※娼館で働くシカサス




 サスケはうつ伏せだった身体を仰向けるように寝返りを打った。指に挟んでいた煙草からシーツに目がけて灰が落ちる。白いシーツに焦げた跡がついただろうが、その事実はサスケに微塵の動揺も与えなかった。部屋は一面煙で霧がかかったように曇っている。大きなベッドの隣に、昨夜はいたはずの存在がいないことにサスケは少しばかり腹を立てていた。
 小さなバスルームから微かに水の音が聞こえる。サスケが目覚めてから十分以上は経過している。目覚めた時にはもうベッドに温もりがなかったから、それよりも前にベッドを抜け出して風呂に向かったはずなのに、いささか長すぎる感があった。
 この無駄な時間のせいで、随分昔の出来事を思い出してしまった。多分、夢に母が出てきたからだ。皮と骨になる前の、最期に比べればわずかにではあるけれど、健康的に肉のついた母が、庭に立っている夢だ。過去を夢見たわけではない。母はずっと床に伏せっていた。起き上がり、立ち歩くことなど出来なかった。夢だ。母は生前の穏やかな笑みを浮かべていた。
 もう、ここへやってきて十年経つ。長い話である。しかしその十年は驚くほど早く過ぎ去っていった。売られてすぐ、この娼館の主に気に入られて、それはそれは大切に育てられた。ここで育つうちにサスケは自らが美しい容貌であることを理解した。ここで生活するうちに媚を売る方法を覚えた。自らに都合がいいように他人に働きかける術は、ある程度の年齢に達した時には身についていた。それもこれも、館の主のおかげである。彼(人によっては“彼女”と呼ぶかもしれない)は冷血な人間に見られがちだったが、それは酷く利己的であるが故の一面であり、彼の懐に入ったサスケにとって彼は有益な存在であった。現に、この館で一等いい部屋を与えられ、今のところほとんど不自由することなく生活している(部屋にバスルームが併設されているのも、この部屋だけである)。彼――自ら“大蛇丸”と名乗っているが、本名かどうか怪しいところである――は、二年ほど前からしばしば館を離れるようになった。この館で最も年若いサスケが十五を過ぎたあたりから、さらに若い人材が必要だと判断したのだろう。しかしサスケが売られた時とは違い、今は待っていても生活を苦にして我が子を売りにやってくる親はなかなか現れない。短い間に、時代は移ろってしまった。大蛇丸が手ずから探し歩いているらしいが、いい人材は見つからないらしい。先月館に戻った大蛇丸が愚痴をこぼしているのを聞き流したことを思い出し、サスケは火のついた煙草をベッドの上に無造作に置いてある灰皿に押しつけた。

 気づけば水音は止まっていた。間もなく扉が開く音がして、サスケは身体を起こすことなくそちらに視線を向けた。大きなバスタオルをまとっただけで、身体の至るところから滴が垂れている。長い黒髪がひたりと肌に張り付いている様子を眺めながら、サスケは大儀そうに口を開いた。

「一晩を共にした相手を置いて勝手にベッドを出るのはマナー違反だと教えなかったか?」

 まだ肺の中に残っていた煙を吐き出すように、吐息交じりの声音で言うと、悪戯を咎められた子供のようにシカマルはつまらなさそうな顔をして肩をすくめた。濡れたままの身体で部屋を歩き、ベッドまでひたひたと水溜まりを作りながらやってくる。

「まさか客相手にやってないだろうな? お前が何か面倒を起こしたら指導を任されたオレまで説教を食らう」
「咎められたことねーけどな」

 言外に客相手にもそんな態度を取っていると言われ、サスケは心の底から溜息をついた。
 シカマルはサスケよりいくつか年上の男だが、ここへやってきたのはサスケの方がかなり早かった。シカマルがここへやってきて三年と少し経つ。シカマルに様々な手解きを施したのはほかでもないサスケであった。おかげで、シカマルはサスケに次いで人気の男娼になった(とにかくテクニックがすごいと評判である)。

「それからオレの煙草勝手に吸うのやめろ」
「少しくらいいいだろ? お前と違ってそういうの貢いでくる客がいねーんだ」
「自分で買えばいいだろうが金に困ってるわけでもあるまいし」

 サスケは嫌そうに柳眉をひそめた。ベッドの上の灰皿には昨夜の分を加味しても明らかにサスケ一人分以上の吸い殻があった。
 ばさりという音がして、急に視界が暗くなった。そう思った途端、視界が真っ白になる。バスタオルを投げかけられたと気づくのに時間はかからなかった。それを跳ねのけるように手を払うと、バスタオルに跳ね上げられたのか、灰皿が宙を舞った。ベッドの上に吸い殻が散る。サスケがそれを気にする様子はない。ベッドの片づけは、雑用係の従業員の仕事だ。サスケが憂慮することなど何もなかった。

「なにしやがる」

 不機嫌そうにつぶやくと、ベッドへ乗り上げたシカマルを見上げた。濡れた髪からサスケの顔に滴が落ちる。シカマルはそのままサスケに覆いかぶさると、サスケの少し乾燥した唇に噛み付いた。

「……ん」
「……こうすれば、大体のやつは黙る」

 キスのあと耳元で何を囁くかと思えばその言い草で、まだ可愛げのある言葉なら許したものを、サスケは青筋を立ててシカマルの髪を掴んでベッドに引き倒した。

「おっまえな、足腰立たなくしてやろうか」
「仕事終わりの上にあれだけ散々ヤッたのに、元気なやつだな」
「こちとら最近受け身ばっかりだからな、ちょうどいい」
「ちょ、待て、オレが下は困る」

 慌てて身を捩ったシカマルだが、サスケの下から抜け出ることは難しい。力の差ではなく経験の差である。こと色事においては、百戦錬磨のサスケであった。
 シカマルがここへやってきた経緯は知らない。シカマルも、サスケの出自など知らないだろう。ここで名乗る名前が本名である必要もない。この場所で生きざるを得なくなった不運な子供が集まっているだけに、恐らく境遇は似たり寄ったりである。そこに何の興味もなかった。
 ただ、出会いから今まで、一から面倒を見たからか、はたまたほかの理由からか、サスケはシカマルにある種の愛情を覚えていた。仕事柄愛だの恋だの信じることはないけれど、湧き上がる感情には素直に従うサスケである。色々と理由をつけてシカマルに構うのはそのせいであった。

「このオレがとろっとろに蕩けるまで愛してやるってんだ、喜ぶところだぜ?」

 見る人が見れば息を呑み、呼吸を忘れ、時間の経過をも忘れてしまうような凄艶な笑みを浮かべ、サスケはシカマルの頬を撫でた。
 シカマルは観念したように笑い、サスケを見上げた。

「抱かれるより抱く方が好きなんだけどな……特に、サスケは」

 そんな言葉を聞き流し、サスケはシカマルの下肢にするりと手を伸ばして、呼吸を奪うように口付けた。



愛の在り処を教えておくれ



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