その日も念の為たっぷりと休んで次の日。僕はいい加減足りなくなった食糧や消耗品の買い出しのため、久し振りに街に出た。 油断大敵とはよく言うが、今の僕には戦う魔力は無いためナイフもいつものマントもない。あのマント、この時期は暑いし蒸れるのだ。まあ、流石に街中で騒ぎを起こすほど組織も派手好きじゃ無いだろうし、大丈夫だろう。 なんて事を思いながら鼻歌混じりに僕は歩いていた。……嗚呼、平和って素晴らしい。
少し歩くと、人通りがほとんど無い道のど真ん中で突っ立っている人を見つけた。 「えっと……箸を持つ方が西でお茶碗を持つ方が東?」 「…………」 大丈夫だろうかこの子は。 というか僕はこの子に見覚えがあった。 キャップの上にパーカーのフードをすっぽり被って首にヘッドホンをかけている女の子。確か、一番最初に僕を襲おうとした二人組の片割れで、名前は確か…………。そうだ、紫時雨……時雨さんだ。 時雨さんは右手と左手を交互に見ながら首を傾げていた。 この場合、僕はどうしたら良いのだろうか。いくらこんなほのぼの(?)とした空気でも、相手は僕を殺そうとする組織の一人である。 しかし、こんなすっとぼけた独り言を呟いている女の子を放っておくのも如何なものかと思う。これで僕が見捨てたばっかりに迷子に……なんていうのも後味が悪い。 「困った…………」 今この場で戦うなんてなったら一貫の終わりだ。僕はあっさりと死ぬだろう。それは今後の世界を考えたらいいことなのだろうけれど、僕はもう、抗う事にしたのだ。そう易々と死んでたまるか。 多分というか、絶対今時雨さんが僕に気付いたら僕は殺しにかかられる。人通りがほとんど無い此処なら、うってつけだろう。そう考えたら僕は気付かれる前に家に逃げ帰るべきなのだろうけれど、困っている女の子を見捨てたら漢として死ぬ気がする。
「あ」 「あ」 なんて事を考えていたら、時雨さんが後ろを振り返り僕に気付いた。 「え、えっと……」 嫌な汗が流れる。足は固まってしまったかのように動かない。そんな僕に、時雨さんは一歩ずつゆっくりと近付いてきた。 「……嘘誠院、音無…………」 「な、なんですか」 紫色の瞳が僕を見る。僕は動けないまま返事をする。言葉のキャッチボールは大切だ。
「…………ケーキ屋は、何処?」 「…………」
次の時雨さんの言葉が全く予想だにしていなかったせいで、キャッチボールは途絶えてしまったけれど。
・ ・ ・
「えっと……ケーキが好きなんですか?」 「……ロールケーキが一番」 「…………今度、美味しいロールケーキのお店でも紹介しましょうか?この辺は詳しいですから」 「本当ッ?」
少しずつ会話をしながら、僕は時雨さんとケーキ屋へ向かっていた。どうしてこうなった。どうしてこうなった!どうしてこうなった!! 組織は僕を殺そうとしているのでは無かったのだろうか。どうして僕は組織の人と会話をしながらケーキ屋へ歩いているのだろうか。考えれば考えるほど訳が分からなくなって、とうとう聞いてみた。 「あ、あの。僕を殺すんじゃ無いんですか?」 殺されないに越したことは無いけれど。 ぱちくりと瞬きをしてから、時雨さんは答えた。 「……今日私は仕事じゃない」 「仕事じゃない?」 「……ロールケーキの為にきた」 「…………」 「だから、武器はなにも持っていない」 「そうですか……」 時雨さんは無表情で淡々と答える。どうやら、仕事中以外では誰も殺さないというポリシーを持っているらしい。例え、ターゲットに出くわしてしまったとしても。やっぱり、組織は変な人ばかりだ。 「それに」と、少ししてから時雨さんは口を開いた。
「私は、貴方のこと気に入った」
ずっと無表情だった彼女が、フッと微笑を浮かべた。僕の印象に残り続けるであろう事は言うまでもない。
「あ、やっと見つけたよ。時雨さ……ん?」 ふと、何処からか聞き覚えのない男の声が後ろからした。 振り返って見ると、女性のような顔立ちをし、少し長い髪の毛を下の方で一つに束ねた、白い和服の人が立っていた。誰だろう、この人は。……でも、時雨さんを探していたみたいだから今度こそピンチなのかもしれない。 無意識のうちに、僕は構えていた。 「……嘘誠院音無?なんで時雨さんと一緒に…………ああ、構えなくても大丈夫だよ。俺も、何もするつもりはないから」 少しキョトンとしてから、人懐っこい笑顔で彼は僕に言った。 「俺は風見風。よろしくね?」 敵によろしくされてしまった。なんだこれ。組織は僕の敵じゃ無かったのか。
「そんな事よりもダメだよ時雨さん。勝手に抜け出して来たら」 「…………ロールケーキ」 「ロールケーキが好きなのはわかるけど、桜月に怒られるよ?」 「……桜月のケチ」 「ダメな物はダメだからね?」 「ロールケーキ」 時雨さん勝手に抜け出してきていたのか。そして、最初に時雨さんと一緒にいたあの人は保護者なのか。なんだか小坂君と同じ香りしかしないのだけれど。 風君は時雨さんを説得しながら帰ることを促しているけれど、段々時雨さんの機嫌が悪くなっているのが分かった。殺気立っているのが僕にもわかる。どんだけロールケーキが好きなんだ。 「困ったなぁ」と、風君は呟きながら時雨さんの頭を撫で始める。 「今日は我慢してよ、ね?時雨さん」 優しい声で風君が時雨さんに囁くと、何かが切れたように時雨さんは風君にもたれかかった。顔を見てみると、どうやら寝ているらしい。 一体、今の一瞬で何が起こったのだろうか。彼は、何をしたのだろうか。 「簡単だよ。俺の能力は精神に作用するんだ」 時雨さんを抱きかかえながら風君は微笑を浮かべて言った。 「それから、悪いんだけどさ、今のことは秘密にしてて欲しいんだ。俺達は君に出会わなかったし、君は俺達に出会わなかったってことに、ね?」 否定する理由もないため、僕は了承した。そして僕達は別れた。
それからも、平和な日常は破られることは無かった。 こんな日々が、何時までも続くことを祈りながら、僕は一日一日を過ごしていった。
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