冬はいい、と思う。
ちらちらと舞う粉雪やら飛び交う雪虫やら、ましてや年中行事なんかには一片の興味もないが、寒さを理由に厚手のコートを着たままでいられるこの季節は何かと都合がよかった。長いコートを着てマフラーを巻いてしまえば、あと目立つのは顔の一部と手くらいのものだ。
目の前まで持ち上げた右手の上にひらり、雪の粒が降る。中指の先に着地したそれはしばらくの間姿を留めていたが、空模様を伺おうとした吉継が上を向いた隙にそれはどこぞへと消え去った。
「吉継くん、寒い。」
ふと聞こえた声は随分と不機嫌そうで、くるりと振り返った先にいた少女が声音どおりこれ以上ないほどに眉を寄せていたものだから、吉継は思わずくつくつと喉を鳴らす。すまなんだなァと適当に謝りながら窓を閉めれば、ようやっとなまえの眉間からシワが消えた。
相も変わらず子供のような女である。
「あーあ、寒い寒い!吉継くんのせいで折角のあったかい空気が逃げちゃったよ」
そんなことを言いながら炬燵に潜り込んだなまえは手にカップのアイスとスプーンを持っていた。炬燵でアイスなどとはなんともまあ矛盾している。暖まりたいのか冷えたいのか分からないが、なまえに尋ねてみても「贅沢でしょ?」の一言で終わらせられた。さっぱり意味が分からないが、たぶん、深い意味なんてないのだろう。もともと物事を深く考えるのが得意な女ではない。だからこそこうして家に入れるほどに親密になったのだろうから、吉継はバカななまえがそこそこ好きだった。
「なまえ」
「あーい」
「ぬしは何故此処にいやる?」
「えっ?吉継くんが入れてくれたからだけど」
「そうであろうなァ。だがわれが聞きたいのはそういうことではない」
「えっと、どうして吉継くん家に来たかってこと?」
「そう、それよ。あとはいつの間にわれの家の冷蔵庫にアイスなどを持ち込んだのかも教えてもらえると助かるが」
「それは昨日」
「……さよか。」
あっけらかんと言って、なまえはご機嫌に鼻唄なんて歌いながらアイスの蓋を開けた。そのまま炬燵の向こう側にあるゴミ箱に向けて手裏剣のように放ったが、紙の蓋はカンと小さな音を立てて畳の上に落ちる。
吉継はなまえの奇怪な行動にも慣れたもので、落ちた蓋をゴミ箱に捨てて汚れた畳をティッシュで拭くまでの動作を最早無意識にやっていた。慣れないと言うならば、この女がとりたがる近すぎる距離の方だ。
自分のせいではないとは言えど、水からの容姿を正しく、もはややや悲観的に捉えている吉継にとって何かと自分にまとわりついてくるコレとアレは心の底から不思議な生き物だった。コレとは勿論、バニラアイスを幸せそうな顔で頬張っているコレのことであるが。
あむあむとスプーンをしゃぶりながら、なまえが言う。
「どうしてってそりゃ」
「そりゃ?」
「冬休みになってあたしに会えなくなると吉継くんさみしがるんじゃないかなーって思って。」
「……さようか」
「さようさよう。まじさよう。」
百歩、いや千歩譲って己が寂しがったとして、それがこの女にどう関係するかも謎だった。分からない。醜いモノを視界に入れて、何故こうも笑っていられるのだろう。
「そんなことより吉継くん、いつまでそれ着てるの?暑くない?」
唐突ななまえの言葉にはてなんのことかと首を傾げて、ソレとなまえが白い指で示すのが己の着ているコートなのだと気がついたとき、驚いて落ちるのではないかと思うほどに目を見開いてしまった。え、なに、どうしたのそんな顔して、なんてなまえの声が聞こえる。
いつまで。いつ、まで?
いつまでだなんてそんなこと考えていなかった。確かに包帯に包まれた体には熱がこもって些か不快ではあったが、脱ぐ気なんてさらさらない。
「い、いつまで、と言われても……」
「暑いでしょソレ。暑くね?暑いよね、脱ぎなよ。」
「な……」
一方的に捲し立てられるなんて失態は常の己からは想像できない。それなのに吉継は言うべき言葉をアイスと一緒になまえに食べられてしまったかのように何も言うことが出来なかった。当たり前のような顔でこちらを見ているなまえの目が純粋すぎて尻込みするが、拒絶するにはこの泥土は少々快すぎた。
ワケが、分からぬ。
脱がないなら脱がしにかかるけど、というなまえの恐ろしい申し出から逃れるために、吉継はノロノロと分厚いコートを脱いだ。包帯だらけの醜い痩躯が露になっていくのを絶望的な思いで眺める。しかし一方のなまえはうむとかなんとか大袈裟に頷いて、包帯もとっちゃいなよなんて笑いながらアイスを食べた。
「……それはまた、いずれ、な」
分からない。なまえはワケの分からぬ女だ。
しかしその不可解さも嫌いではないな、と吉継は笑う。
足元に脱ぎ捨てられた裾と袖の長いコートは、さながら脱ぎ捨てられたサナギのようだった。