俺は自分の名字が嫌いだ。理由は二つある。
一つ目に、格好悪いから。小学生の頃は一時期“ヘタレ”というあだ名でからかわれた。あれは本気で嫌だった。小学生は地味に陰湿で残酷だ。
二つ目は、親が嫌いだから。特にあの父親。あの人と同じ名字で呼ばれるというのが、当たり前なのだがどうにも耐えられない。そうなったキッカケはもう忘れたけれど。
あの人はあまり家に帰らない。“仕事”で忙しいらしい。その仕事と言うのは、治療師の仕事で、世界中の人の魔術で怪我や病気、精神を治すため各地を飛び回って居るらしい。偽善活動にしか思えないが。
父親は治療師の中でも五本の指にはいるほどの凄腕だそうだが……実際どうなんだか。母はいつも『お父さんみたいな治療師になりなさい』と言うけれど、俺は正直全く無かった。生憎他人のために身を粉にして世界を飛び回ろうと思う善人の心は俺にはない。

そんな俺が、治療師を目指すキッカケとなる出来事が起こる。誰も信じてくれないだろうけれど、というか俺ですら半分信じていないのだけれど。
今から三年前の、嘘みたいな本当の話。





中学二年生の春、一人の少女と出会った。
名前は夜糖かこね。
糖と書いて『あみ』と読むのが、当時の俺には理解できなかったがまあどうでもいい話だ。世界には戸垂田なんて名字もあることだし。
そいつは俺より数ヶ月年下の癖に、言葉遣いがヤケに大人ぶった生意気な奴だった。

新学期。俺と夜糖が隣の席になると、何故か夜糖はしつこくしつこく俺に話しかけてきていた。
因みに第一印象は最悪。
以下が初めての会話なのだけれど、これで良い印象を抱く奴を俺は見てみたいものだ。
『へたれ・たこさか……さん?変わった名前だねー。よろしく、戸垂君っ!』
『俺の名前を変なところで句切るんじゃねえよ!ヘタレとか言うな、アホッ!!』
『え?じゃあ……タコ坂君、でいいのかな?』
『むしろなんでそれでいいと思ったんだよッ!!俺は、へたれた・こさかだ!』

俺はこういう無礼な奴を大抵敵視することにしているのだが、話していくと夜糖は別に悪い奴じゃ無さそうだった。しかし何というか……非常に賑やかな性格なのだが、時折存在感が薄く、儚げな印象を受けることがあった。体育の授業を常に見学しているからかもしれない。
一見余り目立たないが、彼女は右足に包帯は巻いていた。歩くことはできても走ることは出来ない状況らしい。中学に入った時点から夜糖は既にそんな状況で、今も全く治る気配が無いという。
体育や部活動でみんなが自由に走り回って居るのを、夜糖はいつもとても悲しそうな眼で見ていた。
「…………また、走れるようになりたいなぁ……」
「…………」

その日、久しぶりに父が家に帰っていた。
その時、俺はトチ狂って居たのかもしれない。偶然、夜糖の独り言を聞いただけなのに、俺は大嫌いなその人に、言いたくも言う気も無かったことを言った。

「…………父さん。怪我を治す、魔術を教えてほしい」

魔術は勿論直ぐに使えるようにはならなかった。毎日毎日練習しても、成功する気配すら無かった。
元々軽い気持ちでやっていたことだし、やっぱり諦めてしまおうかと思った。でも…………

「私、此処には夏休み前までしか居られないんだ」
それは突然の告白だった。
「転校ってことか?」
「……うん。そんなとこ」
曖昧な返事に疑問を抱いたけれど、もうすぐ夜糖が居なくなると言うことは分かった。それなら、居なくなる前に意地でも治したい。

夏休みまで、あと七日。
六日。
五日。
四日。
三日。
二日。
一日まで来て、やっと魔術が発動するようになった。後はもうぶっつけ本番になってしまうし、出力不足になるかもしれない。それでも、魔術の発動は俺に自信を与えた。

次の日の放課後、近くの公園に夜糖を呼んだ。空が綺麗なオレンジ色をしていた。
「どうしたの?こんな所に呼び出して。……まさか、これが告白って奴なのかな!?」
「……感謝しろ。お前の足、俺が治す」
キャーキャーと馬鹿なことを言う夜糖を無視して、得意気に言ったら、ポカーンという顔をされた。なんだこの間抜け面は。
まあ、置いておこう。
俺は覚えたばかりの魔術を使うことにした。教えられた通りに、心の中で呪文を唱える。

眠れぬ夜に静寂を。
朽ちゆく花に生命を。
帰らぬ心に魂を。
動かぬ時に再生を。

「奥義、メスッ!!」
「…………!?なにそれぇぇぇぇッ!!!」
肝心の決め台詞がダサかった。お陰で笑われて、今まで格好付けたのが台無しだった。
し、仕方ないんだ!最後は心に浮かんだ言葉を叫べって言われたんだから!で、出て来たんだから!!
「あははははははっ!!って、アレッ……な、な、治ってるぅぅぅぅッ!!ギャハハハハハハハハッ!!」
「五月蝿い爆笑しすぎだ!もういい俺は帰るからな!!」
結構頑張ったのに。もっと感動的になるはずだったのに。
なんかちょっと虚しいし恥ずかしくなったから背を向けて帰ろうとした。と、そこで夜糖に引きとめられた。

「ありがとう、小坂」
笑顔だった。
「べっっっっつに、お前の為じゃねえし!!」
何を言っているんだ俺は。
そんな俺に構わず夜糖が何かを呟いた。

「……本当に、まさか治るとは思わなかった。これでもう悔いはないよ」

聞こえるか聞こえないかの小さい声で、俺はうまく聞き取れなかった。
俺はもう一度振り返った。
そこには誰もいなかった。
「…………?」





私は中学生になる直前に、交通事故にあった。
その時右足がどっかに行って、そのまま私は死んだ。
もう一度人間になれば、右足が戻ってくると思っていた。だから特別に許可を得て地上に来た。
でも、戻った右足は動かなかった。
ある時、ある男の子に出会った。
なんか口が悪い、生意気な奴だった。
その子が私の足を治すと言った。
治るわけないと思った。たかが、中学生だもの。
でも、治った。綺麗に包帯が消えて、久しぶりに自分の右足をみた。
素直に嬉しかった。
それが、私が死んでから地上で居られた最後の日のこと。





中学を卒業してから、行きたい高校があるという名目で家を出て、一人暮らし始めた。実際は高校へ行かずに一人で治療師の勉強をしている。なんとか、免許をとることはできた。

その日は雨が降っていた。俺は何となく夜糖の事を思い出していた。あの、幽霊のことを。
今思えば多分俺は彼奴のことが好きだったのだろう。だから、あの時躍起になったのだし、今も勉強を続けているのだ。

「すみませーん」
と、誰かが訪ねてきた。
俺は思わず読んでいた本をバサリと落とした。何故なら、聞こえた声が夜糖のものだったから。
でも、彼奴は……あれ?
急いで玄関へ走ってドアを開ける。心臓が早鐘を打っているのがわかった――――……

玄関に居たのは、夜糖ではなかった。当たり前か。
でも、どことなく面影がある、背の高い女だった。……こいつは金髪で、夜糖は黒髪だったけれど。
女は斑な模様のローブを着ている。

「今晩、僕を泊めてほしいんだけど」

俺の人生は、次にここから分岐する――――……


―end―



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