※シカサスコ
八月末、すっかり日が暮れてしまったというのにやけに混雑するいつもの帰り道。周りを見渡せば浴衣姿の女の子が目に入ってきて、今日が祭りの日だったことを思い出した。思い当たった時に、ドンッと身体に響く音がして思わず空を見上げる。夜空には大きな花火が打ち上がっていた。
サスケは自分の服装を見直して、深い溜息をついた。そもそも祭りの日を忘れるくらいだ。祭りらしい服装――浴衣なんて着ているはずもなかった。
去年は。去年は、浴衣を着て、下駄を履いて、もちろん一人なんかでもなくて。シカマルと一緒にこの祭りに来ていた。高校を卒業して地元を離れてしまったシカマルだったけれど、夏休みを利用して地元に戻ってきていた時のことだ。去年は二人で、手を繋いで、空を見上げて。
シカマルのことを思い出して、サスケは頭を振った。思い出したくなんかない。思い出したって辛いだけだから。
高校の卒業式。忘れもしない。シカマルへの想いが実った日だった。嬉しくて、幸せで、世界が違って見えるようだった。それから、二週間ほどしてシカマルの引っ越しの日になって。近くで恋人として生活できたのはたった二週間だったけれど、それでもサスケにとっては十分だった。その時は、十分だと思っていた。
シカマルが連絡をまめに取る方ではないというのは、友達だった頃から知っていたことだし、彼女になってそれが少し増えたけれど、だからと言って一般的に多くはないということも分かっていた。一時間に一通はメールを送って欲しいだとか、毎日電話がしたいだとか、そんなことをサスケは言うつもりはなかった。毎日声が聞けたらいいと思うことはあったけれど。月に一回会いに来てだとか、会いに行くだとか、そりゃ、できればそうしたいけれど、金銭的に難しいことは分かっていたから、それも一度も言わなかった。
遠距離になってから、それこそ最初は、以前よりたくさんメールが来ていたし、電話も毎日ではないけれど二日に一回くらいはしていた。月に一度は、デートだってしていた。それもこれも、最初だけだったけれど。
最後に会ったのはいつだっけ、とサスケは記憶を辿った。もう半年は会っていないんじゃないだろうか。年末にシカマルが帰ってきたときのことを思い出す。そう長い休みではなかったから、一度しか会うことができなかった。どんなことを話したのか、全部簡単に思い出せてしまう自分が悲しい。春休み、シカマルは帰って来なかった。免許を取るから帰ってる暇がない、というメールが来た時、サスケがどれだけ落胆したことか知れない。会いに行くことはできたかもしれないけれど、自分から会いに行くのはなんだか気が引けて、結局春休みに会うことはなかった。
だから、冬以来会っていない。何のために付き合っているのか、もうサスケには分からなくなっていた。
気づけば、去年の夏に二人で並んだ通りまで歩いてきていた。無意識のうちにシカマルとの思い出を辿っている自分に遣る瀬無くなる。なんだかひどく疲れたような心地がして、道端に腰かけた。
変えてから数ヶ月経った携帯を取り出す。
メールがあまり来なくなっていた。電話も最後にいつしたか覚えていない。それに堪えられなくて、サスケは自分から連絡を断った。シカマルからメールが来ないかとずっと携帯を気にしている自分が惨めで仕方なくて、アドレスを変えた。電話が来ないかと期待している自分が情けなくて、電話番号も変えた。
それでも。
シカマルの電話番号も、アドレスも、消すことができなかった。
シカマルのことを嫌いになれたらよかった。それなら、シカマルの名前をアドレス帳からなんの迷いもなく消去することができたのに。
こんな気持ちになるなら、シカマルのことを好きにならなければよかった。こんな気持ち知りたくなかった。
アドレス帳はシカマルの名前を表示していた。画面に目を落としていると、視界が霞んで揺らめく。ぱたぱたと画面に滴が落ちてきた。膝や手にもその滴は落ちてくる。祭りの日なのに雨でも降りだしたのだろうか。けれど身体は濡れる様子はないし、雨の音も聞こえない。ぷつん、と画面の光が消えて真っ黒になる。その画面に映った瞳が濡れているのを見て、やっと自分が泣いていることに気付いた。
一度自覚してしまえば、涙は止まる様子を見せない。落ちる涙が携帯を濡らしていく。
「シカマルっ……会いたいよ……」
濡れた携帯に額を押し付けて、嗚咽を堪えた。
会いたい。シカマルに、会いたい。
自分から連絡を断っておいて、今更会いたいなんて言う資格がないことくらい分かっていた。それでも、シカマルを想う気持ちを消すことなんてできなくて、今でも、一時だってシカマルのことを忘れることなんてできなくて。
ぎゅっと目を閉じる。思い出そう、なんて考えなくても自然と思い出してしまう。
去年の夏祭り。
一緒に行こうと約束していたわけではなかった。夏祭りの当日、シカマルの家に遊びに行った時、「今日夏祭りがあるんだってよ。行くか?」なんて少し照れくさそうにシカマルが言った。
家族以外と夏祭りなんて行ったことがなかったサスケは嬉しそうに頬を緩ませてそれに頷いた。一旦家に帰って、母親を急かしながら浴衣を出してもらって、着付けをしてもらって、やけに張り切って髪をセットした。
「……似合ってんじゃん」
「あ、りがと……」
シカマルはサスケの浴衣姿を見て、頬を染め、どこか違うところに視線をやってぶっきらぼうな口調で言った。褒められたのが嬉しくて、はにかんで微笑んだ。
先に行ってしまおうとするシカマルの服の裾を引っ張ると、シカマルは少し驚いた表情を見せたあとに頬を綻ばせてサスケの手を握った。
屋台を見て回って、りんご飴を買った。隣で串焼きを頬張っているシカマルを上目づかいに見ると、串焼きを口元に近づけられて、それにかぶりついた。口元が汚れたのを気にするサスケがそれを拭う前に、シカマルの指がサスケの唇に伸びた。唇を拭った指をなんでもないように舐めたシカマルに、思わず赤面して俯いた。それを知ってか知らずか、シカマルの手がサスケの頭を撫でた。俯きながら、こぼれる笑みを押さえきれずに、ふふふ、と声を出してしまった。
「ちょっと座るか。足、痛くねーか?」
「ん、大丈夫」
サスケを気遣うように手を引いたシカマルは道端のブロックの上に腰を下ろした。浴衣が汚れるかもしれないと心配が過ぎるが、それなりに歩いたおかげで足も疲れていたので、サスケもその隣で腰を下ろした。
二人揃って上を見上げると、花火が打ち上がった。
夏祭りが終われば、それはすなわち夏の終わりだった。
夏が終われば、シカマルはまた遠くに行ってしまう。寂しいな、口にはしなかったけれど、それをごまかすようにシカマルに寄り添った。
「この辺じゃ一番でかい祭りだもんな。人も多いけど、やっぱ花火がすげー」
「毎年ハート型の花火が上がるんだよ。多分、そろそろ……」
そう言って夜空をじっと見つめていると、大きな花火が打ち上がった。
大きくてきれいな、さかさまのハートの花火が夜空に咲いた。
「あ」
「決まんねーなあ……」
顔を見合わせて、噴き出した。
声を上げて笑っていると、シカマルもなかなか笑いがおさまらないのか腹を押さえていた。
深く息を吸って笑いをおさえたシカマルはふっと笑ってまた空を見上げた。それにつられるようにしてサスケも空を見上げる。
サスケ、と名前を呼ばれて首を傾げてシカマルの方へ向いた。
じっと視線が交わった。どきどきと心臓の音がうるさい。
「……シカマル、好きだよ」
「オレも好きだ」
シカマルの顔が近づいてきて、サスケはそっと目を閉じた。
唇が重なって、そこから伝わる温度がひどく愛しかった。
あの時は、たったそれだけであんなにも幸せを感じることができたのに。
思い出したって、悲しいだけだ。もう忘れよう。
そう、何度心に決めただろうか。何度も心の中で呟いて、アドレス帳からその名前を消そうとして。でも、やっぱり消すことなんてできないまま、見慣れた名前を見つめて、そっと掠れた声で名前を呼んだ。応える声はいつだってないままだ。
暗くなった画面に視線を落とす。涙で濡れてしまったそこを拭って、ボタンを押すとシカマルの名前が表示された。名前を見るだけでこんなにも胸がきゅうと締め付けられる。忘れなければ。こんなにも悲しい想いしか、できないのだから。
「サスケっ!」
何度も聞きたいと思った声が、耳に届く。都合のいい耳は、幻聴まで聞き取るようになったらしい。サスケは顔を上げて、視界に入った人物を見て驚きに目を見開いた。
「シ、カマル……?」
ずっと会いたいと思っていた相手がそこに立っていた。少し息を切らしたように肩を上下させ、汗を拭ったシカマルは眉を寄せてサスケに歩み寄ってきた。
「なんかいきなりメールしても戻ってくるようになったし、電話かけても現在使われておりませんって言われるようになったし、連絡つかねーからどうしようもねーしよ……」
唇を尖らせたシカマルは、サスケが反応する暇を与えないうちに言葉を続けた。不機嫌そうに視線を反らして、再びサスケの瞳をじっと見つめた。
「帰ってきてとにかくお前んち行ったらバイトから帰ってないって言われたけどバイトしてるなんて知らねーしよ、丁度夏祭りだから誰かと行ってんのかと思って来てみたら……お前、泣いてるしよ」
そう言ったシカマルは眉を下げ、サスケの頬に手を伸ばした。長い指が濡れた頬をすると拭っていく。
シカマルの指が触れて、久々に触れた温もりに身体が震える。ぽろ、とまた涙がこぼれた。
「なんでお前、泣いて……」
「……め、なさ……」
「うん?」
「っふ、う、……ごめん、なさい……」
嗚咽でうまく言葉を続けることができない。
しゃがみ込んでサスケを見上げたシカマルは俯くサスケの頬を両手で包みこんで自分の方へ向けさせた。その表情はサスケを案ずるようなそれで、サスケの罪悪感が募っていった。懸命に呼吸を整えて、サスケはシカマルの目を真っ直ぐと見つめた。
「勝手に、携帯変えて……連絡取れなく、したり、して……ごめん。電話もメールももっとしたかったけど、負担になりたく、なくて。会いたいのに会えないのが寂しくて、辛くて。だから、もうシカマルのこと忘れようと思った」
シカマルの表情が強張る。その表情に、またサスケの目から涙がこぼれ落ちた。
「でも、どんなに辛い思いしてたって、……シカマルのこと嫌いになれなかった……忘れられなかった……やっぱりシカマルが好きだよ……」
サスケが言いきる前に、シカマルの腕がサスケを胸に抱き込んでいた。
抱き締められる感覚に、サスケは目を見開く。ひどいことをした自覚はあった。もう、きっとだめに決まっていると思っていた。
「ごめんな、サスケ」
どうしてシカマルが謝るのか、分からなかった。勝手に一人がだめになって、勝手に連絡を断ったのは自分なのに。
なんで、と口を開こうとしたときにシカマルの唇がサスケの唇に重なった。驚きに止まった涙がサスケの目元できらりと光る。
「言わなくても、分かってくれるって思ってたんだ。そうだよな、不安になるよな。ごめんな。運転できるようになりゃ交通費そんなにかからねーからもっと会えるかと思ったんだ。メールとか電話できなかったのはバイト馬鹿みてーに入れて忙しかったからなんだ。バイトは、これ、買うためで」
サスケの腰に回っていたシカマルの腕が外された。鞄から取り出された小さな箱を見てサスケは首を傾げた。包みを解いたシカマルは気恥ずかしそうに視線を彷徨わせ、取り繕うように咳払いをした。
「今はまだ安いやつだけどよ、働いてもっと稼ぐようになったらこれよりもすげーやつ買ってやるからさ。えっと……今すぐにとは言わない。でも、卒業してちゃんと働くようになったら、……オレと結婚してください」
そう言ってシカマルが開けた小さな箱からは、涙と同じようにきらりと光る小さな石がついた可愛らしい指輪が顔を覗かせていた。
「へ? ……えっ……えっ?」
状況が理解できないサスケは指輪とシカマルの顔を交互に見比べて、意味もない言葉を繰り返した。そうしてやっと理解したのか、ぼんっと音が聞こえるくらいに一瞬で顔を赤くして、一度は止まっていた涙を再びぽろぽろとこぼし始めた。
「シカマル……! ごめ……だって、しら、なかった……っ」
「何も言わなくたって大丈夫だって、勝手に決め付けたのはオレなんだよ、サスケは何も悪くねーから、もう、謝んなって」
「っうう……ごめ、なさ……!」
「ほら、サスケ、オレ返事が聞きたいんだけど?」
しゃくりあげるサスケの背中を撫でながら、シカマルは苦笑した。一世一代のプロポーズの答えをまだサスケは口にしていなかった。
シカマルの腕の中でぐすぐすと泣いていたサスケは顔を上げて、シカマルの首に腕を回して勢いよく抱き着いた。ぎゅうと抱き着いたあと、サスケはシカマルの耳元で一度大きく深呼吸をした。
「不束者ですが、よろしくお願いします……」
語尾は消え入るように小さくなっていったが、耳元で囁かれた返事はしっかりとシカマルに届いていた。
サスケに見えない場所で小さくガッツポーズをしたシカマルは、頬を綻ばせてサスケの背中を叩く。それに身体を離してシカマルを見上げたサスケの頬はまだ赤みが引いていなかった。こぼれそうになる笑いを堪えながら、箱から指輪を取り出して、サスケの薬指にそっと嵌めた。
薬指に嵌まった指輪を二人で見つめ、そっと顔を上げると真っ直ぐに目が合う。どちらともなく目を閉じて、ゆっくりと唇が重なった。
誓いの口づけはこんな感じなのだろうか。触れた唇の感触を噛みしめようとしていると、大きく花火の打ち上がる音が聞こえた。
二人で夜空を見上げる。そこには綺麗に打ち上がったハート型の花火が咲いていた。
うたかた花火
とあるお二方との連作みっつめでした!
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