空気には飽和水蒸気量がある。温度が上がれば飽和水蒸気量は多くなるし、逆に温度が下がれば飽和水蒸気量は少なくなる。 では、飽和水蒸気量からはみ出てしまった空気中の水分はどうなるのか? 簡単だ、水滴となる。それだけだ。 これは一般人の中学生が必ず習う知識。学校に通わない僕が何で知っていたのかは分からないけれど、たまたま覚えていて良かったと思った。
そう。僕は氷で急激に室内の温度を下げたことで、霧を作ることに成功。そして、霧で二人の視界を遮りなんとかその場を離れたのだ。 あれをやるには、外に出なければいけない。しかし、玄関には元お母さんが居る。なら、何処から出るか。 僕は裏口から出るなんて丁寧なことはせずに、走るスピードを緩めないまま目の前の窓へ突っ込んだ。 ガラスにぶつかる時に氷で先にガラスを割って置いたため、勢いよく家から脱出することが出来た。 右頬に鋭い痛みが走ったけれど、左腕が無い今そんな痛みはへでもない。 ゴロゴロと転がりながら地面に着地すると、僕は少しでも時間を稼げるように家から離れたところに隠れることにした。
とはいえ、あまり離れたところに行けるわけではない。左腕消失は余りにも大きかった。 只でさえ体力が無いのに、痛みと出血で身体が思うように動かない。走れない。 結局僕は、家から10メートル程離れた所にある大きな岩の影に身を潜めた。これでもよく頑張って走ったと、自分を褒めたいぐらいだ。
これから僕がやろうとしている魔術『雷憑り』は、自らを生け贄にすることで雷を身体に宿すものだ。ここは、八百万の神を信じるのなら、別名『雷神憑り』と言うらしい。つまり読んで字の如くだ。雷神を、憑かせる。 「『我が身に力を与えるならば雷の神へ我が血肉を捧げん……今、我が身に雷が降り立つならば永久にこの身を捧ぐ』…………」 今詠唱をしておいてなんだけど、多分というか絶対これは、神と契約する類のものだ。何気に禁忌っぽい香りもするけれど、このまま死ぬぐらいなら喜んで禁忌を犯そう。 誰かの目的のために道具として使われるなんて御免だ。 それに、僕らの日常を潰したあの男……個人的にいけ好かない。あちらも徹底的につぶしてやろう。一族の大人たちを殺して利用しようとした、恨みだ。
「『神卸しの儀』!!」
詠唱が終わると同時に、雷が僕に直撃した。 一瞬身体が砕けたかと思ったけれど、それは膨大な魔力が僕の中に入り込んできたことによる現象だったようだ。しかし、痛みが収まった訳ではない。 「ぐ、う、う…………」 僕の魔力と今入り込んできた魔力の潰し合いが始まっていた。息をするのも苦しい。
「おやおや……黒髪のお嬢さんが金髪の怪物に…………雷神を卸してまだ生きてるとはねぇ…………」 いつの間にかあの男が僕の目の前に立っていた。 「誰……が、怪物、だ!!」 痛みに堪えるのに必死で感情のコントロールが効かない。頭のどこかはなぜか冷静で、家が氷漬けにならないといいなと考えていた。感情的になるといつも何かを壊すのだ。多分魔力がコントロール出来ていないと思うのだけれど。
「そうですねぇ……これがまさにバケモノですよねぇ…………」 男がヘラヘラと笑う。僕は絶句した。 何故なら、男の左腕とその後ろにいたお父さんが無くなっていたから。残ったのは黒く焦げた跡だけ。 「一撃でこれはチートの香りしかしませんねぇ……いやぁ、流石神だ。……神を抑えるにはまず貴方から……ですかね」 これは預かっておきますよと、腕が消失したにも関わらずヘラヘラと笑いながら男は言った。 瞬間、全身の力がガクンと抜けて、何かの消失感が生まれる。 「おま……え、なにを、した…………?」 麻酔でもかけられてしまったかのように上手く喋ることすら出来なくなってしまった。 「ふふふ、大切なものを頂いておいただけですよ……取り返したければ私達を是非潰しに来てくださいね……?それまで、あなた方のお母様が殺人マシーンとして働き続けることもお忘れなく…………」
そう言うと男とお母さんだったものが消えた。 同時に僕の意識も消えていった。
・ ・ ・
目が覚めると、そこは見慣れた天井だった。 「…………ああ」 起き上がろうとして、上手く起きあがれない。直ぐに左腕が無いせいだと気付いた。 あの時の記憶は明確に覚えている。 ……そういえば今はいつだろう?
「お姉ちゃぁぁぁぁんッ!!」 「ぐおおうッ!?」 なんとか起き上がったところで、流亜に抱きつかれ押し倒された。せっかく起き上がったのに! 「二日も目を覚まさないしうなされてるから凄く心配したんだよ!?しかも黒髪が金髪に変わってるし!!うわぁぁぁぁ!お姉ちゃんが不良になっちゃったぁぁぁぁ!!でも似合う不思議!!」 「……おお、ほんとだ…………」 あの男にも言われたけれど、本当に僕の髪の毛は金髪にカラーチェンジしていた。 まさかとは思うけれど、雷神を卸したのが原因だろうか……?確かめる術は無いのだけれど。
「もう、二日経っているんだね……」 僕が復讐しにいくまでお母さんだったものが殺人マシーンとして働き続けると言っていた。僕のせいで人が死に続けるわけだ。 偽善者になったつもりは無いけれど、なんとなく気分が悪い。 それに、僕は何かを取られているのだ。この消失感をどうにかしたい気もする。 一体何を無くしたのかは分からないけれど。
「……家出、か」 やらなきゃいけないことは一応出来てしまった。 落ち着いたら、こっそり家を出て旅に出るとしよう。外の世界も見てみたい。
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それから二日後、僕は無事家出に成功し、けじめとして髪をバッサリと切ることになる。 あの時奪われたのが『哀』という感情だという事を知るのはもう少し後。 漸く、復讐の相手を見つけるのは、更に後の話だ。
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