晴れた空は青く澄み、白い雲はのんびり流れ。
里の田んぼは稲を実らせ、庭の柿の木も実をつけて。
遠い山の向こうから吹く風にのって聞こえる秋の声。

ぽかぽかと暖かな陽射しに包まれて、すっかり黄色の葉に色づいた山の木を眺める狐が一匹。
とある山の中にある古い家の縁側で、八雲藍はまったりと茶をすすっていた。
ずずーっ、ぷはぁ。

「いやぁ、今年も綺麗に黄色くなったわね」

まだ湯気の立つ湯呑を手に、しみじみと銀杏の木を眺めて目を細める。この幻想卿に腰を落ち着けて何十年と経ったけれど、この景色だけはずっと変わらないものだ。その美しさときたら、外の世界でもここまでのものはないんじゃないかなとひそかに思いもするが、藍がこちら側に入ったのはもうずいぶん前のことだ。あちらの景色も大いに様変わりしていることだろう。なにせ藍の覚えている山の景色は、緑の濃い藪に獣道、魚の多い川と綺麗な水が飲めて鳥のよく集まる泉、沢山の実をつけるアケビの樹と…………覚えている昔の記憶、いささか偏っていやしないかな、過去の自分よ。

「あの時代は生きるのが最優先だから、仕方ない、仕方ないことなの……!」

湯呑を傍らに置いて、自分の手をじっと見つめる。そういえば、昔はこんな手でもなかったっけ。もっと毛むくじゃらで爪もあって……。
仲間のようなのもそれなりに近くにいたような。

秋の空気は駄目だ。郷愁を誘う、というか。春と似た気候で過ごしやすいのだが、ふとした時に冬の足音を感じる分、しんみりとした物思いにふけってしまう。

こんなことではいけないと思う反面、たまにはいいかしら、とも思う。
異変が起きてなくて、異変未満の厄介ごとも起きていない。極めて平和ないつもの幻想郷の秋だ。のびのびと尻尾を伸ばして、ゆっくりしたって誰が咎めようか、いや、そんな奴はどこにもいまい。
そんなわけで、藍はまた秋の山へと目を向けてのんびりすることにした。


ずずー。
――ああ、お茶おいしい。




さて、その後ろ。
縁側でひとりほのぼのとした空間を作っている藍の後ろで、らんらん光る一対の瞳。
何かを狙うように右に左に揺れて動いて、それはまるで獲物を狙うが如し。
心なしか姿勢も低く、縁側とは対照的に、ゴムが弾けるぎりぎりのような緊張感があふれている。

八雲紫の式神の八雲藍の式神、というなんだかややこしいものがくっついてはいるが、橙自身はれっきとした化け猫だ。人を驚かして生きてきた猫である。猫じゃらしだって、またたびだって好きなんだ。
そんな橙、左右に揺れるものには弱い。ちょっと寒いなって思う時は陽だまりにも弱い。

だから遊びに来た八雲の家で、日当たりの良い縁側で、揺れるふっかふかの黄金色の尾を見たらそりゃあもう、飛びつきたくなるってものだ。彗星のようにまっすぐに突っ込んでいきたくなるものだ。
それならすぐにでもいけばいいと思うけどもそこはあれ、湯呑持ってますし。
驚かせて落として割りでもしたら藍様のせっかくの良い気分も台無しだろうと、わずかばかり残った良心に従った結果の待ちの構え。ちなみに、尻尾に突っ込む事に対してはなんの遠慮もないそうな。
あの手から湯呑が離れたら、すぐにでも飛びこんでいくつもりである。

「………いやぁ、ほんといい天気ー。たまにはちょっと尻尾のお手入れでもしようかな?」

先ほどからちらちら横目で後ろを向いてたり、これ見よがしに尻尾を引いてみたり。
狙われている本人は既にすっかり気付いているようだが、橙はそれに気付いているのやら。

「あ、お茶無くなった。……ま、あとでいれればいいわね」

独り言にしては誰かに聞かせでもするような声量で言って、湯呑を置く藍。
その音にようやく待ち望んだチャンスとばかり、飛びつく橙。
ようやくかぁ、と飛びつかれた藍は驚くよりも先に息をついたのであった。


「おやおや、橙。来ていたのね」
「はいー」
もふもふもぞもぞもごもごと、背中の方から呑気な声がする。
待っている間、太陽に当たっていた分も暖まっているのだろう、時折嬉しそうな喉の音が聞こえてくる。引っ張られる感覚から察するに、何本かまとめて顔をうずめているらしい。
ぎゅうぎゅうと抱きついてくるから、橙の熱が背中から伝わってくる。
ここに来るまでどこを通ってきたのか、橙からは金木犀の香りがふわりと届く。
これも秋の風物詩だ、なんてことを思いつつ、藍は会話を続けていった。

「橙、金木犀の香りがするわ。山に咲いていた?」
「あー、なんだか良いにおいのがいっぱいありましたねーー……ふかぁ」
「そう、そちらの山も秋が来ているのね。確かあちらはこちらの山より紅葉が多かったから、きっとどこもかしこも赤くなってそうだわ」
「そですねー。確かにこっちは……もふっもふの黄色ですね……」
「………今日の夕飯は秋刀魚の予定だから、食べていきなさい」
「もっふぅ……」

駄目だこれ。
肩から後ろの様子を伺ってみると、ぐりぐりと頭ごと尻尾につっこんでいる橙の姿が見えた。
はたから見たら尻尾に食われているみたいで少し怖いのだが、本人の尻尾も喜びを表していることだし良しとしよう。
邪魔をしないように少しずつ身体をずらして橙の方へ向き直る。
ふと紅葉の葉がくっついているのを見つけて、そっと取り上げた。
葉の色は真っ赤に燃えて、少女の衣服のワンポイントのようになっていたのだ。
色も似ているしなぁ、と見比べていると、ふとその本人の動きがない。

静かな空気の中、すぅすぅと聞こえてくるこれは……寝息だ。目的を達成したから、気が抜けてしまったのだろう。
そのつもりはないのだろうが、尻尾を布団にすやすや気持ちよさそうに眠っている。
藍は微笑ましく見守っていたが、がっちり抱きついた腕が尻尾を離しそうにないと分かると、流石に苦笑いを浮かべるしかなかった。眠る猫、恐るべし。

せめて固い縁側の上では寝にくかろうと、余った尻尾で橙を包む。ふかふかの尾にくるまれて、橙はふにゃふにゃ幸せそうに眠っている。
太陽はまだ空高くにいて、夕日になるにはまだ時間がかかりそうだ。
主が戻るのはきっと夕暮れの後。さっき橙に言った夕飯の用意は、まだまだ時間に余裕がある。

金木犀の香りをまとって眠る少女の頭を撫でて、藍は静かに微笑んだ。


「んー、今日はなんだかいつもより静かねえ……あら、橙はおやすみ?」
「ええ、とても良く」
「ふぅん、まあ貴女の尻尾、枕にしたらとっても気持ちよさそうだものね。気持ちは分かるわ」

ふにふにと白い指が柔らかな頬をつつく。耳がぴくぴくと動いたものの、橙が起きる様子はない。

「あっ、もう。ぐっすり寝てるんですから、起こさないであげてくださいね、紫様」
「はいはい、分かってるわよー。でもこのほっぺがつついてって言うんだもの、しょうがないわ」
「頬がそんなこと言いますか。お気持ちは分かりますけどね」

悪戯そうにくすくすと笑う声、呆れたような、けれど優しい声が降ってくる。
見守る視線は柔らかく、ふかふかの尻尾はほんのりお日様の匂いがして。
夢うつつに、橙は自分の頭が撫でられたような気がした。

そして橙は眠りに落ちていく。
黄金色の布団の上で見る夢は、大好きな人の笑う夢。




陽射しは暖かく、風は穏やか。
空は蒼く澄み、山は赤と黄色に彩られて。

どこかで誰かの歌う声。きっと秋の神様だ。
のどかなある、秋の日。
縁側に集った三人のおはなし。




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