授業の終わりのチャイムが鳴り響く。それに紛れてぐう、と鳴るお腹の音を耳にしながら、持ってきているはずのあんぱんを思い浮かべて喉を鳴らした。先生が教室から出て行ったのを確かめて、鞄の中に手を突っ込む。がぶ、と取り出したあんぱんの三分の一を口に収めて咀嚼した。甘さが口の中に広がり、停止していた思考が動き出す。
 ふと昨日、様子がおかしかったシカマルのことを思い出した。シカマルのHRが終わった直後にクラスから飛び出してきて、すれ違い様に声を掛けたけれど、気付かなかったのかそのまま走り抜けて行ってしまった。あんな顔をしているシカマルを見たのは初めてだった気がした。ボクに何も告げずに帰ってしまったのも、初めてだった。何があったのか、よく知らないけれど。

「チョウジ、辞書貸して!」

 声に顔を向けると、いのがこちらに歩いてきているところだった。また食べてる、と呆れたように笑ったいのはボクの席の前で立ち止まって、辞書を受け取るための両手を差し出した。

「珍しいね、ボクのとこに借りにくるなんてさ。シカマル次の時間辞書使うって?」
「違うわ、シカマル、今日まだ来てないのよ。だから遠いのにここまで辞書借りにくるはめになったってわけ。休みなの?」

 へえ、と驚きに目を見開く。シカマルが遅刻するなんて、珍しい。めんどくさがりで遅刻して登校してきそうに思えるけれど、シカマルは基本的に遅刻はしない。そしてあまり欠席もしない。ただ授業で起きてる率は死ぬほど低い。欠席ならボクかいのに連絡してくるだろうし、きっと遅刻してくるのだろう。

「何も聞いてないよ。来るんじゃない?」
「だといいけど。ちょっと塾の宿題、見てほしいとこがあって」
「ボクが見ようか?」
「数学よ?」
「うんごめんシカマルに聞いて」

 笑ういのに対して机から出した電子辞書を手渡す。ありがと、と言って辞書を受け取ったいのは手を振って教室を出て行った。残ったあんぱんを口に押し込んで、次の授業の教科書を引っ張り出す。じきにチャイムが鳴って、授業が始まる。

 最近のシカマルは少しずつ変わりつつあるな、と感じていた。それはシカマルがアスマ先生のことを口にするたびに感じることで、多分二人の関係が変わったからだと思った。シカマルにとっての好転は、きっとしていない。アスマ先生はそれなりにラフな人だけれど、いい加減な人ではないから、そこはきっちりしていたはずで、第三者のボクから見れば明らかなボーダーラインが引かれていた。それをシカマルが越えるとも思えない。シカマルはずっとアスマ先生のことが好きなのかな、といういののいつかの呟きが頭に響いた。そうかもね、ボクはあのときそう答えたけれど、それは多分、違ったのだ。ボクたちは所詮十七年程度しか生きていない。何もかも変わらないと信じていたいだけで、環境も人の気持ちも簡単に変わっていくのが現実だった。


*****


 午前の授業が終わって、やっと待ち望んでいた昼休みがやってきた。授業開始三十分を経過した辺りでうるさくなってきたお腹の音も、これで静かになる。弁当を掴んでシカマルのクラスへ向かった。クラスを覗くと、自分の席に伏せたままのシカマルが目に入る。あの様子だと寝ているらしい。中に入ってシカマルの肩を叩いた。少しの間を置いてゆっくり顔を上げたシカマルは遅刻してきた割には寝不足を感じさせる顔をしていた。

「今日なんで遅刻したの?」
「…普通に寝坊してな」
「なのに眠たそうだね」
「夜寝つけなくて、結局寝たのが朝方だったからな」

 くあ、と大きくあくびをしたシカマルはごそごそと鞄を探って弁当を取り出す。前の席の椅子を借りて座ると、あ、と声を出したシカマルが口を開けたままこっちを見ていた。

「昨日先帰って悪かったな」
「ああ、いいよなんか急いでたみたいだし」
「おう、ちょっとな」
「うん」

 具体的に言おうとしないシカマルを見て、ふふ、と笑いをこぼしてしまう。なんでもないよ、と続けて弁当を広げた。
 シカマルが言わないなら、きっとボクは知らなくてもいいことなのだろう。どうしても聞きたいとは思わなかった。卵焼きを口に運んだところで、そういえば、と思いだす。

「アスマ先生、明日引っ越すって聞いた? 今日荷造り手伝いに来い、だって」
「メール来てたな。めんどくせー」
「いのは塾あるから、明日の朝に行くって言ってたけど」
「どうせオレとチョウジで荷造りだろ。塾か、いい理由だな」
「行くの?」
「お前は行くんだろ? オレは用があるけど、そのあとから行く」

 そっか、と答えてご飯を口に入れる。金曜日だから、きっと前に言っていたレンタルビデオ店にでも行くのだろう。そういえば、バイトの人と仲良くなったって言ってたっけ。でもあの店だと、アスマ先生の家があの近くだからよく行ってたわけだし、もうなかなか足を運ぶことも少なくなるのだろうか。

「アスマ先生引っ越したらビデオ借りに行けないよね」
「ん? あ、あーそうだな」

 少し驚いた表情を見せたシカマルはすぐにいつもの表情に戻り、それでいて少しだけ口端を上げて笑った。そしてその顔のまま、おかずを口に放り入れてもごもごと動かしたあと、ふっと表情を緩めた。

「やっとアスマも奥さんのとこに戻るんだよな。ほんとめんどくさかったっての」
「新居に遊びに行きたいよねえ」

 そう返して、シカマルの表情をひっそりと噛みしめる。変わりつつあったものが、今完全に変わったのだと実感する。シカマルが口にした先生の名前の響きは前みたいに、切なさが混じってはいなかった。隠れるように笑ったつもりだったけれど、気付かれてしまったのか疑問を投げられた。なんでもないって、と笑って最後の肉を口に放り込んだ。

 シカマルの隣にいて、同じものを見てきて、思っていたことがある。アスマ先生のことがあったからか、シカマルは自分から何かを求めるということが本当に少ない。それが当然だとでも言うように、誰かの幸せを横から眺めるだけなのだ。アスマ先生に手を伸ばさなかったのは、その先に終わりしかないと分かっていたからかもしれない。それでも感情を投げ出さなかった理由は、ボクにだって分かる。簡単に捨てられる気持ちじゃないから、だ。投げ出さなかったんじゃなくて、投げ出せなくて、それでいて一度も辛いと言わなかったシカマルを見ていたら、ボクもいのも、何も言えなかった。
 だから、ボクは今ひどく嬉しかった。シカマルを変えたのが何なのか、誰なのか、ボクは知らない。シカマルが言わないのだから、聞こうとは思わない。でも、シカマルを幸せに対して前向きにしてくれた何かに、心から感謝したかった。シカマルが嬉しいとボクも嬉しいし、シカマルが幸せだとボクも幸せだ。

「シカマル」
「ん?」
「言いたくなるまで待つから、いつか教えてね」

 目を丸くして、それからはにかんで笑ったシカマルからは、幸せなのだと伝わってきてボクもつられて頬を緩める。やっぱり、ボクはシカマルが好きだと思った。ああ、いのにこっそりと伝えなくては。そして大騒ぎをするいのを宥めながら、はにかむシカマルと一緒に二人まとめて抱きしめてしまおう。幸せだな、そう感じながらデザートのクリームパンを頬張った。




腕いっぱいの愛を


110512






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