「北極星を知ってるか?」
こうして唐突に話が始まるのは、私たちの間ではいつものことだ。
彼女も私も共通の話題である魔法の研究の話ばかりしているから、あの紅白の巫女にまで色気がないと言われるのは常である。しかし彼女だって、仮にも巫女であるにも関わらず金銭のことばかり考えているのだから、実のところ、どっちもどっちでお互い様なのだけど。
ともあれ。いきなり話しかけてきた彼女に応答を返す。
目線はいつものように、ビーカーに向けたまま。
「ポラリスでしょう?あるいは、ステラマリス。空に輝く星のひとつね。旅人の目印にもなっているわ」
「そう、そうだな。北の目印だぜ。なんだ、よく知ってるじゃないか」
「星の弾幕を張る自分に比べたら大したことないって思ったの?すごーく浅はかね。こう見えても魔法使いよ、天体も魔法や魔術の研究対象なんだから、知っていて当然でしょう」
「ちぇ、まぁ考えてみればそうだよなぁ。パチュリーの弾幕も五行に月と太陽だったし。魔法使いの常識なのか?」
やれやれと肩をすくめて、呆れたようにあの子を見る。
独学で魔法を学んだらしい彼女は、時たまこうして何か新しい知識を手に入れたとき、私に教えに来る。
たとえそれが使い古された既出の知識であっても、まるでついさっき手に入れたばかりのぴかぴかの新品のような顔をして、私に言ってくるものだから、私は真実を伝える前に一瞬だけ躊躇ってしまって。
でもそれが、ただ知った知識を言いたいだけなんだと気づいてからは、それなりにあしらうようにもなったけど。
仏蘭西人形に手持ちの実験用具を片付けるように頼んで、上海人形に紅茶のカップを持ってきてもらう。
実験机の上、少しだけ空いたスペース。二人分のカップくらいなら置けるそこに、紅茶を二つ、砂糖を一匙。
「そろそろ休憩にしましょうか、星の話でもしながらね」
「そりゃあいい、丁度喉が乾いてきた頃合いだったんだぜ」
「……はぁ。それは、まあ、なんて調子のいいことかしらね」
まだ実験の名残が残る作業部屋で、立ち昇る紅茶の香り。本日の紅茶は、アールグレイ。
もっとも、魔理沙のことだから紅茶の名前なんて覚えてもいないのでしょうけど。牛乳を入れたらミルクティー、それ以外はただの紅茶――なんて、最初に言っていたくらいだし。
最近はようやく紅茶にもいろいろ種類があることくらいは分かってきたらしく、一口も飲みもしないでさっさと砂糖やミルクを入れてしまうなんていう悪い癖も無くなってきた。これに関しては、事あるごとに自分が口うるさく言っていたこともあるかもしれないが。
「で、だ。星の話だよ、北極星の話だ」
「ああ、言ってたわね。今度は何なの?」
「北極星がずっと北から位置が変わらない星なのは……まあ、アリスも知ってる通りだぜ」
「ええ、知ってるわね。多分貴女の知るずっと前から」
「今は、それはいいんだぜ……それで、星もずっとそこにあるのかと思ってたんだが、北極星ってのは何千年に一度、変わることがあるらしいな。北なのは変わらないまま、北極星そのものの場所が変わるんだと」
「ああ、そんな話もあったわねぇ。ころころと変わって、忙しないこと」
アリスの返答に小さく眉をよせて、魔理沙はカップをぐいとあおる。
大方、あまり気のない反応につまらなくなったか、紅茶の味が舌に残っているか、だろう。彼女はミルクと砂糖のたくさん入った甘い紅茶を好むから。アリスからしてみれば、香りだけでなくてもっと味も楽しんでほしいものだけど。
「なに?貴女の新しい弾幕の参考にでもするの?」
「いいや?別に私は今のままでもいいと思ってるし、八卦炉の調子もいいもんだぜ」
「あら、珍しい。貴女が弾幕と魔法のこと以外の話を持ってくるなんて、びっくりね」
「人のことをなんだと思ってるんだ?私だって別に、学術的好奇心に基づいて調べたりだってするぜ」
足を組み替えて額に手を当て、上を向く彼女に苦笑して自分も一口、紅茶のカップを傾けた。
二人が紅茶を飲むペースは違うもので、アリスが一口飲むごとに、魔理沙は三口飲んでしまう。ふうふうと吹いて冷ました紅茶を一息で飲み切ってしまえば、ソーサーに置いたカップの持ち手を手持無沙汰に指でつまんで指に絡めて、アリスの操作でまた上海人形がカップに紅茶
を注ぎいれるのを待っている。
それをアリスも承知しているから、指をくいと動かせば、魔法の糸は人形を動かす。
注がれる紅いお茶の色を眺めながら、彼女は再び口を開いた。
「今日さぁ、どうせ暇なんだろ?ちょっと私に付き合ってくれよ」
「……話が見えてこないわね」
「折角星の話をしたんだぜ、ここは星でも見とかないとだろ」
「星の話しと、今夜の星見がどうしてつながるって言えるのかしら」
意味が分からない、どこをどう繋げれば、話の意図が見えるのだろう。
たまにこうして魔理沙の言葉は飛び散って、どこか別な場所で一つの思考にまとまる時がある。唐突なそれに戸惑うことはいくつもあったけれど、彼女はそういう性格なのだから仕方ないと、いつの間にか思うようになっていた。世間ではこれこそを慣れだとか、惰性なんていうのだろう。
実際は彼女の誘いがどんなものであれ、アリスが断るなんてありえないことなのだけど。
「なんだよ、それとも何か用事でもあったのか?だったら、」
「ちゃんと聞きなさいって、行かないとは言ってないでしょうに」
「おっと、それはすまんすまん。なんだかんだ言っても、アリスって付き合いいいよなぁ。いつ誘っても文句は言うけどついてきてくれるし、約束も守ってくれるしさ」
「それ、貴女が相手だからよ」
「はい?」
「貴女、約束破ったらうるさいし。異変に首突っ込んだら突っ込んだで約束放ってしばらく会いにもこないんだもの。だったら私がちゃんとしないといけないでしょ?」
「うーん……なんか、すまん?」
「分かんないなら謝らない!ほら、それで星見って何するのよ」
「あ、ああ、そうだな……」
首を捻って今にも唸りだしそうな魔理沙をたしなめて、話の先を促す。
そうでもしないと話が進まない。いちいち変なところで立ち止まるのも彼女なので。
そうこうして聞き出した、星見の計画。
といっても私と魔理沙で二人、夜に空を見に行く程度のものである。
森の奥にそこそこ開けた場所があって、そこならいるのは妖精くらいなものだろうということだったが、妖怪も妖精も、見かけたら弾幕を撃ってくるのは変わらない。
どうせ一緒に行くならば、と魔理沙の箒に乗っていくことになった。歩くよりも早くついて、途中で襲われてもすぐ対応できるし安全だからという魔理沙の声を聞きながら、私は彼女と箒に相乗りできるという少しの幸福に身を委ねるのだった。
夜になって、ふたり、箒にまたがって。横に座りながら彼女の背中に寄り添った。
ふわりとからだの浮く感覚、次いで頬に当たる風の音。
ゆっくりと、されど確実に進んでいく。だんだんと上がるスピード、彼女にからだを預け。
暗闇の森の中を進んでいく。
「そろそろだぜ、アリス」
「ええ、そうみたいね」
何かがあった場合の為に待機させていた人形たちを回収する。いざとなっても、一体いれば十分だ。それだけの力量が、人形使いたるアリスにはあるつもりだから。
丸く広がって、ぽかりと空が見える場所。森に空いた丸い穴。
降り立って地に足をつける。
足が草を踏む音がする。
「今日が新月で、よかったわね。星を邪魔する月明かりもないから、よく見える」
「満月だったら吸血鬼に出くわしてたかもしれないな。それとも、狼人間とか」
「ルゥ・ガルゥー?よしてよ、どこかの竹林ならいざ知らず。この森にいる訳ないでしょ」
「どうかな、もしかしたらいるかもだぜ?だって竹林には兎も、不死鳥も、かぐや姫だっていたんだから」
「貴女の物差しで測らないでほしいものね……とにかく、いないったらいないわよ」
軽口をたたく魔理沙と並んで木陰に敷いた敷布に座る。
まんまるく空いた空には我が物顔で居座る月はなく、星が光ってきらめいている。
いくつかの星を繋げれば星座が出来そうだと思ったけど、今探しているのはそれじゃあない。
「お!見つけたぜ、アリス!あれじゃないか、北極星」
「んー、どれかしら……あれなの?少し暗くない?」
「北の空にある中じゃ、一番方角的にもそれっぽいんだぜ?」
「上海、方位磁針を………まあ、確かに北の空にはあるけど」
「だろー?つーか、適当でいいよ、適当で」
どうせただ星を見に来ただけなんだからと、魔理沙はいつの間にか仰向けに寝転んで空を見上げている。
すっかり寛いでいる彼女に冷めた視線を送って、アリスは抱えた膝に顎をのせる。
暗い暗い夜空の中で、ひと際輝く北極星。
こぐま座のα。
またの名を、ポラリス。
ステラ=マリス。
アルルッカバー。
キノスラ。
北の明星。
北辰。
あの星が、夜を飛ぶ彼女の道しるべになるのだろうか。
箒に乗って飛ぶ魔理沙の顔は、いつもの溌剌で愛嬌のある顔に少しだけ凛々しさがプラスされて、アリスはその顔も好きだと思う。いいや、魔理沙なら、きっとどんな顔だって。
さっきまで肩越しに見ていた魔理沙の顔を思い出す。あの顔を、あの視線を一身に受け止める、ただひとつの星。
「ねえ魔理沙」
「なんなんだぜ、アリス」
「貴女のポラリスは誰かしら。答えられる?」
「おかしな質問だな、星ならそこにあるじゃないか……けど、まあ、あえて言うなら、多分お前じゃないのか」
「あら、意外。あの巫女とか、森近さんとかかと思ったのに」
「意外かぁ?だって霊夢は飛んでるから一か所に留まってないし、パチュリーは図書館に閉じこもってる。香霖にいたっては、何かを探しに行くときしかいかないし、あいつ自身、私を待っててはくれないんだ。だからアリス、お前なんだぜ。お前だけはそこにいて、私を待っていてくれるんだよ。お前が、私のポラリスだ」
「……なんだ、そんな理由。消去法の、最後じゃない」
「そんな理由だぜ。でも、それで十分な理由なんだ……ん?おいアリス、どうして帽子を押さえるんだぜ?」
「………なんでも、ないわよ…」
「いや、なんでもないって、これじゃ星が見えないんだが……お、おい!」
「十分見たでしょ。ちょっとくらい黙ってて」
「……はいはい、分かったって…」
あっけらかんと言った彼女の口から溜め息混じりの息が吐き出されるのが、魔理沙の三角帽子ごしに伝わってくる。大人しく諦めたのか、次第に手足が伸ばされきって、呼吸も一定のものにかわっていった。魔理沙には悪いけど、あともう少し、私には時間が必要なようだ。熱く火照る頬の熱を、夜風に当たって冷ますくらいの時間と、彼女の顔をもう一度、真正面から見れるようになるまでの時間。どのくらいになるかは、分からないけど。
それまでは三角帽子の暗闇で、待っていてね。私だけのお星さま。