目を覚ますと目の前に橙色の山があった。

ぼんやりした頭でそっと手を伸ばせば、重力に従ってそれは簡単に崩れていく。ただそれだけのことなのに、なんだかおかしく思えて妹紅は子供みたいに小さく笑った。
どうしてここにいるんだっけか、はっきりしない寝起きの頭では思い出せない理由の答えを求めて横を向けば、答えはわりと近くにあった。

「起きたか?妹紅。 ……その様子では、よく眠れたらしいな」
「ふわ……、あら慧音、いたのね」
「いるよ、なんたってここは私の家だからな」
「……どのくらい寝ていたのかしら」
「そんなに長くはないさ、せいぜい十分かそこらだ。 私が客の相手をしに外に出て、戻っていたときにはもう寝ていたよ」
「ああ、そうだったわね」

思い出した。妹紅は慧音に呼ばれて来たのだ。渡したい物があるから来いと言われて。
そうして来てみれば部屋にこたつが出されていて、こたつで温まりながら慧音がお茶を持ってきたところで来客があって、客人の対応をしにいった彼女を待っている内にうとうととしてしまったのだろう。

「珍しいものを見たぞ、まさかお前がうたた寝しているなんてな」
「人を寝ない生き物みたいに言わないでよ。私だってこたつには勝てないってことよ」
「そうだな、一つ勉強になったよ。 ……ふふ」
「うるさいわね、ちょっと黙りなさいっての」

くすくすと笑う彼女の足をこたつの中で蹴ってやる。よく見えないから完全にあてずっぽうだけど、言いたいことは伝わるはずだ。それと私の顔が赤く見えるのは、こたつの熱に火照ったのだとでも言っておこう。

「それで、今日のはいったいぜんたい何の用なのよ。わざわざ竹林からここに呼んでおいて、私とお茶したかっただけとか言うんじゃないわよね」
「はは、そう尖るなよ。でもまぁ、理由はだいたい同じだな。妹紅とお茶でも飲もうかと思って。どうせ竹林でも暇してるんだろう?」
「それは否定しないわよ。どうせ炭焼いてるかあの馬鹿な姫の相手してるか、どっちかだもの」
「そうだろう? たまにはのんびりした時間もいいものじゃないか。どうだ、蜜柑でも食べるか?」
「……いただくわ」

にこにこと笑いながらお茶をすする慧音は、のんきな顔で蜜柑をこちらに薦めてくる。
一つとって皮を剥けば、ぷしっと汁が溢れでた。途中まで剥いたところで半分に割って、そのまま片方を口に放りこめば甘い蜜柑の味が口の中に広がる。

「甘くて美味しいわね、里の人にでも貰ったの」
「…そうだといえばそうだし、違うといえば違うな。 それはもともとお前にと渡された蜜柑だから」
「……私に、人間からぁ?」
「数日前、竹林、袋を握った小さなヒトの迷い子。 ……心当たりは?」
「うわー………何で知ってるのよ」
「残念、これでもお前よりは里の人たちとは交流があるからな。聞いたんだよ、竹林で迷ってる子供を助けてあげたんだろう。これはそのお礼だと、その子の家族から渡されたんだ。ほら、美味しかっただろう?それが人助けの代償さ」
「あの小僧、誰にも秘密にしておきなさいって言ったのに」
「良かったな、その子供はお前にとても感謝していたぞ」

なんとなく彼女から視線を反らして、また一つ口に蜜柑を放り込む。
あの子供を助けたときに感じた感謝の視線はなんだか慣れなくてむずがゆくて、とても変な心地になった。今、慧音から感じる慈しむようないとおしむような視線はもっとだ。だけどそれを嫌いではない、と思う自分はきっと彼女たちに絆されているのだろう。一人で永遠を生きると思っていたのに、気づけば傍らにあった体温が嫌ではなく、むしろ好ましくさえ思っているのだから。

でもそれを目の前の彼女に言う気は毛頭ない。言わなくたって伝わることは案外多いものなのだ。

「さっき、寝ているとき。橘の香りがしたわ」
「はて、確かに同じ柑橘類だが、蜜柑と橘は違うだろう」
「じゃあ昔の夢でも見たのかしらね。橘の花を見たことはあっても、実を食べたことはなかったのを思い出したわ」
「あれはいけない。実は蜜柑のようだから食えそうに見えても、まるきり別物だ。正月に餅の上に載ってあったのを失敬したことがあってな、それで学んだ」

苦々しい顔の慧音にその光景を想像して、妹紅は声をあげて笑った。
このまま時が止まればいいのに、いくら想っても永遠の時間がそれを許さないなら。

「私ね、橘の花の香りに、まだ家族といた頃のことを思い出すの。母様がいて、女房達がいて、あまり会わなかったけれど、多分父様もいたような気がしたわ」

突然始まった妹紅の昔語りに、慧音はおかしな顔一つせず、静かに話を聞いていた。
まるで脈絡もない話でさえ、こうして聞いてくれる彼女のことを妹紅はとても好ましく思っている。
いつか訪れる別れをしばし忘れていたくなるほどに。

「だけどね、これからは……きっと貴女のことを思い出すわ。どんなに離れていても、時が経っても。貴女とこうして過ごしたこの日を思い出すの」
「……そうか」

慧音は何も語らない。ただ穏やかに、慈しむような目を妹紅に向けるだけだ。
けれど妹紅にはそれで充分で、満足だ。確かな言葉もそれを示す行動も、何もいらない。

そこに慧音の居る限り、それは約束された幸福の証なのだから。
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