※現パロ




 余程のことでもない限り、再びここへ戻ってくることはないのだろう。引っ越し業者のトラックを見送った後、すっかり殺風景になった部屋を出て小さなアパートを振り返り、サスケはしみじみと思った。
 地元から遠く離れた大学に進学することになり、初めての土地でアパートを決め、それから過ごした四年間はあっという間に過ぎ去ってしまった。気付けばもう就職のために大学時代を過ごしたアパートを出なくてならない。就職は都会の方に出て行くことになったから、家のないこの土地を踏むことがどれだけ先のことになるか、もしくはこのまま戻ってくることはないのか、分からなかった。
 しかし、それでいい。大学生活は充実していた。いい友人に恵まれた。そして、人知れず恋もした。それは一度も口に出されることのない想いではあったけれど、静かに生まれたその想いを胸にそっとしまったまま大切な思い出として取っておくことが、伝えることのできなかった想いへのせめてもの手向けだった。

 伝えられるはずもなかった。
 相手は友人の一人で、そして同性で。面倒くさがりを自称する割に面倒見がよくて、よく気がつくデキた男で。友人の一人として親しくしていた間柄だった。
 その男―――シカマルには一時期彼女がいた。一週間もしないうちに別れてしまったのをサスケはよく覚えていた。その彼女に酷く嫉妬した自分に嫌気が差して数日シカマルと顔を合わせることができなかったからだ。
 可哀相な恋だった。男相手に恋をして、叶うはずもないと知っていたけれど、シカマルがサスケに不用意に触れる度にサスケは胸を高鳴らせ、真っ直ぐに目を見つめられる度にサスケは想いを吐き出すための逃げ場を完全に奪われた心地がしていた。ほろ苦い恋をしてしまった。せめて初恋のように甘酸っぱい恋ができたらよかったのに。
 眉を下げたサスケはほんの少しの手荷物を詰めた鞄を持ってアパートを振り返った。今日出発するなんて誰にも言っていない。友人は少ない方ではないが、互いにこの時期は忙しい。就職してしばらくしてから連絡を取って、そんなことを考えながらアパートの敷地から出て、歩き出そうと一歩を踏み出した。

「サスケ!」
「ん、……シカマル?」

 振り返った先に見えた姿に思わず名前を口にしてしまう。どうして最後に会ってしまうのか、そっと胸にしまったはずの恋心が顔をのぞかせるようでサスケの胸がチリリと痛んだ。

「……何か用か?」
「いや……今日、引っ越しだろ?」
「そ、だけど……言ってねえよな、シカマルにも、誰にも」
「あー……業者と電話してんの聞いて、それで今日かーってよ……」

 シカマルはサスケの問いに対して眉を下げて笑いながら頬を掻いた。困ったときにシカマルがよくする仕草だ。歩み寄って来たシカマルはサスケの隣で立ち止まり、アパートを見上げた。

「ここ出たら、こっちには帰るところなくなるんだよな、お前」
「ん、まァな。シカマルは地元だもんな……就職もこっちなんだろ?」
「あァ。実家は出るつもりだけどな」

 シカマルの横顔をそっと盗み見る。きっと、これで最後だ。ぎゅっと心臓を掴まれたような心地がして、サスケはゆっくり目を閉じた。少しずつでいい、前に進まなければ。きっとシカマルより好きになれる相手と出会える。この恋は叶いはしないけれど、きっと次こそは。
 サスケ、と名前を呼ばれて、目蓋を押し上げる。シカマルの視線が真っ直ぐサスケを射抜いて、サスケは息を呑んだ。

「……な、ンだよ?」
「いや……あのな、少し時間あるか? や、ちょっと話っつーか……長くはかかんねーんだけど、よ」
「はっきりしねェな……」

 何かを言おうと口を開いたシカマルはふいと視線をよそにやってしまい、口ごもった。珍しく曖昧な口調にサスケは首を傾げ、そんな様子のシカマルにすら好きだと感じてしまう自分に虚しさを覚えた。

「……オレな、サスケのことが好きだった。いつ好きになったかは覚えてねーけど気付いた時にはいつもサスケのことを目で追ってた。好きだったんだ。……それだけ、お前に言いたかった」
「は……」

 サスケの思考が止まる。シカマルの放った言葉が理解できない。驚きに目を見開いて放心する。夢でも見ているのか、何度想像して何度それを打ち消してきただろう。シカマルから一生聞けるはずもない言葉が聞こえた気がして、唇が震えた。

「なん、て、シカマル……」
「……ッだ、からよ……お前のことが好きだったって……悪ィ、もう会えなくなるって思ったら、な……」

 もしその言葉が真実なのだとしたら。「オレも」とサスケは言おうとした。あきらめるほかなかった想いが思わぬ形で通じ合った。口を開いて、喉の奥にひっかかりそうになりながら声を出そうとして、続けて吐かれたシカマルの言葉でぴしりと動きを止めた。

「どうしても、ちゃんと終わらせときたくてな。前向いて歩きてーんだ。ちゃんと、普通に、普通の人生歩いてくために」

 思い返してみれば、シカマルの放った言葉はすべて過去形だった。もう、シカマルにとってサスケへの想いは過去のことでしかないのだった。その想いの先を、シカマルは欲していない。
 何よりも欲しいと思った言葉が、同時に終わりを望む声で伝えられた。いや、そもそも始まってすらいなかった。超えることのできない壁を途方に暮れながら見上げ、そうして超えることをあきらめてその壁にもたれて過ごした4年間だった。その壁が、その気になれば簡単に取り去ることができるほどに薄いことに気付けなかったのは、恐らくサスケがそれに背を向けていたからだ。想いが溢れることを恐れてしっかりと見ることができなかった。もし、もし、ちゃんとシカマルと向き合うことができていたら。考えることに意味は無かった。
 開いた唇を一度引き結ぶ。「オレも好きだ」、そんなこと言えるはずもない。シカマルはもはやサスケに背を向けているのと同じだ。やはり、言えない。結局この想いはこんな場になってすら口にすることすらできやしなかった。

「そ、か……ありがとな。好きになってくれて。気付けなくて、ごめん」
「サスケが謝ることじゃねーだろ。なァ、……いつか、いい人見つけてオレが結婚することになったら、サスケに一番に報告するから」
「……おう、待ってるぜ」
「サスケももしそういうことがあるようだったら、連絡寄越せよな」
「……ああ」

 泣き出したい衝動を堪えて、無理矢理笑顔を作った。しっかりと笑えているだろうか。自信はなかった。
 変わらない。さっき、次こそは、と思ったではないか。ここでシカマルに自分が想いを伝えてどうなる。困らせるだけだ。普通に生きるなら、隣に男の自分がいるべきではない。それに、サスケはもうこの地をあとにする。たとえ互いに想い合っていたとしても、頻繁に会うことなど不可能だ。きっとどちらも幸せになれない。何も言わず、この悲しい恋を抱えて生きていくのが自分には相応しい。

「……サスケ?」
「お互い、幸せになれるといいな」

 そう言って、今度はきちんとした笑顔を浮かべられたと思った。心の底から出た本音だった。くるりとアパートに振り返る。シカマルもつられるように顔を向けた。
 もう少し早く言葉にしていれば、何か変わったのかもしれない。このアパートにシカマルを招いて、友人の距離を壊して更に近く、愛しい距離でシカマルに触れることができたのかもしれない。何もかも遅かった。
 同じようにアパートを見上げていたシカマルの顔を盗み見た。やはりその横顔に胸が高鳴って、涙で視界が滲むようだった。涙があふれないようにまたアパートを見上げて、声が震えないように、静かに呼吸を整えて、口を開いた。

「もう、行くな。……最後にシカマルに会えてよかった」
「……ああ。オレもだ。向こうでも元気にやれよ。またな」

 シカマルがサスケに背を向けた。肩越しに手を振る様子をちらりと横目で見る。サスケもシカマルに背を向けて歩き出した。

「……さよなら、シカマル」

 聞こえるか聞こえないか、ギリギリの大きさで呟いた。シカマルが振り向いたような気がしたが、そのまま歩き続けた。
 いつかこの恋をちゃんと終わらせることができるその日まで、恐らくシカマルに会うことはないだろう。それがいつになるのか、本当にそんな日が来るのか、サスケには想像することができなかったけれど。



それまで、さよなら


111023




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