雨の日に外の階段を歩いていたときだった。
うっかり足を滑らせたユーリは後ろに落ちていった。ゆっくりと時間が流れて、ユーリは痛みと衝撃に目を瞑った。

が、いくら経っても何もない。
正しく言えば、何もないわけじゃない。背中に風を感じる。突風のような風を。まるで高いところから落ちているような。

「……え?」

気になって目を開ければ、何故か太陽が見えた。
建物の外についている階段と言えども、おまけのようにつけてある屋根があるハズなのに、昨日の夜から降り続く雨で空は雲で遮られているハズなのに、ユーリの見た先にはさんさんと輝く太陽が見える。

風圧の中で後ろを見れば、ユーリの下には砂漠が広がっていた。
いつから階段が砂漠になったのだろうか。ユーリにはわからない。

よくわからないけれども、ユーリには一つわかったことがある。
ユーリは空から落ちている。

「きゃあああああ」

広大な砂漠だが、この勢いで落ちれば、ユーリの命はない。
階段から落ちただけなら、打ち所が悪かったら死んだだろうが、よっぽど運が悪くなければ怪我をしても死ぬことはなかっただろう。
けれども、マンションの何階分の高さかはわからないが、かなりの高さからユーリは落ちている。これは絶対に落ちたらペッチャンコレベルだ。

下を見るのを止めて、ユーリは目を瞑った。
叫ぶのはもう止めた。
ユーリの短かった人生を走馬灯のように振り返りながら、砂漠に落ちるのを待つ。

やがて、落ちたのか背中に衝撃が走る。
けれどもそれは想像していたものよりも優しく、ユーリはゆっくり目を開ける。

すると、男の顔が視界に見える。
背中と膝の裏に感じる二本の腕などから考えて、どうやら男が落ちてきたユーリを受け止めてくれたのだとわかったところで、ユーリは気を失った。







ふと、何か重みを感じて、ユーリの意識が浮上する。
そういえば中庭のテーブルでちょっと休憩していて、そのまま眠ってしまったらしいと、目を擦りながら眠ってしまう前のことを思い出していると、目の前に見慣れた男が視界に入った。

「おはよう」
「……おはようございます」

ユーリの前にいた男ーーシンドバッドはユーリが自分を視界に入れたのを見てから、ユーリに声をかける。

「珍しいな、ユーリがこんなところで居眠りなんて」
「昨日は誰かさんが仕事を溜めて、それを終わらせるまでに見張りと手伝いをさせられて、夜遅くまで起きてましたから、そのせいかと」
「いやー、ユーリは働き者で助かるよ」

解っていながらあえてこんなことを言うのだ。
どうせ嫌味を言っても全く気にしないとわかっているので、ユーリはそれ以上会話を続けることなく、テーブルに俯せていた身体を起こす。
すると、ユーリの背中から何かが落ちる。嫌な鍛えられ方で鍛えられた反射神経がそれを掴む。掴んだのは布で、ユーリが夢から覚めた肩の重みはこれらしい。

「ありがとうございます」
「どういたしまして」

テーブルの向かいに座るシンドバッドにお礼を言えば、シンドバッドはニコニコ笑う。
九割そうだと思っていたが、ユーリに布を掛けてくれたのはシンドバッドらしい。

そのシンドバッドは確か締め切りが近い仕事は終わったハズだが、今日も仕事がシンドバッドにはあったハズだ。
ジャーファルが朝から気合いを入れていたのをユーリは見ている。昨日はユーリが監視していたが、今日は仕事をだいぶ片付けたジャーファルが監視することになっていた。
山積みになった仕事がまだお昼過ぎのこの時間に終わるハズがない。
脳裏に血眼になってシンドバッドを探すジャーファルの姿が浮かぶ。

本当にどうしようもない王様だとユーリが溜め息を吐けば、シンドバッドは首を傾げた。

「どうした?夢見でも悪かったのか」
「いいえ。懐かしい夢を見たので」

悪かったのは夢見ではなく現実だ。
ユーリはそう思いつつも、さっき見た夢を思い出す。

「懐かしい夢?」
「空から落ちてシンさんに助けられたときの」
「あぁ。懐かしいな、もう三年前になるか」

ユーリは生まれた世界からこの世界にいわゆるトリップをしたらしい。
原因はよくわかってはいない。どうもルフの流れがなんとかかんとかで、滅多にない状態で起きてしまったことでユーリの世界とこの世界が繋がって、ユーリはこの世界に文字どおり落とされた。

そのままなら地面に直撃して死んでいたユーリを抱き留めてくれたのは、シンドバッド王だ。

「最初は言葉が通じないし、本当に大変だったな」
「ジャーファルさんには本当にお世話になりましたよ」

助かったはいいが言葉は通じず、ジャーファルにはシンドバッドを狙った暗殺者と思われるわ、散々だった。
なんとかシンドバッドが誤解を解けば、ジャーファルが言葉を教えてくれ、ユーリはこの世界が自分の世界ではないことを知った。
その上帰れないかもしれないことも解り一度は絶望したが、絶望してもどうしようもないのでユーリはこうやってこの世界で生きている。幸いシンドバッドはいい人で、ユーリは拾ってくれたシンドバッドの元で食客として過ごしている。
もちろん元の世界に帰る方法は探しているが、三年経った今ではこの世界にいたいとまで思えるようになってしまった。

「俺には感謝してないのか?」
「シンさんに感謝するのは当たり前じゃないですか」

ユーリは俯いてテーブルの上に置いたシンドバッドの腕を掴む。
この世界にやって来た頃は言葉は通じないし、知り合いもいないしで、ユーリはずっと心細くて、シンや知っている人の服を掴んで後ろをついて回っていた。
その時の名残かとシンドバッドはすぐにユーリの手に空いている手を置くいて、安心させるようにユーリの手を撫でる。

七海の女ったらしめ!とユーリが心の中で悪態吐いた時に、シンドバッドの首に赤い紐のようなものが巻き付く。

「えっ……」

シンドバッドが小さく戸惑いの声を漏らすが、ユーリは驚きもせずに、シンドバッドの後ろから現れたジャーファルに頭を下げる。
ジャーファルの後ろにはマスルールもいる。

「お疲れさまです、ジャーファルさん。マスルールさんも」
「シンの気を反らしてくださってありがとうございます、ユーリ」
「仕事ですから」

ユーリはシンドバッドの手を払うと、まるで嫌なものに触れたというように、宙で手を払う。

もちろん、心細くて服を掴んでいたのはこの世界に来てからすぐの頃でもうそんなことはない。

シンドバッドはユーリが演技していたことと、ジャーファルがちょっと間違えば自分を殺せるレベルで捕まえに来たことに驚いているのか、微動だにしない。
「さあ、お仕事ですよ、シン」
「お仕事頑張ってくださいね、シンさん」
「あぁ」

腕に巻き付けたで上司の首を捕まえたジャーファルは笑顔での付いた紐を引く。
シンドバッドががくりと項垂れてから、大人しくジャーファルに連れていかれるのを見送りながら、ユーリはこの世界に来た頃を思い出す。

言葉がまだわからないユーリを連れ出してこの世界を教えてくれたのも、元の世界に帰れないかもしれないと知ったユーリの傍にいてくれたのも、こうやってユーリの居場所を作ってくれたのもシンドバッドだ。
ユーリは一生かけたって、返せないかもしれない恩がシンドバッドにある。

だけど、シンドバッドがサボるのを見過ごすかと言えばそれは別問題なのだ。



ロマンチックには程遠い
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お題:)確かに恋だった様
2012/12/04 緋色来知

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