男のような手だと、自分のそれを見るたびに思う。私が手にするのは手触りの良い衣ではなく硬く冷たい柄。 握り締める度に掌の皮は厚く硬くなり、年頃の女らしい曲線は失せていく。それを惜しむ感情は、とうの昔に死んでいたけれど。
真雪の色が刀身に写り込む。夜の帳が連れてくる鋭利なまでの冷たさは、私の心臓を心地好く凍てつかせてくれる。刀を振るうのに合わせ、吐き出した息が白く闇に色づく。繰り返し、繰り返し。速く、鋭利に。弱く柔い部分を殺すように。私が刃であるように。


「なまえ!」明るい声に、刀を振るう腕が止まった。 振り返れば、こちらに向かっている見慣れた金色。鍛練の中、張り詰めていた精神の糸があっさりと弛むのが自分でも分かった。そんな自分に内心溜め息を吐きつつ、家康の方へと身体を向ける。


「驚いたよ。どうしたの、いきなり」
「近くに用事があったんだが、お前の姿が見えたんでな。そんな薄着で寒くないのか?」
「ご心配ありがとう。残念ながらそんなに柔じゃないよ」
「そうは言ってもな……」


呆れたように言う家康に小さく笑みを返し、刀を鞘に収める。実際、常に軽装である家康にそんなことを言われた所で何の説得力もない。私の心中は知らず、ふと視線を落とした家康が、短く声を洩らした。


「なまえ、少し右手を見せてくれないか」
「右手?」


言われるままに差し出すと、痛ましいものを見るように家康が眉を下げる。「やはりか。ほら、ささくれが出来ている」言われて見てみれば、成る程確かに親指の肌がささくれだっている。よくこんな傷に気づいたものだ。そうなんとなく手を眺めていると、不意に自然な動きで手を握られる。思わず顔を上げるが、家康は私の様子に気づいていないようだった。

私の手を包むその大きな手は確かに温かく、でも、何より。



「お前の手の方が、ずっとぼろぼろだ」



溢した笑いは、まるで溜め息のよう。



家康はその気高い理想の為に武器を捨てた。その絶対的過ぎる力を持つ太閤とは違う。拳を振るえば振るう程、その手は傷ついていく。血の滲んだささくれなど、取るに足らないと思わせるには充分な程に。
家康は私の手を持ったまま、困ったような笑いを浮かべる。


「ワシと違い、なまえは女子じゃないか」
「私は女武者だよ」
「それでも、こんなに綺麗な手なんだから」


そんな馬鹿らしい言葉を、家康は大真面目に言ってみせる。
思わず唇を開くが、告げようとした言葉は心臓を締め付けるような感情に連れ去られた。黙ったまま、家康の手に指を絡めてみせる。武骨で大きく、温かな感触。家康が驚きに少し身動いだが、気づかなかったふりをした。 
家康の傷だらけの手は優しさ故で、悲しくなるほどに美しい理想の為だ。存在の証が欲しいが為に戦場へと赴く私の浅ましさとは比べ物にならない、尊いいもの。

武士であろうと、刃であろうとする心根すら一瞬で溶かそうとする優しさに、時々、呼吸をするのが苦しくなる。





「……家康は、本当、優しいね」





その優しさを愛しいと思う。
美しいと思う。

でも、それ以上に哀しく思うのだ。


私とは違い、この男は人の為にあろうとする。それ故に傷だらけとなった拳は家康そのものの姿で、もう良い、お前が傷つく必要なんてどこにもないんだと、そう言って腕を引きたくなる。
でも私がそう叫んだ所できっと家康は立ち止まらない。そんな言葉が口をついて出そうになる度、浅ましい無力さを刀を握った自分が嘲笑う。



「なまえ、どうしたんだ」
「……ううん、どうもしない」



顔を上げれば、家康は何かを言いたげに私を見下ろしていた。だが、目があった途端にそれはするりと器用に隠され、ゆるり、いつも通りの優しい笑顔を浮かべる。まるで、躊躇いの色なんて幻だったとても言うように。「そうか」、呟くように言って、それ以上家康はもう何も聞いてこない。いつものように、ただ穏やかに笑うだけ。




ずっと忘れていた筈の冬の寒さが、なぜか冷たく心臓に響いた。 


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