鳩尾に拳がモロに入った音無さんは、朽ち木の如く吹っ飛んでいった。 「あッ……がはッ…………」 「ギャァァァァッごめんですだ音無ぃぃぃぃ!!」 地面に転がり、鳩尾を押さえ呻く音無さんの元へ、仙人さんが駆け寄った。音無さんはやはり胃液を少し吐いている。いや、あの一撃を食らっても胃液を吐き出さない方が異常だとは思うけれど。 「すまんですだ!ちょっと本気を出しちゃったですだ!」 必死に謝る仙人さんに、音無さんは腹を押さえながら掌を突き出して応えた。苦しそうにゼー……ヒュー……と呼吸をしている辺り、まだ喋れなさそうだ。
「と、とりあえず帰ろうですだ!音無は小坂に一応見てもらって、儂は怒られようですだ!!」 仙人さんがかなり慌てていた。どれだけ本気を出してしまったのだろうか。いやはや恐ろしい。 「だ……い、じょう……ぶ……ですよ……」 そんな仙人さんに、音無さんは苦しそうに力無く微笑んだ。勿論、全く大丈夫そうには見えない。むしろ何が大丈夫なのだろうか。
「……よし、……もう一度……お願い、出来ますか?」 息を整えながらフラフラと音無さんは立ち上がった。もう一度お願い出来ますか?ではなくて、小坂君の所に連れて行って下さいと言うべきなのだと思うのだけれど。やせ我慢は良くないどころの話じゃないと思うのだけれど。 「……分かったですだ。そう言うなら、儂はさっさとお主を気絶させて小坂の所に連れて行くですだ」 おかげで目的がすっかり変わってしまっていた。別に気絶させなくても、仙人さんが無理矢理引きずっていけばいいだけの話しだと思う。……まあ、そんな事を言った所で仙人さんが聞く耳を持たないのは百も承知だ。まだ少しの間しか一緒に居なくても、それぐらいの事は分かる。熱血過ぎるのも考え物かな。
「今……度は、僕から、行きますね」 音無さんはそう宣言すると、体勢を低くして思い切り仙人さんに突っ込んでいった。所謂、体当たりだ。でも、動きが単調過ぎて簡単にかわされてしまう。当たり前だ。音無さんは肩で仙人さんの後ろにある木にタックルをする形となった。 「――……『神姫四札』《アリス・トランプ》――……『鎖ノ罠』《チェーン・トラップ》――……『回宙刃』《ジャグリングナイフ》」 その瞬間に音無さんが三つ詠唱するのを私は辛うじて聞き取った。肉弾戦だと言ったのに諦めて魔法を使おうとしているのだろうか?いやいや、そんなのは卑怯過ぎるし何にもタメにならない。 ――違う、音無さんは仙人さんに向けて詠唱した訳じゃない。木に向けて詠唱したんだ。当然、木は音無さんの攻撃に耐えられる訳もなく折れて、仙人さんの頭上に倒れてくる。 「お、お、お、お、おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉッ!!」 倒れる木を避ける仙人さんへ、音無さんが叫びながら突っ込み体重とスピードの乗ったパンチを繰り出した。
「……はは、やっぱり仙人さんは強いですね…………」 「いしし、まだまだこれからですだ」 パシィンッと乾いた音を響かせて、仙人さんは音無さんの拳を受け止めた。それに苦笑する音無さんの首の後ろを、仙人さんは拳を受け止めていない左手で手刀を作り、軽く叩いた。音無さんは難なく落ちる。 宣言通り気絶させた訳だ。
「……さて空美、空間移動で運んでくれですだ。……今ので右手が痺れたですだよ」 左半身で音無さんを支えながら、仙人さんは右手をぶらぶらと振った。よく見ると手が真っ赤だ。 「大丈夫ですか?」 「まあ……大丈夫ですだ。此奴、思い切り拳に魔力を込めたですだよ」 心底楽しそうに仙人さんが笑った。とことんバトル脳だ、この人。 でも、次に言う一言は私を喜ばせた。
「若干猫神の魔力も混ざってた気がするですだよー。もしかしたら、もうすぐ目覚めるかもしれないですだな」
・ ・ ・
「暴れていいって言ったとたんにこれかよ!!」
家に帰ると、第一声にそう怒られた。 「大丈夫ですだ!多分骨は折れてないですだよ」 「だからってなんで気絶してんだよ!」 もっともな指摘だ。気絶させる必要まではなかった。 「……澄ました顔してるけどお前も同罪だからな」 「わ、私は何もしてないじゃないですか!」 「止めなかった時点で同罪だ」 「止められると思いますか!?」 「思わない」 何故か私まで怒られた。理不尽だ。ふてくされて小坂さんから視線を外す。ふと思った。 「やっぱり今日も雪乃さんは出て来ませんか……」 あの日から、雪乃さんは猫さんの元から決して離れようとはしなかった。要は絶賛引きこもり中である。 「……彼奴は猫神と気流子しか眼中に無いですだからな」 珍しく仙人さんが不機嫌そうな顔をした。顔だけじゃなく、声も不機嫌そうだ。 「本当に、奴は嘘吐きですだ」 吐き捨てるように言って仙人さんは何処かへ行ってしまった。
確かにあの人は嘘吐きだ。だからこそ、心を読める猫さんと親友なのだろう。……あれ?もしかして…………。
「多分、雪乃さんって凄く可愛い人なんでしょうね」
そう考えると、頬が緩んでどうしようもなくなってしまった。
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