恋人の家を訪ねるというのはもう幾度目か、すでに数えられないくらいにはしている行為であるのだけれど、未だ気恥ずかしくかつ心弾むものだった。ここ二週間任務と報告書のせいで時間が取れず、久々の蜜月ということもあってオレは一刻も早くサスケをこの腕に抱きたかった。もちろん、純粋な意味で。やましい気持ちはない。嘘だ。出来ればあれこれしたい。なぜならオレだってオトコノコだから。そんな考えなど露ほども顔に出さないように努めて、サスケ宅の扉の前に立つ。ノックをして、いつも通り鍵の掛かっていない扉を開いて玄関へと足を踏み入れた。久々に会う彼女は、はにかみながらも嬉しそうに微笑み、部屋へと招き入れてくれるだろう。そう思っていたオレは、何か間違っていたのだろうか。

 足を踏み入れた瞬間に視界に捉えたサスケの目は明らかに彼氏に向けるものではなかった。さながら仇でも見るような、サスケにしてみると妙にリアルで笑えないのだけれど、そのような目でぎらりとオレの姿を映していた。そして振りかぶって、サスケの手がこちらに向かってきて、左頬に衝撃を感じた。その間がスローモーションのように感じたのは理解していただけることと思う。状況を理解するに、オレはサスケに殴られた。彼女に殴られました。平手打ちではなく、グーで振りかぶってこの子オレのこと殴りました。肉体的な衝撃と精神的な衝撃を受けて、なんとか体勢を崩すことなく昏倒することもなかったのは自分でもよくやったと思いたい。
 一瞬眩んだ視界も元に戻り、視線をサスケへ向けるとその表情は怒りが先行しているようで、色白の肌が薄く色づいており、目元には薄らと涙の膜が張っていた。サスケはオレを殴った拳を握りしめたままわなわなと唇を震わせた。

「こ、の、浮気者ーッ!」
「…は!?」

 耳をつんざくような怒鳴り声が響いてオレは反射的に目を閉じた。そして耳を通り過ぎた言葉を噛み砕いて理解し、困惑する。目を開くとまだそこにはキッとこちらを睨みつけているサスケが立っており、その右手はまだ拳を作ったままだった。拳が動く素振りを見せたので思わずサスケの動きを止めるように手を突き出す。何がなんだか分からないが、ともかく事態の収拾を図ることが急務だった。

「待て、待て待て待て、落ち着け! 話が見えねー!」
「この後に及んで何言ってんだウスラトンカチ!」
「いやだからオレが何したってんだ!?」

 オレの言葉に信じられないとでも言うような目をして息を呑んだサスケは、自らを落ち着けるように目蓋を下ろした。こめかみに浮かんだ血管が彼女の苛立ちを如実に表しているようだった。浅く呼吸を繰り返したサスケは目を閉じたまま口を開く。

「てめえの胸に手ェ当ててよく考えてみろ…!」
「え、あ、おい!」

 くるりと踵を返したサスケはそのまますたすたと歩いて行ってしまった。その場に立ち尽くし、一体何が起こったのかを最初から思い返してみる。
 サスケの家を訪れたら、出迎えてくれたサスケに殴られた。有無を言わさず。これがすべてだ。まさかノックの仕方が気に食わなかったとか、そんな横暴なことで殴られるわけがないし、一体オレが何をしたと言うのだろうか。と、サスケの言葉を思い返し、更に疑問が頭を悩ませる。浮気者、とオレを罵った言葉を考えると、つまりはそういうことなのだろう。まるで身に覚えがなかった。大人しく、サスケが言ったように胸に手を当てて今日一日の出来事を朝からなぞる。
 今日は任務の予定がなく、午前中に今日やらなければならない仕事は終わる予定だった。五代目のところへ報告に行ったところで運悪く用を頼まれてアカデミーに寄って、言付かった用を済ませた。何かサスケの逆鱗に触れることがあっただろうか。思い当たらない。今日の出来事じゃないのだろうか。サスケのセリフからして、女関係のこと、で。そこで、やっとひとつの可能性が浮かんできた。
 今朝、アカデミーに寄った時の話だ。職員室で用を済ませたあとに廊下を歩いていたところ、階段からふらりと人影が現れた。そのまま倒れそうになった人間の横を素通りするわけにもいかず受け止めると、その人物は随分とぐったりしていたので抱きとめて顔を覗き込んだ。それは見たところくのいちクラスの新任になった教師で、たしかアカデミーで一番若いくのいちだった。いつだったか周りが美人だとか可愛いだとか言っていたような気がするけれど、正直オレはサスケ以外に興味がなくてそのとき初めて顔を見たわけだが、まあそれなりだった。普通に美人と言えるレベルなのだろうけれど、サスケとは比べるまでもない。ともあれ、体調が悪いと言うのでそのまま保健室まで連れて行ったのだった。
 たしかに彼女ではない女を結果として抱き寄せたりすることにはなったのだけれど、これは不可抗力と言うものだし、人間として為すべき判断だったはずだ。そしてそもそもなぜその出来事についてサスケが知っているのかも謎だった。普段サスケは特別な用事でもない限りアカデミーなどに訪れることはない。まさか、滅多に訪れないアカデミーにやってきたサスケに、そのタイミングで見知らぬ女を抱き寄せる場面を目撃されたのだろうか。偶然が重なって、不運にも。

 思い至って、自分の不運さに頭を抱えたくなった。膝をつきそうになるのを抑えて靴を脱いで奥へ引っ込んでしまったサスケの後を追った。なんとしても誤解を解かなくてはならない。
 ソファーに座っていたサスケはオレの姿を見てやはり睨みつけてきた。相当ご立腹のようだ。殴られた左頬がじわじわと痛みを訴えてきている。しかしそれもこれもサスケの嫉妬からきているものだと思うと可愛くてしょうがない。ここでにやにやと頬を緩ませてしまえばサスケが何をしでかすか分かったものではないから、なんとか耐えつつサスケの側までそろそろと歩み寄った。近くに立って何から話したものかと逡巡していると、クッションでバシンと叩かれてしまった。それも、何度も。別に痛くはなかった。

「シカマルなんか知らねえどっか行けバカ」
「誤解だって」
「誤解じゃねえしバカ、どっか行けって」
「行かねーし」

 バシバシとクッションで叩いてくるサスケの手を取って隣に腰を下ろす。ぐいぐいとオレを押しやって離れさせようとするサスケにされるがままになっていると不意にその手が止まる。サスケの顔を盗み見ると、まだ怒ってはいるようだった。この様子からして、恐らくオレが本当に浮気をしたとは思っていないらしい。不可抗力で生じた何かしらがあったことは、理解しているはずだ。それでも怒りがおさまらないのは、オレへの想いの強さだと思うともうだめだった。

「オレ以外に優しいシカマルなんかきらいだ」

 顔を反らして深呼吸していると後ろからそんな言葉が聞こえてきて、ぎゅうと胸が締め付けられる思いがする。サスケの方へ顔を向けると、ちょうどその時サスケの足の裏がオレの横腹にヒットした。地味に効いた。

「オレ以外に触んな」

 蹴られた横腹をさすっていた手を止めて、じっとサスケを見つめる。頬に手を伸ばして宥めるように撫でても、相変わらずこちらを睨み続けている。抱き寄せるための腕を伸ばしながら音もなくごめん、と呟いた。ぐい、と抱き寄せた腕に収まったサスケだったけれどその腕に爪を立ててくるから、まだ怒っているらしい。

「ごめんな。でもこんなことしたいと思うのはサスケだけだから心配すんな」

 そう言ってから頬や目蓋、顔中至るところに唇を寄せた。大人しくそれを受け入れている様子のサスケにほっとしながら、最後に唇に辿り着こうかというところで急にサスケが体勢を変えた。強引な動作でオレの膝に乗り上げたサスケはオレの頬を両手で包んでちゅう、と唇を重ねてきた。互いの呼吸を感じる距離で、サスケはオレの目をじとりと見つめたまま口を開く。

「浮気者の言うことなんか信用できるか」

 そうは言うものの、赤くなった耳や愛らしく潤んだ瞳は明らかに言葉と矛盾している。キスされたことやその事実が、何よりサスケ自身が愛おしくてしょうがなくて、どくどくと早鐘を打つ心臓が気にする余裕もなく、その身体を力の限り抱き締めた。



落ち着けハニー
(オレの方が落ち着いた方がいいかもしれない)



110529


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -