『△できたら苦労しない』


 それは、偶々小耳にはさんだ話だった。
 予感はしていた。いつかそうなる日が来るだろうとは思っていた。わかっているはずだった。しかし、いざその時が来てみると、とても動揺するものだということをシルバーは思い知った。
「…………」
 高くそびえる山を見上げる。今日も山頂付近には雲がかかっていて、恐らく吹雪いているであろうことが分かる。きっとそこには赤い元チャンピオンが今日も居座って挑戦者を待ち構えているのだろう。危険なあの場所に何年も居座っているというのは驚きだが、最早あの人は人間を卒業してしまっているのだろうと解釈してしまっているシルバーは、そこに関しての心配は一切しない。精々、そこに定期的に通うグリーンを尊敬するぐらいだ。
 ヒビキは、今日からそんなところに行こうとしている。



「…………まてよ。これからどこにいくつもりだ?」
 答えなど分かりきっているが、分かっていてここでヒビキを待っていたのだが、シルバーは目の前を通り過ぎようとしたヒビキにそう問い掛けた。
 ヒビキは声をかけられて初めてシルバーの存在に気づいたらしく、少し驚いたような顔で、しかしあっさりと「ん、シロガネ山」と答えるのだった。
「……フン、どうせお前のことだ。シロガネ山で修行すれば、レッドさんみたいになれるなんて幻想を抱いてるんだろ?」
「おっ、すげーなシルバー。俺のことわかっちゃってんじゃん」
 シルバーの憎まれ口にも大分慣れた様子のヒビキは朗らかな笑みを浮かべながら答える。その笑顔はシルバーに苛立ちを与えるということをヒビキは知らない。
「お前みたいな奴には無理だ」静かな口調で、確かな苛立ちを隠しつつシルバーは言う。「すぐに根をあげて帰ってくるに決まってる」
「お? バトルか?」ヒビキは気付かない。「いいぜ、修行前最後のバトルだ!」
 にいっと口角を吊り上げて、ヒビキはモンスターボールを構える。シルバーもヒビキの声を合図にボールを取り出す。本気で勝ちにいくつもりだった。

 バトルは互角に進んでいく。一進一退の攻防は最後まで決着がつかず、お互いに残り一体、HPは半分以下というところまで来ていた。
 次にどういう手を打つか、そんなことを考える一方で、シルバーの頭のなかには別の思いが渦巻いていた。
「きあいだま!」
 生き生きとした表情のヒビキを見る。きっと、ヒビキが修行に行ってしまったら、もうこうして互角なバトルをすることは出来ないのだろう。恐らく追い付くことはできないだろう。そんな思いがシルバーの中に合った。
 シルバーはヒビキのことを最高の好敵手として認め始めている。やっと認められそうなのに、好敵手の背中がどんどん遠くなってしまうのは、とても悲しい。
 追い付きたいし、追い越したい。
 いつまでも、互角なバトルをしていたい。
 ぐるぐると回る思考は、徐々にシルバーから集中力を奪っていく。バトルはやがて拮抗していた状態から傾いていった。
「うっし、俺の勝ち!」
 バトルが終わると、ヒビキは心底嬉しそうにガッツポーズをした。一方でシルバーの表情は暗い。ヒビキはそんなシルバーの表情をどう受け取ったのだろうか。
「……、クソッ」
 シルバーは嬉しそうなヒビキになにも言えず、背を向けて何処かへ行ってしまう。
 声をかけて、ヒビキを引き留めるとか、一緒にシロガネ山に行くとか、そういう選択肢もあった筈なのに、シルバーはそれらを捨てる。そんなことが出来るのなら、今頃こうして苦労はしない。

「…………また、いつかな」
 どんどん小さくなっていく背中に、ヒビキは寂しそうに呟いた。



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