※現パロ





 昔から他人に触れられたり、他人と物を共有したりといったことが苦手だった。家族はなんとか耐えることができる。けれどそれも我慢できる、というレベルで。何の抵抗も無く触れることができるのは実兄だけだった。だから学校でもクラスメイトと普通に仲良くすることが難しくて不登校気味になった。事情を知っている幼馴染二人が気遣ってくれたおかげでなんとか完全な不登校児になることは避けることができ、無事に大学に通うこともできた。自分がずっとこのままだったらどうしよう、と考えたこともある。このままずっと一人で生きていくのだろうかと不安になった。その時は決まってイタチが笑いながら大丈夫だと言って頭を撫でてくれたけれど。誰かを好きになれば、きっと触れたいと思うし触れられたいと思うよ。その言葉がこんなにも胸に圧しかかる日が来るとは思いもしなかった。


 外出は一苦労だ。買い物ひとつでも負担が多い。帰宅して一番に洗面所に向かって手を洗う。いくら洗っても足りない。誰が触れたか知れないものに触れる恐怖はなかなか拭えない。まだ汚い気がする。買い物をする時は多くの場面で紙幣や貨幣に触れなくてはならない。苦痛だ。どこでも電子マネーが使えるようになればいいのに。スーパーでも導入すべきだ。
 必死に手を洗った後、身に着けていた服を洗濯機に放り込んだ。新しい服を取り出す。外出していた間に溜まったであろう埃を掃除しなくてはならない。新しいタオルを取り出してテーブルの上や家具の上、キッチン、目に付くところすべてを拭いて、タオルをゴミ箱に捨てた。また手が汚くなった気がする。キッチンの水道で手を洗う。
 未だにサスケの潔癖症は何の改善も見られない。あと数年で社会に出ることになるというのに、先が思いやられる。と、サスケ自身思っていた。それから、現実的に直面している問題もあった。
 ガチャリという音を立てて玄関の鍵が開く音がした。この部屋の合い鍵を持っているのは恋人だけだ。ひょっこりと姿を現したシカマルはサスケの姿を見ると表情を綻ばせた。

「よ! 久しぶり」
「ああ……久しぶり」

 互いにテストやレポートが重なって会うことができず、会うのは三週間ぶりになった。サスケはそろそろとシカマルへ近づいてはにかんで笑った。シカマルの手がすっと目の前に差し出され、止まる。

「触っていいか?」

 その言葉にどくりと心臓が跳ねる。
 じわりと身体に汗が滲む。どくどくと音を立てる心臓は、恋人に触れられる緊張から騒いでいるわけではなかった。
 付き合ってから半年と少し経つ。まだ、キスもしたことがない。もちろん理由はただひとつ、サスケの潔癖症がシカマルに対しても発揮されているから。なんとか「触れる」と宣言してもらい、腹を決めればなんとか耐えられるようになったけれど、それでも不快感は拭えなかった。
 じっとりと汗をかきながらサスケは重苦しく頷いた。それにシカマルは困ったような表情をしながらゆっくりと頬に触れてくる。優しく撫でたあと、すぐに手は離れていった。
 不快感が消えた安堵から思わず溜息が洩れた。ハッと我に返ってシカマルを申し訳なさそうに見上げる。

「ごめん……」
「謝んなって。分かってるしよ」

 好き、なのに。
 シカマルに全力で抱きつきたいと思ったことだってある。キスをしたらどんな感じなのだろうか、とか、その先を考えたこともある。少し怖いけれど、触れたいと思うし触れられたいとも思う。なのに、だ。
 実際シカマルに触れられた時に感じるものは震えるような不快感だけだ。シカマルに触れてみても、浅くなる呼吸と滲む汗で何も得ることはできない。悲しいし、こんな自分を好きだと言ってくれるシカマルに申し訳なかった。
 唇を噛んで、シカマルから視線を外す。怖くて一度も口にできなかった言葉をそっと紡いだ。

「なんでオレと付き合ってんだ、お前」
「なんでって」
「……何もできないし、一緒にいても面白くねえだろ。不愉快な思いしかしないのに」

 シカマルがはあ、と呆れたような溜息をついた。シカマルの顔を見ることができず、床に視線を投げつけた。

「それでも、好きなんだよ。理由とかなんとかめんどくせーこと言うなよ。最初に言ったろ、慣れるまで待つって」
「……ずっと、慣れないかもしれない」

 床を見つめる視界が揺れた。触れたいのに触れられない身体が憎い。触れ合う喜びを共有できない悲しみは積もるばかりだ。ぽたりと涙が落ちて行った。

「いいよ、それでも」
「いいわけ、ね……だろ」
「そうすりゃずっと一緒だぜ。……お前の傍に居たいんだよ。それも駄目か」

 そんな風に想われる価値が、自分にあるとは思えない。シカマルが自分から離れて行く日のことを考えると怖くて仕方がない。でも、自分には離れて行く理由ばかりが見つかって、シカマルのことを繋ぎとめておくものが何ひとつないような気がして。

「だめじゃ、ね、けど……でも、」
「サスケ」
「う、ん?」
「……触れても?」

 嗚咽を堪えている時に問われて、動揺で視線を彷徨わせる。覗き込んだシカマルの真面目な視線に息が止まる心地がして、気付いた時には抱きしめられていた。ぶわりと背中を走った悪寒だったけれど、不思議なことに不快感はその一度きりでなくなってしまった。初めて抱きしめられた驚きで涙も嗚咽も止まって、ぱちくりとまばたきをした。

「色んなことお前としたいんだよ。触れ合うだけでこんな満たされた気持ちになるんだとか、もっとたくさんの楽しい事とか幸せな事とか教えたいんだよ。……だから、待つ。待たせてくれよ」

 耳元で聞こえる真摯な声に胸が震える。間もなくして離れた身体にほんの少しの寂しさを感じて、初めての感覚に戸惑いを覚えた。

「いきなり触って悪かったな」

 眉を下げたシカマルは苦笑した。
 今、触れられた瞬間は身体が不快感で硬直したけれど、その後は何故か心が穏やかになった気がした。もしかしたら。これから先、普通にシカマルに触れることができるかもしれない。わずかな希望を持って、サスケは口を開いた。

「……触っても?」

 驚きに目を見開いたシカマルは、すぐに破顔して頷いた。



ラインを超える指先



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