どうして、こんなことになっているのだろう。

遥か遠くの空で輝く月を見上げながら、射命丸はそう思う。
視線を数センチずらせば、視界に入ってくるのはひょこひょこと揺れる白い獣の耳。狼というけれど、犬のようでもあるそれの持ち主も、今にも息がかかりそうな、いや実際かかってる、まさしく目と鼻の先にいる。

「……文、様」

張り詰め、真剣さを帯びた声がする。ついぞ聞いたことない声音で呼ばれるのは、同じく相手の口からは聞いたことのない自分の名前で。いつもは騒音カラス天狗とか、出歯亀ならぬ出歯天狗だとか、嫌味を隠そうともしない真面目でお固い白狼天狗じゃないか。こんな、色恋じみた、情愛じみたことなんか、興味もないような顔をしている癖に。

どうしてこんなことになったのだろう。

背中に感じるのは固くて冷たい地面の感触。土と夜露に濡れた草の匂い。
目の前には気の合わない彼女の身体。射命丸を地面に縫い付けるみたいに、腕で押さえて、覆いかぶさって。

抵抗しても無意味なのだろう。
いくら速さに自信のある自分だって、押さえつけられたら、逃げることも出来やしない。ペンは剣より強しというけど、その使い手、文系と労働者では、比べるまでもない。

どうしてこうなったのか、三度頭に浮かぶ疑問。

もはや言葉もなく、ただ見つめあうだけの自分たち。自分を見つめる瞳の意外な力強さに怯みながらも、射命丸は己の記憶に問いかける。

いったい何がきっかけで、こんなことになったのか―――。


そう、きっかけは――月、だったような気がする。



その日、射命丸は博霊神社に来ていた。
新聞に載せるネタの取材だなんだと理由をつけてはいるが、実際のところはただの世間話だ。

「ふむふむ、博麗神社で月見の宴席、ですか」
「そう、最近はなんでかすごくいい月夜が続いてるから……何かの異変があった、なんて話もないし。満月を見ながら飲むのも風流よねって思ったの」
「それはまぁ、異変がないのはいいことですけどねえ。また酔った調子で山に突撃に来ないでくださいよ?前も見張り役を誤魔化すの、大変手間だったんですから」
「それは魔理沙に言いなさいよぉ……私、関係ないわよ。あの子が勝手に箒でばーっと飛んでっちゃっただけ」
「箒で飛ぶようにけしかけた人のセリフじゃないですよね、それ」
「あはは、まあ皆適当にお酒飲んで楽しむってだけだから、貴女もテキトーに参加して新しい新聞のネタでも人の弱みでもなんでも握っちゃえばいいじゃない」
「くっ、主催側なのになんて適当な……!ですがまあ、私も取材の合間の息抜きに、是非とも参加させてもらいましょう。ええ、そりゃもう激務続きなので、ここらで羽休めしておかないとですねぇ」
「……にやけ顔で言ってちゃ、説得力ないわね」

ずずず、と茶を呑みながら巫女が言った言葉は聞こえないふりをして、射命丸はいそいそと手帳に宴の予定を書きつけるのであった。

それから。
それから射命丸は少し里を飛び回って陰で噂を集めたが、今日も記事になりそうなネタは特に見つからなかった。不作の日もあるだろうと、特に何も考えず、カメラ片手に帰路について。
妖怪の山の上に差し掛かった辺りで、射命丸は薄暗がりの中にいつものように動く白い影を見つけたのだ。

白狼天狗と鴉天狗。
同じ天狗ではあれど、自分たちと彼らの間には確かに溝がある、と射命丸は思っている。
溝は普段は感じられない。時たま、お互い仕事中に出会った時に、視線を感じる程度なものだろうか。しかし確かに、自分では気づけないけれど、確かに。溝はあるんだと、白狼の彼女の態度がそう物語っていたから。
だから自分のあずかり知らぬところで、彼女たちが溝を作るに足る理由があるのだろう。
射命丸は天狗だ。そしてすべての天狗が平等だなどとは思っていない。白狼と、鴉と、役割がそもそも違うのだから、違っていて、溝があって当たり前なのだ。

なので、彼女の――犬走椛の態度がいつも尖ったものだとしても、刀を突き刺すような視線も、茨のようなとげとげしい言葉も、そういうものだと許容して、そんな態度を黙って許容するだけの性格でもないから、しっかりとそれに相応しいだけの態度を取ってきたつもりだったのだ。

だというのに。
いつもは回れ右をして、けして声をかけはしない。会話が始まるのは大抵、千里先まで見えるらしい向こうが見つけてくるからだ。自分を見つけて、突っかかって来るからだ。だのに今日は宴のことを考えていたから、射命丸は嫌味ではなく、愛想を先に飛び出させてしまったのだ。驚いて目を見開く彼女の姿を見て、ああ間違えたと、自分の中ではボタンをひとつ掛け違えていたのに気付いたような、軽い凡ミスをしたような認識だったの、だが。


……何をどう思ったものか、向こうにしてみたら、そうではなかったらしい。

気付いたら、飛んでいたはずの自分は地面に背中をつけていて、目の前にはあの子がいて。

ねえ、本当に、どうしてこうなったんでしょうか。
視線に言葉を込めてみるけれど、まったくもって伝わっていない。だからじっと見てるのは別に他意なんてないんだから!頬を!染めるな!やっぱり彼女、犬走椛は白狼ならぬ白犬なんじゃないかと、彼女の身体ごしに見える尻尾に目を留める。ぶんぶんと揺れる尾は、真剣そうな顔と比べて彼女の心情を多大に伝えてくれるので真にありがたいものである。

「文様、文様は、ずっとこのまま続くとでも、思ってたんですか」
「はて、なんの話でしょうかねぇ……ついでにそろそろどいて頂けませんかね、白狼天狗さん」
「私が本当に貴方のこと、嫌いだなんて、本当に思ってたんですか」
「会うたび会うたび突っかかってきたのはどこのどなたでしたっけ、ねえ!」
「逃がしません。離しませんよ。今日、満月のひとつ前でしょう?言うなれば、十四夜。ああ、待宵とも言いますね。私、あの月を見る度に思っていたんです。文様が私の思いに気付く日が来ないかなぁ、って」
「満月に吠えるんじゃなくて、願うんですか?なんとも乙女趣味じゃないですか、狼の癖して」
「ええ、ええ、ずっと待っていましたよ。きっと貴方が来てくれるはずだと。気づいてくれるはずだと」
「……いつから待ってるかなんて、聞きませんよ。どこの忠犬ですか、貴女は」
「ずっと見ていたの、知っていましたよね?伝えたいことがあるの、気づいていましたよね?どうしてそんな、知らないふりをするのですか。気づかないふりをするんですか」
「そんな熱烈な理由があるとは、思ってませんでしたし……私としても妥当な対応をしていたつもりですよ。ていうか、貴女私のこと嫌いだったんじゃないんですか」
「勿論嫌いですよ、人間のことを構う貴女はね」
「……はぁぁ」

熱に浮かされた瞳は決してこちらから目を離そうとしない。真っ直ぐ見つめてくるのは、なんとも居心地が悪いものだ。常々思っていたのだが、どうしてこんなに眼力が強いんだろう、この狼。それともこのくらい強くなきゃ、千里先なんて見えやしないのだろうか。

視線がかち合ったらもう外せなくなりそうで、射命丸は視線を外して彼女ごしに空を見る。空に浮かぶ月が綺麗だと、思った。

「月が、綺麗ですね」

唐突に聞こえた声。おかしなものだ、彼女はずっとこちらしか見ていないのに、どうして月が綺麗なんて言えるのか。疑問に答えるように、すぐさま次の言葉が聞こえてきた。

「貴女の眼に映った月が、とても、綺麗です」
「……椛さん。貴女、それ計算で言ってるんです?天然なら、相当のモンですよ、それ」
「計算?なんのことです。本当に綺麗だから、綺麗と言ってるだけです」
「あー。あー……いいです、もういいです…」

はぁ、と溜め息をついて額に手を当てる。両手を上にあげて、ホールドアップ。降参だ。認めよう。射命丸文は決して犬走椛を嫌いではない。憎からず、思っていると。

まったく、今日は綺麗な月夜だ。

憎いくらいに輝く十四夜目の月を見上げながら、射命丸は額に当てた手を伸ばす。
かわいいかわいい忠犬殿の想いに報いる為に。


明日の宴は欠席かなぁと、そんなことを思いつつ。
十四夜月のその下で、狼の叫んだ愛を受け止めるのだ。

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