天気明朗、空高く。
晴れ上がった秋の青空の下、紅魔館を背に一人の少女があくびをした。

「ふぁ、あぁー……今日も平和ですねぇ」

門からみえる幻想郷の山々は近頃すっかり秋めいて、赤に黄色の彩りが山々を賑わせていた。紅葉と同じく赤い髪を風になびかせ、紅美鈴はぐっと一つ伸びをして両手を腰に当てた。

「うーん、本日も快晴、見える範囲に異常なし!」

門柱に寄りかかって空を見上げれば、暖かな秋の日差しとゆっくり流れる白い雲。
時折妖精が通りかかるとはいえ、そうそう人が来るような場所でもない。
長閑な風景に心癒されながら、しばらくは休憩しても大丈夫だろうと美鈴はあくび混じりに考えてすとんとその場に座り込む。
折りしも時間は正午過ぎ。
紅魔館の門番たる彼女を睡魔が襲うのに、それほど時間はかからなかった。



どれほど寝ていただろうか。

「にゅふぅ……駄目ですよ、咲夜さん……一度にそんなに詰められても、食べきれませんって……うへへ……」
へらへらと幸せそうな顔で眠りながら時々寝言を口にする彼女はふと眉をしかめ、もぞもぞと動きだす。どうやら夢を見ているようだ。

「んー……ぐぅぅぅううう……ちょ、ま、……ぎゃあああああああ!!霧の湖が大洪水ぃぃいいい!!!!」
幸せそうな顔はとうに青ざめ、ばたばたと何かから逃げるように手足を動かしたかと思うと大きな叫び声をあげながら美鈴はガバッと跳ね起きた。

「早く逃げてください咲夜さん!館が、館が沈むぅぅぅ! ……て、あれ?」
目が覚めてきょろきょろと辺りを見回しても、先ほどまで自分の周りにあった水はない。
ならば先ほどのは夢だったのかとホッとしたところで、彼女は自分を見つめる視線に気がついた。

「ん?」
「お? ようやく起きたのかい?」
待ちくたびれたじゃないか、と寝ている自分の隣で杯を片手に酒の匂いをさせた美丈夫、旧地獄に住む一角の鬼――星熊勇儀はカカッと笑った。



「ええっと、ですね?」
「ん?」

困惑を隠せない美鈴をよそに、勇儀は(おそらく)酒の入った杯を傾ける。
傾けられた杯から香る匂いに、ああ美味しそうだなぁ私だって仕事してなかったら呑みたかったよちくしょうめ、と心の中で涙を飲んで美鈴は疑問を解消しようと口を開いた。

「いつからいらっしゃいました?」
「あんたが門の横でぐーすか寝てたときかな。よっぽど幸せそうに寝てたんでね、起こすのもかわいそうだしあんたが起きるまで暇つぶしに呑んでた」
「いや、それ明らかにただ呑みたかっただけじゃないですか!? むしろ起こしてくださいよー!」

こんな場面をあのメイド長に見られていなくてよかったと思う。
侵入者(?)がいながらその目前で門番が寝ていたなんて、彼女の銀のナイフがいつも以上に景気よく飛び交うこと間違い無しだ。いや、今の状態を見られても同じことなのだが。ハァ、と大きなため息をついて美鈴は勇儀に問いかけた。

「で、お嬢様に何かご用ですか? わざわざ地底からいらっしゃるなんて」
「お嬢様? ……ああ、違う違う。私が用があって来たのはあのちっこい吸血鬼じゃなくって、あんたにだよ」
「はい?」

一瞬何のことかわからずに思考が止まる。はて、用事と言ってもしがない一門番である自分に、地底の鬼が一体全体何の用があるというのか。

「あんた、紅美鈴っていったかな。あたしはあんたと勝負しに来たんだ」
「弾幕勝負ですか? それなら尚更、お嬢様が相手のほうがいいのでは?」
「違うね、ただの弾幕ごっこなら魔理沙にでも頼むって。聞いたよ、あんたこっちのほうもなかなかなんだって?」

そういって勇儀は獰猛な笑みとともに、グッと拳を握る。その構えは猛々しさと静かな闘気を感じさせ、まるで闘士そのものだ。その姿勢のまま勇儀は挑発するように指をくいっと曲げた。
「来なよ、門番。あたしと一丁、腕試しといこうじゃないかっ!」

だから何でなんですかぁ、と美鈴の叫ぶ声は高く晴れた秋空に吸い込まれて消えていったのだった。


さて、それから30分は経っただろうか。

「さぁ……て、と、準備はいいかい?」
ぐるりと大きく腕を回して鬼は後ろを振り返る。そこには拳を合わせて深呼吸を繰り返す美鈴の姿があった。いきなりのこととはいえ、美鈴も変わり映えのしない仕事に飽きて暇ではあった。それならこの機会にと、思い切りストレス発散することに決めたようだ。

「………はい、いつでも来て、構いませんよ」
「…ハッ、鬼相手にそんなセリフが吐けるたぁ、いい度胸じゃないか」
少女と鬼は互いに向かい合い、一瞬の静寂が場を支配する。ビリビリと音もないのに聞こえるそれは、二人の闘気で空気の震える音であろうか。遠目に見れば少女と鬼の娘、なんてことはない取り合わせ。
しかしそこにいるのは紛れもない、二人の闘う者たちなのだ。
そのまま二人は動かない。静寂だけが響く霧の湖の湖畔にて、遥か遠い空には一匹の白い鳥が飛ぶ。
ポチャン、と魚が跳ねる音――波紋が一つ、二つ三つ。
広がって消えゆく直前――先に動いたのは、美鈴だった。

「いきます!」
気合と共に少女はその足をバネにして飛びかかる。拳をグッと握りこみ、勢いよく突き出されたそれは、鬼が避ける間もなく無防備に空いた胴へと繰り出された。
常人であればただの突きにも見えるそれ。しかし気功の達人である美鈴の繰り出すそれは、常人以上の速度と突貫力なのだ。普通であればもろに喰らえば大きなダメージとなる、はずなのだが……

「いいねぇ、実にまっすぐだ!でもそれじゃあ、足りないんだよッ!!」

呵呵大笑。

鬼は美鈴の打撃を物ともせずにケロリとした様子で笑っている。当たっていないわけじゃない、防がれたわけでもない。確かに美鈴の突きは勇儀の腹に刺さっている、しかしそれだけなのだ。
鋼のようなその肉体にダメージは通っていない、傷つけることもなくただ拳は当たっているだけだ。そのまま突き出された腕を勇儀はがっしりと掴み取る。まるで万力のような力だった。
美鈴は掴まれた腕を振りほどこうと掴んだ勇儀の腕を横から殴りつけようとして、急な浮遊感に襲われる。
美鈴が勇儀に持ちあげられたのだと理解するのと同時に、逆さまになった視界に勇儀の顔が写る。にやりと笑ったその顔は、まさしく鬼神の如く。そのまま真下に振り下ろされた腕は風を切り、彼女の視界に今度は地面が近づいた。

「このまま叩きつける気ですね…こんにゃろ、紅魔の門番、舐められてたまるかってんです、よっ」
「はっはっは!それでこそだよ門番!」
くるりと体を捻りあげる。足を下に、垂直にして。
地面に触れる瞬間にスピードと重力によって重くなった足を突き立てれば、美鈴が叩きつけられたはずの地面には大きなクレーターが出来る。受け身を取るよりもそのまま足場を崩してしまえばいいと蹴りつけたのだが、叩きつけられるよりもきついかもしれない。ビリビリと脚から登ってくる衝撃に噛みしめた唇から苦悶の声が小さく漏れても、美鈴は勇儀から目を離さなかった。

蹴りを放つ、避けられる。相手の拳を避ける、繰り出す技はひとつの決定打にもなっていない。
かすり傷一つ追わせられない目の前に仁王立ちする鬼からは、圧倒的な気迫を感じる。それはまさしく昔語りに出てくる鬼そのものだろう。
対する美鈴はごく普通の妖怪だ。鬼なんかと比べては見劣りもするだろうが、それでも負けるだなんて思っていない。
だってこれは――ただの手合せ。
拳と拳で打ち合うだけの、しごく健全まっとうな立ち合いなのだ。
門番としてじゃなく、武術家としての自分を思いっきり前面に押し出して、弾幕ならぬ拳戟の応酬。それならば自分と相手の間に差など何もありはしない。勝つか負けるか。どっちがどっちになっても文句の一つも出やしない、そんな勝負になるのだと――そう、美鈴は思っている。何も言ってはいないけど、きっと相手もそうだろう。
繰り出す拳が、受ける蹴りがそう語る。語っているのだ。
闘う者としての勘だろうか?こんなこと、あのメイド長に言ったら笑われてしまいそうだが。

美鈴はいつのまにか、自分が高揚感に包まれていることを自覚していた。このままではいけない、冷静にならなくちゃ。そう思っても、美鈴の身体は止まらない。こうして殴り合うことが、楽しくて仕方ないのだ。

「やっぱり私も、一匹の妖怪ってことですかねー」
口振りはのんきなものだが、その眼差しは厳しいものだ。少しでも気を抜いたら吹っ飛ばされそうな勢いで勇儀は攻撃を仕掛けている。実際その一発は見た目以上に重く鈍く、容赦のないもので。一方的な防戦になっていないのはまだ美鈴の速さと技巧のなせる技か、並大抵のものではすぐに膝をついていたことだろう。
ギリギリまで引きつけてのヒット&アウェイ、手数の多さでは相手よりも勝っているつもりだ。
なのに倒れない、否、倒させてくれない。流石は地獄の鬼である。
ついでに補足すれば、二人の周囲には戦闘の痕跡が色濃く残っており、あちこちでクレーターや地割れが発生していたりする。背後に門があることを除けば、ちょっとした決闘の舞台のようにも見えなくはない。
しかしその中心に立つ勇儀は、なにか思うところがあるようだった。

「……んー、こういうのも面白いっちゃ面白いけどさー。そろそろ決着つけたい気もするんだ」
「あははー、そういうこと言っちゃいます?私これでも力使ってんですけどねー」
「いや、それは分かってるよ。私の性格かな、どうにも終わらせたくなくって手加減しちまう」
「今戦ってる最中の相手にそれいいますかー。……まあ、本気出されたら叶わないし、手加減されてるってのはなんとなく分かりますけどね」
「な?お互い消耗だけはしてるしさ、動きもなんもないのはもやもやして辛いわけだよ」
「それで?そんなことを言うってことは、そういうことですよね」
「まぁね。次の一撃は手加減無用――全力で、お相手するよ」

やれやれと言わんばかりの美鈴を前に勇儀は笑い声を上げる。どうやら今の会話がツボにはまったらしい。
いったい今の会話のどこにそんな要素があるのやら、頭に攻撃は受けていないはずなのに美鈴は少し頭痛がした。
しかし、勇儀を前にその目が細められる。気功の達人である美鈴には、勇儀の纏う気が少し変わったような、変質する気配を感じた。今までが巨大な山のような気だとすれば、今のこれは。

(刀?いいえ、そんな細くて折れそうなものじゃない……もっと密度があって、もっと硬質な)
思考を巡らせる間にも、勇儀は楽しそうにしていながら動かない。動かない、というよりも力を溜めているようだ。
それを見た美鈴は足を広げて拳を前に構え、息を深く吐いて、吸って。瞬発的に理解できたのは、これが当たればたとえ自分でもただではすまないということ。そして恐らくこの、大技。これを放った一瞬彼女にとっては好機ともいえる、大きな隙が相手にできるということ。つけいるならば、そこだということ。

「いーちぃ!にぃーー、のーーー!」
勇儀が足を大きく踏み出す。一歩、二歩。掛け声と同時に鬼が拳を大きく振りかぶる。いち、にの。
「さん!!」

隕石が落ちたような衝撃。
とでも言えばいいのだろうか、鬼の拳は風を切り、突風と轟音を巻き起こす。鬼の全力はここまでのものなのかと、突風をもろに受けて美鈴の腕に顔に、うっすらと切り傷が出来る。
目前まで迫る剛力を受け流し、反撃に転じようとしても生半可なものではふっとばされてお終いだろう。
美鈴はひたすら豪風に耐えその時を待つ。勇儀の拳が届く範囲まで、あと数cm。
集中しきった頭と眼には、それが一秒一秒コンマ送りのスローモーションに見えて仕方がない。
けれど同時に、真剣勝負であると感じられてとても心地良い気分でもあった。勇儀の拳は動かないでいる美鈴の顔に向かって放たれ―――顔すれすれを通り抜け、その風圧で頬を切るだけに終わった。
そのかわり、次に動いたのは美鈴の方で―――一撃必中、心臓を抉るような角度の拳でカウンターを放つ。動いたばかりの勇儀は視線だけは向けたものの、自分の全力をかけて放った技の途中で動くことなど出来るわけもなく。どこか楽しそうな笑顔のまま、美鈴の拳を身体で受け止めたのだった。



「……っ、やーーっ!負けた負けたァ!」
「っは、あ……っ!特大級の一撃ぶち込まれて、よく笑えます、ね…」
「あっはっはっは、門番の嬢ちゃんはよくやったよ!もうさ、久しぶりに血が沸き立ったねぇ」
「…………まあ、ありがとうございます?」
「地底に篭ってるのもいいけど、やっぱたまには地上に出てきてよかった。次も機会があったらよろしくといいたいくらいかな……なんだいその顔は?」
「いえ、なんでもないですよー。それと次はまた別な人を見つけられた方がもっと楽しめるんじゃないかと」
「そうかい?私としてはもっと楽しんでたいんだけどね。ま、今日はここまでにしとくよ」
「お帰りですか?見送りますよ」
「いいよいいよ、あんたは仕事を頑張ってくれ。あの吸血鬼どもによろしくなあ」
最後までその豪快な笑顔を崩さずに、嵐のようにやってきた嵐よりも厄介な客は帰っていった。
その背中が見えなくなるまで見送って、美鈴はばたりと大地に倒れこむ。彼女の体力はもう限界に近くて、立っているのだって気力だけでもっていたようなもの、いつ倒れるかわからないほどだったのだ。
地面の冷たさを背中に感じながら空を見上げる。あんなにぶつかりあった後なのに驚くぐらいに穏やかな空は、見ているだけで彼女の精神を落ち着かせる。このまま昼寝でもして疲れを癒そうかと思って目を閉じようとして、彼女は目の前に影が落ちるのを感じた。

「もうじゃれあいは終わったのかしら」
「うげ。……まあ、はい。お客様は帰られましたよ――咲夜さん」
「あら、驚かないのね?残念だわ。もう少し驚くくらいしなさいな」
「……時間停止していきなり目の前に現れておいて…驚きはしましたよ、一応ですけど」
「そ、また昼寝?」
「あれだけの相手に全力ですからねー、腕に足にいろいろ痛むんです」
「ふーん、それはいいんだけど……この辺の地形、ちゃんと直しておきなさいよね。このままじゃお嬢様が夜の散歩に出られないじゃない」
「ええぇーー………ちなみに、咲夜さんはお手伝いとか…」
「こんな風にしたのはあなたなんだから、責任持って片付けなさいよ」
「ですよねーー!」
「じゃ、伝えたいことはそれだけだから。せいぜい頑張んなさい」
「そ、それだけ?!本気でそれだけなんですか咲夜さ――ああっ、いつの間にかいないし!」
おそらく時間停止の力を使ったのだろう、メイド長の姿はすでにそこにはない。
まったくとかなんで私がとか、ぶつぶつとぼやきながら体を起こす。
ふと視線を向ければ、少し離れた場所に出来立てのおにぎりがのった皿があるのが見えて、彼女はなんだか笑ってしまった。


その後、紅魔館の門の前で地面のクレーターを埋めている門番の姿が目撃されたが、その様子は疲れているようにはとても見えず、むしろ非常に上機嫌だったことを伝えておこう。
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