こいしちゃんは天気がいいので散歩に出ようと思いました。
ここは地の底、地霊殿の入り口です。
もちろんこんな地下深くで外の天気など分かるはずもありませんが、とにもかくにも、天気がいいと思ったのでこいしちゃんは出かけようと思いました。

まずは出かける前の挨拶です。こいしちゃんはお姉ちゃんの古明地さとりに、「いってきます」と声をかけます。お姉ちゃんのペットの猫と烏にも声はかけましたが、二人とも気づかずに行ってしまったのでノーカウントです。こいしちゃんの思ったとおり、お姉ちゃんはちゃんとこいしちゃんに挨拶を返してくれました。

「いってらっしゃい」「いってきます」

どこへ行くのとか、何をしにいくのとか、お姉ちゃんは余計なことは聞きません。
それをこいしちゃんに聞いても無駄と知っているからです。すべては彼女の無意識のままに行われるからです。
さて、お姉ちゃんに挨拶もして、こいしちゃんはご機嫌です。
いざ、地上へと向かいましょう!
意気揚々とこいしちゃんは地上へ上がっていきました。


真っ暗でじめついた地下からお日様輝く地上に出ても、これといった行き先があるわけではありません。それはいつものことですし、これからもずっとそうでしょう。こいしちゃんはただ歩くだけです。こいしちゃんはどこにでも行けるし、誰にでも会えるから、行き先だって特に考えたこともありません。こういうときは運にすべてを任せます。気ままに歩けばきっと誰かに会うことでしょう。
そう思って、こいしちゃんはふらふらと歩きだしました。
まずはあの、湖の近くの紅い洋館へ。
いつも誰かの楽しそうな声がかすかに聞こえる、あの暗闇へ。


館の前までくれば門番の彼女は木陰で安らかにお昼寝中。
起こさないように、息を潜めてそっと通り抜け。まるでだるまさんがころんだみたいと、門を通り抜けたこいしちゃんは門番を振りかえってくすりと笑います。
ほんの少しのドキドキは、彼女の心を面白がらせて。
誰にも見つからないようこっそりと広い広い廊下を歩いて、奥から聞こえる声の方へ。
こいしちゃんは誰にも見つかりません。誰も彼もの無意識の中。
そこがこいしちゃんの居場所です。
誰にも気にされない、道端の小石のような存在。それがこいしちゃんです。

こいしちゃんはお屋敷の地下に辿り着きました。石で囲まれた、暗くて冷たい場所です。
地底に似てるけどどこか違うその場所には大きな鉄格子があります。格子の一本一本がこいしちゃんの腕ほどもありそうな大きな鉄格子です。こいしちゃんはその奥に、赤く光る眼を見つけました。とっても綺麗な/残忍な、赤い眼です。
こいしちゃんに気付いているのかいないのか、その目の持ち主は紅茶を飲んでいるようでした。いえ、飲んでいるのでしょうか。お菓子を食べているだけかもしれません。甘い匂いがその部屋には漂っていました。
むせるような甘い匂いの中で、その子がかは、と息を吐く音が聞こえます。

喝采、哄笑、笑い声。形容しがたい声が辺りに響きます。こいしちゃんはじっとその子を見つめています。
こいしちゃんがふらりとその場を立ち去るまで、楽しそうに狂った笑いを続ける吸血鬼をじっと見ていました。


次にこいしちゃんが訪れたのは、人里にあるお寺でした。最近お世話になり始めた、毘沙門天がいるお寺です。こいしちゃんの友達もここにいます。探せば大抵はここにいます。
彼女は皆から正体不明と呼ばれていました。でも、もう正体不明じゃありません。
大きな船がここにあるお寺になったときに、彼女は皆に封獣ぬえという正体を見つられてしまいました。
だから彼女は――ぬえは、こいしちゃんと同じように欠けた存在になりました。

「ぬえちゃーん」
「こいし。何時の間に中に……って、いつものことか」

木の上に座っていたぬえを見つけて手を振ります。呆れたような顔をしながらも、ぬえは手を振りかえしました。
こいしちゃんがいつのまにか寺の中に紛れ込んでいることには、もうすっかり慣れたようです。きっと今日も聖の説法でも聞きにきたんだろうな、と最近檀家になったこいしちゃんの帽子を被った頭を見下ろせば、にこにことした笑顔とかち合いました。何も考えていないような―実際、その通りの―こいしちゃんの笑顔は、ぬえにはちょっとばかり慣れないものでした。はじめてその笑みを見たときはいつも見ている聖の笑顔とは違う気がして、でもその違和感の理由はいまだに分かりません。これが聖の言う「空」というやつなのか、ぬえには判別はつきませんでした。

「また聖に用かい?あいにくだけど今日は里に行ってるから、戻るまでまだかかると……」
「ううん?今日は……うん、遊びに来たんだよ。ぬえちゃん、一緒に遊ぼうよー」
「今の間、なんだか気になるなぁ……ま、いーや」

ぬえは悪戯が好きな妖怪ではあったけれど、けして天邪鬼ではなかったので快く了承しました。こいしちゃんは嬉しそうに、何度も何度も頷きました。


二人でしばらく遊んでいると、寺の門がにわかに騒がしくなりました。
きっと里に下りていた皆が戻ってきたんだろうとぬえは途切れ途切れに聞こえてくる寅とネズミの声を拾いながら思います。ふと小さな音が聞こえた気がして横を見れば、もうそこにこいしちゃんの姿はありませんでした。

「もう、またねとかサヨナラくらい言っていきなさいよね」

けどきっと、さっきのがそうだったんだろうとぬえは少し拗ねたように唇を尖らせました。もっと遊びたかったのに。彼女の溢した小さな本音は、風に紛れて空に溶けていきました。

命蓮寺からの帰り道、物陰からこいしちゃんを見つめる影がありました。
お面を周囲に浮かせて少女の姿を物陰から見つめる少女……端からみれば、とても怪しい姿です。しかも握りしめている奇妙な面が、それに追い打ちをかけています。
何度か深呼吸をして緊張した面持ちでこいしちゃんを見つめると、少女は意を決して物陰から飛び出しました。

「見つけましたよ、私の宿敵!」

声をかけられたこいしちゃんはきょろきょろと辺りを見回して、ようやく自分に話しかけられたと察します。
よくよく相手を見れば、なんだか知らないけど数か月前に沢山自分に挑んできた子だ……と気づいて、こいしちゃんは少し嬉しくなります。なんでかはわかりません、知りません。でも確かに、心の中で小さな自分が嬉しいと。言っているような気が、したのでした。こいしちゃんはその子の名前を呼びます。

「――こころちゃん」
「どうしたんです、宿敵。怖気づいたのですか?今日こそっ、私の面を返してもらいますよっ!」
「あげないよ。こころちゃんでも駄目、これは私の宝物だもの」
「ならば、問答無用です!」

こいしちゃんは何も言わず、笑ってこころに背を向けます。そしてそのまま――走りだしました。まるで、追いかけておいでと言うように。


今日という日が終わったら、お姉ちゃんになんて言おう。そう考えながら、後ろから追いかけてくる声にこいしちゃんはとても楽しそうに笑うのでした。
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