※百合注意!
ずっと見ていたはずの横顔が、だんだんと知らない人になっていくようで私は日々胸を焦がす想いだった。
職員室から出て、人の少ない廊下を早足で歩く。すれ違う男子生徒の視線がまとわりつくのを鬱陶しいと思いながら、教室へ急いだ。顔も知らない男子生徒に声を掛けられても聞こえない振りをして歩き続ける。きっとまだ教室で私を待っている彼女を、これ以上待たせたくなかった。
まだちらほらと残っているクラスメイトにバイバイ、また明日、と口早に済ませる。それでも少しの笑顔は忘れない。黄色い声を上げる女子と浮足立つ男子を背に、頬杖をついてグラウンドを見つめるシカマルの肩を叩いた。
「ごめん、遅くなって」
「ん? あ、おかえり」
こちらに顔を向けて微笑んだシカマルに胸が高鳴った。前の席に座って、グラウンドに視線を向けてみる。野球部の練習が行われている中、シカマルが視線を向けていた理由が分かり、気付かれないように舌を打った。部員に指示を出している顧問が、そこにいた。この前の春に転任してきたあの教師は、繊細できれいなシカマルには不釣り合いなくらいガサツでデリカシーの無さそうな男だった。イケてると思っているのか、伸ばしっぱなしになっている髭が妙に癇に障る。癇に障るのはそれだけではないけれど。
「何見てたの」
「え、や、別になんでも、な、い!」
「……そっか」
わざと、シカマルが慌てると分かって言った。苛々した。最近こういうことはよくある。シカマルが、あの教師を見ているといつもこれだった。理由は明白だ。私はあの教師に嫉妬しているのだ。醜いな、私は。そう思う自分はいても、自制出来るほど私は大人じゃない。
「最近メイクするようになったよね」
シカマルの顔をじっと見つめて薄く微笑む。この間まで、メイクなんてめんどくせー、とか女子高生らしからぬことを言ってたのにね。薄く色づいた頬はチークのせいじゃないことは分かり切っていた。不慣れなりに頑張ったのだろう、上がり切ってない睫毛とか、少しダマになってしまったマスカラとか、若干濃い唇の色、とか。可愛くなろうという努力が見て取れて胸の内をくすぐる。
私の言葉への弁解を色々並べるシカマルだけれど、しどろもどろになって、そして結局尻すぼみになってしまった。口元を押さえて何も言わなくなったシカマルがちら、とグラウンドの方へ目線をやって、ぎゅうと目を閉じる。そんな様子に可愛いな、そう思うけれど、それと同時に自分でも驚くくらいの嫉妬心が生まれる。
「……変、だと思う…?」
「何が?」
「急にメイク、しはじめたのとか…」
「まさか! 可愛いよ」
「や、可愛くは、ねーけど…」
なんでメイクしようと思ったの。どうして可愛くなりたいの。ねえ、誰のために可愛くなりたいの。優しく問い詰めてしまいたい気持ちになる。よりによって、好きな人を困らせるようなことをわざわざ言おうとする私は本当に性格が悪い。
「ね、どうせならスカートもっと短くしたら?」
「無理だって!」
「何で! シカマル、スカートちょっと長いよ、メイクして可愛いのに、合ってないもん」
「だって…サスケみたいに脚、きれいじゃないし長くもないし、恥ずかしい」
意地が悪いことを言いそうになるのを押さえて、明るい口調で言うと、いつもみたいな声でシカマルが叫んだ。辺りを気にする素振りを見せたあと、また小さくなった声でスカートの裾をつまんだ。あーほんと可愛い。するとシカマルは私の方を見て、はあ、と溜息をついた。どうしたの、殊更優しい声音で尋ねた。
「サスケはいいな、って思って」
「何がいいの」
「きれいだし、細いし、なのに胸は大きいし、おしゃれだし」
「シカマルの方がきれいだよ、シカマルだって細いじゃん」
「でも服とかよくわかんないし、それに、胸小さいし…」
「胸気にするね」
「……男の人は大きい方が好きじゃん」
胸元を押さえて不安そうな顔をしたシカマルを見て、カッと頭に血が上った。関係ないじゃん、そんなのは。見せるの? 触らせるの? 詰問しそうになって目を閉じて深呼吸をした。こんなことを言っても何にもならない。分かってる。
「それは、人によるんじゃないの。大きければいいってもんじゃないよ。私が言うのもなんだけど」
「そうかなあ…」
はあ、と大きな溜息をついたシカマルは机に顔を伏せてしまった。無造作に結われた長い髪が目について、ゴムに指をかけてするりと解く。長い髪が机にさらさらと落ちていった。顔を上げたシカマルの目を見ながら髪を梳く。
きれいなのにな。どうしてこの子は私のものにならないのかな。こんなに好きなのにな。
「サスケは、ほんとにきれい」
目を伏せたシカマルが呟いた。鮮やかな唇が妙に印象的で、この唇はどんなに柔らかいのだろうかと考えてしまう。この唇で、どんな風に好きだと囁くのだろう。考えていたら悲しくて切なくて視界が揺らいだ。
「きれいって、よく言われる」
「自分で言うし…」
「でも、そんなの全然意味ないの」
だって、シカマルは私のことを見てくれないでしょう?
どうして、と尋ねるシカマルに応えずにぎゅっと目を閉じる。指先にしなやかな髪が触れる。目を開けると私の返事を待つシカマルと目が合った。
「髪、もっと上でくくった方がいいと思うよ」
私の言葉に不意を突かれたのかシカマルは目を丸くした。それから自分の髪に触れて、そうかな、と言葉をもらす。やってあげる、と言って立ち上がり、シカマルの後ろに回った。
「あんまりきつくしたらダメだよ。緩めにして、後れ毛も残して」
「な、なるほど…そういえば男の人ってポニーテール好きだって話よく聞く」
「そうだね、……アスマ先生が好きかどうかは知らないけど」
「あ、うん……!? や、アスマ先生!?」
「ん、ごめんごめんつい言っちゃった」
きっと顔を赤くしているだろうシカマルを見なくて済んだのは、よかったかもしれない。声を聞いているだけで、髪に触れる手が震えた。じわ、とまた視界が霞む。慌てふためくシカマルにあんまり動かないで、と言うと大人しくなった。それでも露わな耳が赤くなっていて、ずきずきと胸が痛んだ。だから、どうしても意地悪したくなった。
「出来た。……ねえシカマル、ファーストキスっていつ?」
「ありが…は、なに急に!」
「いつ?」
「…まだ」
「そっか」
シカマルの答えは予想通りで、ふっと笑みがこぼれる。何でそんなこと聞くの? シカマルの言葉に応えるために前の席に戻って、私を見上げているシカマルの唇に自分のそれを押し付けた。思っていたよりも柔らかい感触に胸がどきどきする。少し顔を引いて、次はちゅっと音を立ててキスをした。これだけ私が痛い想いをしているから、これくらい許してもらえるだろうと思った。
「何してんの…!」
「ちゅう、しちゃった」
口元を押さえて顔を赤くしているシカマルにとびきりの笑顔を向けた。ファーストキス、奪っちゃった。でも、これくらい許してくれるよね。私のこと好きになってくれないんだから、これくらい、いいよね。口にはしなかったけれど、シカマルに訴えた。
馬鹿、とか超馬鹿、とか言いながらもシカマルが怒る様子がなくて私は一安心する。
「帰ろ」
「え、ああ、うん」
シカマルの手を取って指を絡める。すっと組まれた指に安堵して教室を出る。いつか、シカマルの恋が成就したら、こんな風に手を繋いでくれることもなくなるのだろうか。私が、一番じゃなくなるのだろうか。なんて、きっとすでにシカマルの一番は私ではないのだ。
「シカマル」
「なに?」
「私、シカマルが一番好き」
「どうしたの、…私もサスケが一番好きだよ」
「……うれしいな」
ぎゅっと繋がった手を握りしめる。そういう意味じゃないんだよ、シカマル。またぼやけた視界に上を向いて堪える。手の温もりが余計につらい。同じ言葉なのに、こんなにも重さが違う。同じ好きが、欲しかった。
「応援してるからね」
すん、と鼻を鳴らして嘘をついた。ありがとう、とはにかんで返してきたシカマルの横顔は私の知らないものだった。
I can’t help it.
110422