※シカサス前提シカク×サスケ
※死ネタです












 一睡もできない日々が、どれほど続いただろうか。
 ベッドの上でただただ天井を見つめ、耳を澄まし、足音がやって来ないか、今にもただいま、という声が聞こえるのではないかと淡い期待を胸に携えながら、また気づけば朝を迎えていた。もう大きな望みを叶えようとは思わない。ただ、ただいま、という声に笑顔でおかえり、と応えたいだけだ。それだけで構わないというのに。そんなささやかな願いすらもはや叶わぬ望みになってしまった現実に足元からじわじわと侵されて行く心地がした。
 締め切られたカーテンのわずかな隙間から仄かな朝日が部屋に差し込む。それすら目に痛く感じ、目を閉じた。からからと乾いた瞳が目蓋と擦れ合う。すぐに目蓋を押し開き目だけで辺りを見回すが、先ほどと何ひとつ変わっていない。しばらく何も口にしていないはずなのに、空腹を感じることはない。むしろ、何も感じない。肌で空気を感じることも、耳で音を感じることも、何もかも。この様子を見たら、何と言うだろうか。――――誰が?


 込み上げてくるものに身体を起こして風呂場へ走る。久々に動かした身体が軋んで悲鳴を上げた。コックを捻って冷たいシャワーを浴びる。頭からかぶった水が元々ほとんど熱を持っていなかった身体から根こそぎ熱を奪って行った。ひたひたと音を立てながらその場にへたり込んだ。濡れた服が肌に張り付き、その不快感にまだ皮膚触感が生きていることを思い知る。冷たい水が顔にぶつかる。それなのに、頬を伝うものだけが酷く熱かった。
 嘘だ。頬を流れる水も、誰も帰って来ない家も、何もかも。徐々に乱れていく呼吸をコントロールすることができない。咳き込みながら、それでも一心に冷たいシャワーを浴び続けた。このまま凍りついて消えてなくなったりはしないだろうか。感覚の無くなった指先でタイルをなぞる。水が肌とタイルにぶつかる音しか聞こえない中、遠くで足音が聞こえ、思わず立ち上がった。


 ほら、帰ってきた、やっぱり全部嘘だったんだ。身体を濡らしたまま洗面所に出て足音のした方へふらふらと歩いて行く。シカマル、おかえり。ただいまって言ってくれ、それだけでいいんだ。歪む視界の中、人の姿を捉えて目を凝らす。よく見知った姿にまた視界が曇って、目をぎゅっと閉じてからゆっくりと目蓋を押し上げた。そこに立っていたのはオレが心から望んでいるやつの父親だった。その瞳には悲しみと同情が浮かんでいるようで、オレはたまらず目を反らした。

「どうしたそれ……びしょ濡れじゃねえか」

 服を着たまま水をかぶったことを思い出して顔に張り付いた髪を払った。その姿を怪訝そうな顔をして見たシカクさんはオレを置いて奥に進み、タオルを持って戻ってくるとそれをオレの頭にかぶせた。

「あ……シャワー、を……浴びて……」
「変わったシャワーの浴び方だな」

 口から出て行った声は自分でも驚くほど枯れていた。久々に言葉を発したせいか、泣き叫んでいたせいかは分からなかった。タオルでぐしゃぐしゃと頭を拭かれ、されるがままになっていると、ぶわと以前の記憶が蘇る。ちゃんと拭けよ、風邪引くだろ。そう言って髪を少し乱暴に拭いてくれたシカマルは、もういない。また、急に胸が苦しくなって呼吸が乱れる。うまく息が吸えない。

「風邪引くぞ……おい、どうした大丈夫か」

 異変に気付いたのかシカクさんがオレの身体を支える。同じように濡れたオレに、同じような言葉をかける。やっぱりこの人は、シカマルの父親なのだ。

「なん、で、……ここに、っ」
「お前がちゃんと生きてるか心配になったからだ」

 触れた指先の冷たさに驚いた顔をしてシカクさんがオレの手を握った。感覚がなくなるほどに冷えた指先にとってその温もりは溶けるような熱さだった。このまま、消えてなくなることができたら。握られた手をきゅっと掴んで未だままならない呼吸を戻そうと試みる。それでも、引き攣ったような音が喉から鳴るだけで、苦しいままだった。それならいっそ呼吸が止まってしまえばいいのに。オレ一人で生きていたって何の意味もないのだから。
 不意にバスタオルを身体に巻かれ、そのまま抱き締められて、一瞬息が止まった。温もりが恐怖を覚えるほどにシカマルと似ていて、悲鳴を上げそうになる。

「妙なことは、考えんなよ。お前はこれからも生きてくんだ」

 宥めるように背中を軽く叩かれる。けれど、シカクさんの言葉に頷くことはできなかった。ふるふると頭を振ってシカクさんの服を掴む。シカマルのいない世界で、生きるなんて考えることもできない。

「シカマルがいなくちゃ息の仕方だって、分からない……ッ」

 言葉を吐き出してぐしゃぐしゃと服に皺を作っていく。ピンと伸びていた服もあっという間に皺だらけにしてしまった。拳にした手の力加減ができずぎりぎりとそこが音を立てた。
 今までどのように呼吸をしていたのか、それすらも思い出すことができない。シカマルがいなくなってしまったことで、すべてが脆くも崩れ去って行く音をたしかにこの耳で聞いたのだ。

「……馬鹿なこと、言うんじゃねえ」

 頭を撫でられて、ぐいと強引に胸へ顔を押し付けられる。感じる胸板はオレの知っているものと随分と違った。ただ温もりだけがシカマルを感じさせて、溢れてくる気持ちを抑えることができない。堰を切ったように溢れだした涙が止まる素振りを一切見せずに流れ落ちていく。嗚咽をもらしながらその胸に顔を埋めて泣き喚いた。
 もう二度とあの腕で抱き締めてもらうことはできない。もう二度とあの声で名前を呼んでもらうことはできない。もう二度と、もう二度と、もう二度と……。
 シカマルと同じ温もりを持った指が涙を拭い、頬を滑っていく。ゆらゆらと揺らめく視界に映る姿がシカマルに見えてまたひとつ涙の粒が滑り落ちて行った。

「……シカクさん」
「なんだ?」

 シカクさん、そう何度も名前を呼んだ。その度にシカクさんは同じように応えてくれる。相変わらず涙は止まらないし、呼吸もままならないけれど、ほんの少し安堵して柔らかな溜息がこぼれた。

「シカクさん、お願いがあります」
「なんだ? コトによっちゃあ叶えてやる」
「オレを抱いてください」

 存外するりと出て行ったセリフに笑みがこぼれる。もっと声が震えるかと思っていた。驚きに目を見開いたシカクさんはしばらく言葉を失っていた。ぐっと目を閉じて眉を寄せると、目を開けてオレの額に手を置いた。

「それは、聞けねえ相談だな」

 首を振ったシカクさんに縋るようにして手を取る。少し温度を取り戻した指先でも、まだそこに温かさを感じた。シカマルと同じ温もりが、ここにある。再び溢れ始めた涙を拭うのはあきらめて、シカクさんを見上げた。

「一度だけで、いいんです、お願いします……シカクさん、オレに、同情してください……!」

 この温もりにもう一度抱かれたい。この人がシカマルじゃないことくらい頭では理解している。それでも今のオレにはこの人に縋る以外方法がない。気が狂いそうな悲しみを紛らわせる手段なんて、他にありはしなかった。
 シカクさんの顔を見ていられず再び胸板に顔を押し付けて嗚咽をこらえる。何も考えられないくらい酷く抱かれてもいい。今だけ何もかも忘れさせて欲しい。今だけはシカマルと同じ温もりに抱かれたい。
 悲痛な叫びが通じたのか、シカクさんは何も言わずオレを抱え上げた。





「サスケ」
「何も見なくていい」
「何も考えるな」
「オレのことも、だ」
「……サスケ」

 シカクさんの触れ方は何一つとしてシカマルと同じではなかった。それでも、時折名前を呼ぶときの声の掠れ方や、宥めるように背中を撫でるタイミングがシカマルと重なって始終涙が止まらなかった。うわ言のようにシカマルの名前を呼び続けたオレは、シカクさんの目にどのように映ったのだろうか。熱い指先が頬を撫でていくのを感じながらオレはふっと意識を失った。







『あ、今日から任務か』
『ああ、一週間くらいで帰ると思うぜ』
『そうか、死ぬなよ』
『ハハ、縁起でもねーな』

 軽く笑ったシカマルは行ってくるな、と言葉を残して部屋を一度出て、すぐにこちらに戻ってきてキスをしてきた。驚いてまばたきを繰り返しているともう一度顔が近づいてきて、唇が触れ合った。ほんの少しの間だけ触れた粘膜の温度はオレの思考を溶かすには十分だった。ちゅっと音を立てて離れた唇を視線で追い掛けていると余程物欲しげに見えたのかシカマルの指がオレの唇に触れた。

『帰ってきたら存分に可愛がってやるよ』
『ばっバカマル……!』

 また楽しげに笑ったシカマルは今度こそ部屋を出て行った。背を向けたまま手を振る姿を見送って、オレは唇に触れた。
当然のように、一週間経てばあの唇に触れることができるのだと、思っていた。

 残酷な言葉が耳に刺さる。
 シカマルが、××だ? そんなわけ、ない。シカマルがオレを置いて××わけない! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!





 目が覚める瞬間まで鮮やかな夢を見ていたような気がした。重たい目蓋をのろのろと上げる。まだ眠っていたい。切なくて悲しい夢だった気がする。それでもそこに幸せを感じたのも事実だった。こんな風に眠ったのはいつ以来だろうか。きっと、シカマルが××でから初めてのことだ。心の底から安心できる温度に抱き締められた状態での目覚めは酷く幸せで、それゆえに悲しかった。

「しばらく寝てなかったんだろ」

 シカクさんはそう言いながらオレを抱き寄せて、窓の外を見つめた。最中、一度も触れることがなかった唇に指をあて、ふっと息を洩らす。キスは違う、とでも言いたいのだろうか。シカクさんの唇をじっと見つめていると視線に気づいたのか、顔がこちらを向いた。

「もう寝なくていいのか?」
「……はい」

 そうか、とシカクさんは呟いてオレの頭を撫でた。片方の手はベッドサイドを彷徨って、煙草を掴むと片手だけで慣れたように煙草の火をつけてしまった。鼻に届いた香りはシカマルのものと違うもので、親子で銘柄が違うものなのか、と思う。身体を反転させて、枕に顔を埋めた。

「じゃあ、今度はオレの頼みを聞いてくれるか、サスケ」

 その言葉に顔を上げて、窺うようにシカクさんを見上げた。無茶なことを懇願して、それに応えてくれたことの後ろめたさがある身としては、できることなら何でもしなくては、という思いに駆られる。それでも、そのあと続く言葉が予想できて返事をすることができない。シカクさんはふっと笑って、オレの返事を待たずに口を開いた。

「生きてくれよ。せめてお前は、生きてくれ」

 この人だって、一人息子を失っているのだ。その人の言葉は、オレに重く圧し掛かった。心の底から出る言葉だ。失う痛みを知る人間から出る言葉だ。その痛みを知らないオレではない。しかし、だからこそ、耐えきれないと心が叫んでいる。じわ、と再び溢れ出そうとする涙を隠すためにまた枕に顔を伏せた。

「お前はシカマルの分まで幸せになれ。これから先、長い人生だ。今何もかも決めちまうなよ」

 かぶりを振って拒絶を示してみても、シカクさんは言葉を止めようとはしない。溢れ始めた涙は枕をじわじわと濡らしていく。

「シカマルのことを忘れろとは言わねえ。むしろあいつが生きてたことも、あいつと一緒に過ごした時間も、忘れてくれるな。でもな、お前はこれから先、また違う誰かを好きになって幸せになれる」

 耳に届いた言葉が突き刺さる。がばりと身体を起こして、涙を隠すこともせずにシカクさんに詰め寄った。なかなか呼吸が整わず、はくはくと口を開閉させては目を閉じて落ち着こうと試みる。息をのんで、意を決して目を開いた。

「オレは、っ、シカマル以外の誰か、を、好きになったり……ッは、しない! シカマルを好きじゃない、……っ、オレなんて、オレじゃっ……ふ、ぅ……な……!」

 ぼろぼろと零れていく涙に呼吸を奪われて途切れ途切れの言葉になる。苦しくなって咳き込んだオレをシカクさんの腕が抱き留めて背中を撫でられた。泣きじゃくるオレが落ち着くまでゆったりと背中を滑る手のひらが痛いくらいに優しかった。

「シカマルもさぞ幸せだったろうな。お前にそこまで言わせるくらい、想われてたんだからよ」

 しみじみとした呟きが部屋に響く。溢れる涙は相変わらず止まる様子もない。その呟きに過去の響きが含まれていて、耳を塞ぎたくなった。シカマルがもういないことを思い知らされる言葉が身を切るような痛みをもたらす。

「もし、お前が先に死んじまったとして。シカマルが自分の後を追って死んじまったら、お前どう思う?」
「それは……」
「分かるだろ? それだけシカマルのこと想ってくれてんだ、シカマルが最期に何を望んでたか、理解出来るだろ? もう、どうすべきか……分かるよな、サスケ」

 もしオレがシカマルを残して逝かなくてはならなかったなら、絶望したとしてもシカマルには生きて欲しいと思う。シカマルもきっと、オレに生きて欲しいと願っているだろう。言葉が胸に刺さる。

「その言い方は、……ッ……ずるい……っ!」

 シカマルがオレの立場なら歯を食いしばりながら立ち上がるのかもしれない。それに、シカマルの望みを、無碍にはできない。シカマルが最期に望んだこと。シカマルがオレに遺した最期のもの。何かに縋らなければ生きてはいけないくらいに弱いオレが、生きるために縋るのはシカマルの最期の望み。それが、オレがこの先も生きていくこと、なら。
 悲しみを湛えてもなお、生きていけるだろうか。この先、いつかシカマル以外を好きだと言う日が来るだろうか。できるだろうか、シカマルがいなくては呼吸の仕方すら思い出せない、このオレに。

「お前にならできる。生きろよ、サスケ」

 シカクさんの声が、シカマルの声と重なる。シカマルの温もりを持った手のひらが頬を撫でて行った。シカクさんの言葉に力なく頷いた。最後にぽろりと、一粒の雫がこぼれ落ちて行った。




白ユリの追慕


120129




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