙だ。
「へえ……古紙を使っている辺りエコだね」
 文の内容にも、下駄箱に入れられていた事実にも関係ないような感想を言ってみた。湊は無反応だった。つまらない。
「俺としては、他の怪談も読みたいんだよね」
「面白い?」
「割と」
 私が微妙と評した文章を、湊は割りと面白いと評価した。人の価値観は多種多様だと思った瞬間である。ただ単に怪談が私の好みではないだけかもしれないが。
「じゃあ、また放課後」
 階段の手前で湊と別れた。私たちの教室は、学校の対角線上にあるといっても過言ではないほど、離れた位置にある。同じ学年だというのに、この学校はどうしてこう変な作りをしているのだろう。……なんていう愚痴は置いておくことにして。私は自分の教室、二年四組がある四階まで昇る。四階まで上がるといきが少し上がっていた。この階段は何度昇っても慣れない。足の筋肉もなんとなく悲鳴を上げていた。情けないと言われたらそれっきりだ。
「あ、繰木さん」
 二年五組の教室の前を通り過ぎて四組の教室へ入ろうとすると、呼び止められた。呼び止めたのは佐倉柚子。一年生のときクラスが同じで仲良くなった五組の子である。
「その紙、繰木さんも?」
 柚子は私が手に持っていた紙、すなわち湊から譲り受けた怪談の書かれた紙を指差して言った。
「いや、これは湊の」
 分捕ったが正しい表現であることは黙っておくことにした。私はそんな乱暴ものではありませんよと、表面上だけでも取り付くって置く。
「湊さんかー。なんか、これに書いてある怪談色々バージョンがあるみたいでさ、見させてもらってもいいかな?」
 「いいともー」と、軽く答えながら紙を渡す。最初の一文だけ読んで、柚子は「ごめん、これ読んだわ」と返してきた。返ってきた紙を、スクールバッグから取り出したファイルに仕舞いながら、「これ、どう思う?」と尋ねてみた。
「んー?話は結構面白いけど、私は何より書いた人が気になるかな」
 この続きの言葉を予測しながら、私は柚子の次の言葉を待つ。
「だからさ、犯人捜し、一緒にしてみない?どうせ暇でしょう?」
 柚子の言葉は笑えるくらい、予測どおりだった。だから私は、予め用意してあった答えを言う。
「いいよ。面白そうだから」

 犯人探しは放課後から本格的に始まった。
 学芸部の根城である図書室に、私と柚子は向かい合って座る(湊はバイトが有ると言って、急いで帰った)。机には、下駄箱に入れられていた文章達が置かれていた。柚子が、クラスの人から回収してきたらしい。その総数は十枚ほどで、七種類に分けられている。
「まず、この怪談って一体何種類あるんだろうね?」
 一枚を手に取りながら柚子は言った。「さあね」と、適当に答えながら私は九枚の紙に視線をやる。七つの怪談。どれも私達が通うこの学校に関連した話になっていて、そのほかの共通点と言えばどの話も必ず人が死んでいるということだろうか。しかし、これは大体の怪談に共通するようなレベルのものだから、『犯人探し』の手がかりにはならないだろう。
 私は推理小説等のジャンルが好みだ。ゲームでも、そういう類のものを買う。だから、今やっている『犯人探し』なんて簡単に出来るものと思っていたけれど、案外進まないものだ。当たり前か。解くことを前提としているフィクションと、そうでないリアルには大きな壁があるのだ。是非ともその壁を打ち破って私もフィクションの世界に飛び込みたいところだが、そんなことが出来るはずもない。そうだと分かっていたとしても、努力が必ずしも報われるとは限らないリアルとおさらばする夢は見続けたいものだ。何度でも言うが、叶うとはこれっぽっちも思っていない。
「ん?」
「どうしたの?」
 九枚の紙、正確に言うとすれば、七つの怪談とにらめっこしていたら、ふとある考えが浮かんだ。
「怪談が七つで、学校に関連している」
「うん、それは見れば分かるよね?」
 気付いたことをクイズ形式にして柚子にも気付いてもらおうという、私なりの粋な計らいは少し苛立った声により無しになった。残念だ。
「で、それだけ?」
 催促されてしまったため、仕方なく素直に気付いたことを言う。
「これ、実はこの学校の七不思議なのかなと思いまして」
 七不思議の王道とも言える『トイレの花子さん』が無いところに遺憾の意を伝えたいが、この学校にはそんな七不思議がないかもしれないので抑えておく。
「でもさ?」
 そんな私の意見に、柚子はごもっともな反論をした。
「まだ怪談が七種類と決まったわけではないよね?」
「まあね」
 残念なことに、他にも怪談があるかもしれないという可能性が残っている限りは、私のこの説はどうしようもなかった。まあ、これがこの学校の七不思議だと分かったところで犯人に結びつくとは思えないが。
「七不思議か……」
 そういえばつい最近、学芸部で全校生徒を対象にアンケートを行った。文化祭の展示で、学校の七不思議をやってみたいという希望から行われたものだ。最後に学芸部に対する要望等を訊いてみたけれど、散々な回答ばかりだった。学芸部に対して『何部?』は無いだろうに。
 閑話休題。そのアンケートがどうしたという話だが、アンケートを集計した結果、全校生徒が知っているこの学校の七不思議は七つを超えていたのだ。中には、『七不思議が七つ以上ある』なんてものまであった。一体この学校にはいくつの七不思議があるのやら。そこは、今は全く関係のない話だが。
 七つの怪談に目をやる。記憶をめぐらせながら、私は柚子に尋ねた。
「今、アンケートの集計結果って持っているかな?」
「アンケート?」
「そう。アンケート」
「持っているよ。はい、これ」
 柚子は首を傾げつつも、直ぐにスクールバッグから一枚の紙を取り出して私に手渡した。
 アンケート集計結果に目を通しながら、もう一度七つの怪談にも目を通す。私の思った通りだった。
「犯人は学芸部員なのかもね」
「え?」
 私の口から出た一言を、柚子は理解できなかったようだ。当たり前だ。私は何の説明もしていない。
「アンケートで挙がった七不思議と、ここに有る七つの怪談の内容が一致しているのだよ」
 わはははは。と、得意げに笑いながら私は言う。私の説は間違えてなど居なかったのだ。それどころかど真ん中ストレートだったのだ。
「おお、本当だ……」
 柚子は感心したように呟いた。いやあ、流石私。結局ゲームと同じようにさくっと手がかりを見つけ出すなんて。……自画自賛したことにより、私の凄さが無に等しくなった点については、無視しておくことにする。
「はっはっは、この私のおかげで六百人ほどいた犯人候補が三十人程度に絞られたぞ。感謝するがいい」
 それでも私は自画自賛をやめない。むしろ、さらに偉そうな態度をとる。この行動に意味とか意図とかは全くと言っていいほど無い。ばっさり言うと、皆無だ。
「うんうん、凄いからそのまま犯人までわりだしてね」
 調子に乗った私に対し、柚子はそう言い捨てて、帰りの支度をし始めた。時計を確認してみたら、そろそろ図書館の閉館時間だった。常に時間を気にして行動することは素晴らしいことだ。
 荷物を持って、昇降口へ行く。十月も終わりに差し掛かっていると、日が沈むのが早い。外は既に薄暗くなっていた。ついでにもの凄く寒い。
 これから自転車で帰るのが嫌だなと思いながら、自分の下駄箱を開く。
「……あり」
 下駄箱の中には、ラブレターではなく例の怪談が書かれたA4サイズの紙が入っていた。一瞬目を通してみると、既に見つかっている七つとは違う話が書かれているようだった。
「柚子に預けておくよ。八つ目だ」
 学芸部は基本的には帰宅部みたいなものだ。ここから犯人を搾り出すのは難しいかもしれない。そんな事を思いながら、私は柚子と別れて帰路に着いた。

 次の日。翌日。ネクストデイ。今を生きる私にとっての今日。の、放課後。「犯人が分かったかもしれない」という、柚子からのメールを受けて、私は図書室に訪れていた。……別に、メールが来ていなかったとしても私は図書室に行くつもりだったのだけれど。
「随分と早かったね」
 図書室について、柚子の姿を見るなり私は言った。犯人探しをしようと言い出してからまだ一日しか経っていない。これで本当に犯人を言い当てたら、将来の職業の候補に『探偵』と入れることを勧めておこう。勿論冗談だ。
「うん。大半は流夢ちゃんが教えてくれたからね」
 一息ついてから、柚子は口角をにっと上げて言った。

「ずばり、犯人は流夢ちゃんです」

「ん?」と、私は間の抜けた声を出した。いきなり指名されるとは思っていなかった。吃驚した。
とりあえず、いきなり探偵サイドから犯人サイドへとシフトチェンジをしてしまった私は、「証拠は?」と訊いてみる。一層犯人らしくなってしまったような気がした。
「昨日、『犯人は学芸部にいるかもね』みたいなことを流夢ちゃんが言ったから、学芸部誌を持ち帰ってみたんだ」
 そう言いながら柚子は、去年の文化祭で発行された学芸部誌を私に見せた。私は無言で話の続きを促す。
「それで、文章の書き方を比較してみました」
「文章の比較?」
 部誌がどうかしたのかと思ったら、そんなことに使われていたのか。
「文章ってやっぱり、その人の癖がでるじゃん?筆跡と同じぐらいに。だから、誰の書き方と似ているか見てみたの」
「それで、私と書き方が同じだったと?」
 それは果たして証拠と言えるのか微妙な点である。確実に一致ではなく、似ているというだけなのだし。まあ、その辺の事情はこの遊びには無用だが。
「うん。まず、三点リーダの使い方が同じだったよ。私もだけど、皆三点リーダを奇数で使うのに対して、流夢ちゃんだけ偶数で使っているよね?」
「それが文章を書くマナーだからね」
 ネットの人に指摘されて、初めて知ったことだが。
「この怪談全部も三点リーダが偶数で使われていたよ。しかも、語尾の使い方なんかもそっくり……っていうか、同じだった」
 私が書いた小説のページをご丁寧に見せながら柚子は言った。私は、自分の書いた小説を見たくなくて目をそらした。
「それから」と、柚子の推理はまだ続く。否、まだ始まったばかりだ。
「アンケートの集計って、クラスごとの集計は皆で手分けしたけど、学校全体の集計は私達三人でやったよね。流夢ちゃんと、湊さんと、私。その中で、私は自分が書いていないことを知っているし、湊さんは小説を全く書かないから、後は流夢ちゃんしかいないかなって」
 なるほど。と、納得してしまった。確かに筋の通った推理だ。しかし、私にも言い分というものがある。
「でも、私が犯人だったら昨日の紙はどうじたらいいのかな?」
 私は柚子と図書室で会話をしていた。その状態で自分の下駄箱にあの紙を入れるなんて不可能だ。それは柚子自身が証明してしまっている。
「それは、湊さんが流夢ちゃんに頼まれてやったんじゃないかな。だって、湊さんのバイトは土日しか無いもの」
「おお……」
 これはやってしまった。そう言えばそうだった。知らない間に私は墓穴を掘ってしまっていたようだ。
「後は後付なんだけど、七不思議の発想に至るまでが早すぎたと思うし、下駄箱の中の紙なんてほとんど読まないで私に渡したのも変だよね?少しは読まないと、それが怪談なのかどうかって分からないような書き方してあったし」
 書いた張本人なら分かるだろうけど。と、柚子は悪戯っぽく笑った。私はため息をついて、手を挙げて、降参の意を示しながら「大正解」とだけ言った。
「良く考えてみたら、こんなに小説書くのなんて君ぐらいしかいないよね」
 昇降口に向かいながら柚子は言った。私はせめてその意見には反抗することにした。
「それはどうかだろう。一応、私は中学までは理数系で国語は大の苦手だったから」
「それは関係ないと思うよ」
 私のささやかな反抗は一刀両断された。容赦ない。確かに、数学のない文系の学科に所属している人間がそんな事を言っても、関係があるように思えないけれど。信憑性も無いし。
「でもまあ、なんとなく楽しめたから良いとしよう」
 ブレザーのポケットから自転車の鍵を取り出して言う。薄暗い空は、赤っぽい色とグレーに近い青のコントラストが綺麗だった。

「疲れた」
 ここまで書いて、私はパソコンから目を離した。
 今年も、文化祭で部誌を出す。私はそのための小説を書いていた。文化祭前の小さな事件の収束も兼ねて。読んでくれる人が一体何人いるのかは分からないけれど。
 文化祭が終われば、部活は私たちの天下だ。やりたいことを思い切りやって、残りの高校生活を楽しむことにしよう。
 そのために、こんな形式で日記を残してみたっていいじゃないか。