※大学生パロ



 部屋の外では蝉の鳴き声が聞こえる。最近入り浸っている水月の部屋は、いつになく暑かった。

「あっっっつい」

 水月は手にしていたボールペンを投げ出して天を仰いだ。額や首筋に汗が滲んでいる。それはサスケも同じで、垂れ落ちる汗を拭っては頬に張り付く髪を払いのけていた。
 サスケが部屋を訪れてみると、椅子の上に立ってクーラーをいじくりまわしている水月の姿があった。聞いてみると、朝やけに暑くて目が覚めたと思ったらクーラーがうんともすんとも言わなくなっていたらしい。リモコンが壊れてしまったわけではなく、どうやら本体の問題のようで、クーラー自体をどう触っても動く様子は見られなかった。

「ああ、そうだ。過去問手に入れたんだ。これコピーね。ありがたく思いなよ」

 滲む汗を床に放り投げてあったTシャツで拭った水月は思い出したようにファイルの中を探って、数枚のプリントをサスケに手渡した。期末テストを二週間後に控えている大学生の身としては、過去問の存在はありがたい。

「先輩に知り合いとか、いないんだろ? それじゃあ苦労するよ。サークル入れば?」
「特に興味もないサークルに入っても時間の無駄だろ。そういう水月だって、入ってねえくせにどうやって過去問なんか」
「高校の先輩だよ。ボクの高校、この辺だから進学する人多いんだ」

 サスケは水月の言葉に「フーン」と気のない返事をした。水月と出会ってから4ヶ月ほどしか経っていないけれど、随分と親しくなったものだ。探せば数人くらいは同じ高校から進学した学生はいるだろうが、サスケはそこまで顔の広い人間ではなかったから、まったくの見知らぬ土地に進学をきっかけに一人やってきて、こうして親しく家を行き来する相手ができたことは喜ばしいことだった。加えて、水月の友人たちとも親しくするようになっている。サークルこそしていないけれど、順調なキャンパスライフを送り始めていた。

「ねえサスケ、夏休みになったら遊びに行こうよ」

 過去問に目を落としていたサスケは視線を上げて、水月の顔を窺った。テーブルに肘をついて緩慢な動作で顔を扇いでいる。水月は片眉を上げてサスケの返事を促した。

「どこに?」
「んーどこでも。北海道は? ここよりは絶対涼しいよ。食べ物も美味しいし」
「北海道か。修学旅行で行った」
「ええ、嫌?」
「別に、北海道、いいじゃねえか」
「じゃ、決まりね」

 水月はにんまりと笑った。それからすぐに真顔に戻って、ベッドサイドの引き出しを漁って、おもむろに通帳を取り出した。恐る恐るそれを開いた水月は酷く落胆した表情を浮かべて溜息をついた。

「どうした?」
「旅行資金貯めないとだめだった」

 もう一度深い溜息をついた水月は汗を拭って、床にごろんと横になった。サスケは水月が置きっぱなしにした通帳を手に取って開く。預金残高は、たしかに北海道旅行をするには心許ない。

「ていうか夏休みやたらと長いし、免許も取りたいんだよね。そのお金も貯めなきゃだし……バイト増やさないと」
「免許……って原チャ乗ってるじゃねえか」
「バイクの方だよ。ねえ、なんかいいバイトない?」

 ゆっくりと身体を起こした水月は汗で湿ったTシャツを脱ぎ捨てた。ベッドの下から手探りでうちわを見つけ、身体を扇ぎだす。
 以前水月は居酒屋で少しの間だけバイトをしていたけれど、客ともめ事を起こして辞めたことがあった。それ以来飲食店のバイトは嫌だと言って避けている。短期のバイトで少しずつ稼いでいるようだけれど、それもそこまでの収入にはならない。そういえば香燐のバイト先でバイトが足りないと言っていたことを思い出し、サスケは口を開いた。

「香燐のバイト先、たしか人が足りねえって言ってたぜ」
「カラオケだっけ? ……悪くないけど、香燐と同じバイト先ってのが、どうにも気がすすまない」
「文句言うな」
「重吾は何やってんだっけ」
「肉体労働系だろ。まあ、体力有り余ってそうだしな」

 重吾の大きな身体を思い浮かべながら言うと、水月も納得したのか何度も頷いた。うちわに扇がれて水月の髪先がゆらゆらと揺れる。水月はちらりとサスケの方に視線をやった。

「君はバイト何してるんだっけ? 塾講?」
「家庭教師」
「ああ、そうだったね。家庭教師かあ……関係ないけどさ、家庭教師が好みドストライクだったら正直勉強どころじゃないよね」
「なんの話だ」

 歯を見せて笑った水月に非難めいた視線を送ると、水月は軽く笑った。また、水月の髪先が揺れた。
 水月とは、友達以上恋人未満のような、わけのわからない関係に落ち着いていた。お互い好きだとも言わないけれど、戯れに触れ合うことはある。決定的な肉体関係を持ったことはない。しかし、それも時間の問題のようにも思えた。サスケ自身、水月が求めてくればそれを拒否することはないように思う。水月もそれは同様に思えた。お互いに、悪くない相手だ。

「そういえば、さ」

 水月の言葉にハッとして我に返る。暑さのせいか、はたまたそれ以外の理由か、ぼんやりとしてしまっていた。「何だ?」と水月に続きを促すと、水月は顔をこちらに向けないまま続けた。

「夏休み、実家には帰るの?」

 実家、と聞いて地元のことを思い出す。地元には、会いたくない相手がいた。もっともその相手も実家を出ているから、同じ時期に帰省しなければ会うこともない。けれど、地元はその相手のことを思い出すのには十分な環境だった。忘れようと努力しているところに、思い出だらけの場所に戻るのはどう考えても逆効果だ。

「帰れ、って言われるとは思うが……多分帰らない」
「なんで?」

 何の下心もない声音で水月に問われると、曖昧に答えることがためらわれる。サスケが何かを迷っていることを察すると、水月はサスケの返事を待たず口を開いた。

「よく考えたらサスケから高校の頃の話聞かないね。嫌なことでもあったの?」

 ドクンと心臓が跳ねる。
 聞かれて、不快になる話でもない。嫌なことなどなかった。ただ、少し苦い思い出があるに過ぎない。サスケはまだ迷いながらも、隠すことでもないと意を決した。

「高校の時、片想いしててな。忘れようってなんとかしてるところだから、帰って会いたくねえっつーか」
「君が片想い? そんな高嶺の花、みたいな人だったの? あ、一応聞くけど、それどっち? 女? 男?」
「男。……友達だったんだよ。しかも、そいつに彼女ができて好きだったんだって気づくっていう」

 よくある話だろ、とサスケは笑った。笑いながら話せたのは、相手が水月だったからかもしれない。今のところ、サスケがゲイかもしれないとカムアウトしているのは水月くらいのものだ。
 水月は興味深げにサスケを観察したあとゆっくりまばたきをして口角を上げた。

「高校の時ずっと?」
「まあ……そうだな。二年とか」
「結構長いね。ああ、そういえば今まで誰とも付き合ったことないって、言ってたっけ」

 その言葉にサスケは頷く。中学の時はそんなことに興味はなかったし、高校の時はほかに目をやる余裕はなかった。高校生当時に忘れようと必死になったこともあったけれど、その時誰かで気を紛らわせるという手段を思いつくことはなかった。

「じゃ、童貞で処女だったりするのか」
「……悪いか。別にそこまで珍しくもねえだろ。まだ18、19だぜ」

 思わぬ言葉にサスケは一瞬言い淀むが、すぐにじっとりとした視線を水月に浴びせかけた。水月はその言葉にくすりと笑った。

「悪いとは思ってないけど。サスケみたいなタイプ、男子校だったらすぐに餌食にされそうなタイプだと思ってさ。共学でよかったね」
「恐ろしいことを言うな」

 屈強な上級生に囲まれることを想像したサスケの顔からは血の気が引いた。そう考えると悪くない環境にいたらしい。思い出してみれば、水月は男子校で色々と面倒事に巻き込まれたことがあると言っていた気がする。

「ボクもそこそこ可愛い顔してるだろ、大変だったんだ、これでも。まあ重吾とツルんでたおかげで貞操は守られたけど。高校の時から重吾デカかったからね」

 面白い話でもするように話す水月に閉口する。下手したらトラウマになりかねない。サスケは男を好きになったことがあるとは言え、まだ自分が男しか相手にできないのか否か判断できないでいる。彼女が欲しいと思ったことはない。好きになったことがあるのはたった一人で、それが男だったというだけで。

「キスは」
「ン?」

 突然の言葉に、サスケは水月に意識を向けた。不思議な色を反射させた瞳がサスケをじっと見つめる。

「キスは、したことある?」

 水月の目が面白そうに細められる。興味本位で聞いているのか、何か目的あっての質問か、判断できない。サスケはしばらく黙って水月を見つめていたけれど、水月がこの話題をやめる気がないことを察してあきらめたように溜息をつき、目を反らした。

「ない」
「へえ。心底意外だよ」

 楽しげに笑った水月は手にしていた団扇を床に置き、膝をついてサスケの方へ近づいた。手を床について、上目遣いに見られ、サスケは顎を引いてほんの気持ち程度に距離を取った。

「なんだよ」
「キスしようか」

 水月の申し出にサスケは一瞬息をつめた。冗談交じりの声音ではあるけれど、本気も交ざっている。水月としては、きっとサスケがどう返事しても構わないのだろう。別にいいか、と思う。水月を好ましく思っている自分がいることは事実だ。サスケはふっと表情を緩めて静かに頷いた。その反応を見て、水月はひとつまばたきをして、こちらも静かに唇を寄せた。ほんの少し湿り気を帯びた唇が重なる。その感触を楽しむように軽く食んだあと、水月は離れていった。
 無意識のうちに止めていた呼吸に気づいてサスケはふう、と息を吐いた。それに水月は笑って、再び顔を寄せた。今度は触れてすぐに水月の舌がサスケの唇を舐めた。その感覚に驚いたサスケの肩が跳ねると、それを宥めるように水月の手がサスケの肩を撫でる。わずかに開いた唇から舌が侵入して、舌同士が触れ合い、初めての感覚に戸惑っているうちにキスは終わっていた。水月を見ることができずに他所へ視線をやると、近くで声もなく笑う音が聞こえた。

「ボクたち、付き合おうか」

 唇にまだ感覚が残っている気がして手の甲を唇に押しつけていると、そんな水月の言葉が聞こえる。悪くはなかった。不快な気持ちにもならなかった。原因の分からない高揚感もある。

「ボク、思ってた以上に君のこと好きみたいだ」

 やっとのことで目を合わせたところで、水月はサスケの返事を待たずに続けた。水月の細くなった瞳に戸惑いと期待がない交ぜになった自分の表情を見つけ、サスケはまた水月から目を反らした。

「……まあ、付き合ってやらなくも、ねえ」

 今のサスケには、その一言が精一杯だった。



汗の匂いとファーストキス


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