聖白蓮にとって、仏教は心の支えである。
彼女の人生は仏教と共にあり、仏教こそが彼女の生きる全てだった。
弟が死んだときも、一輪や村紗、そして寅丸星に出会ったときも、彼女の傍には仏教があった。地獄に封じられたときも、星蓮船と一緒に復活したときだって、彼女は一人の聖人であったのだ。
そんな彼女にとって見過ごせない人がいる。
いや、彼女を人と言っていいのだろうか。自分と同じく人間を止めた彼女。
人の身から、死ぬことのない仙人になった彼女――豊聡耳神子は。

仏教を彼女の故郷に伝え自らも信仰の対象となったいわば白蓮にとっての憧れともいうべき人物。その人物が彼ではなく彼女であったことには些か驚いたが、いざ本人を前にすればそれはどうでもいいことだった。

しかし彼女は仏教を本当に信じていたわけではなかった。仏教を単なる政治の道具としてしか見ていなかったのだ。あまつさえ他の宗教にのめり込み、死後もそれにすがっていた。聖人たる聖白蓮にとってそれは許しがたい背徳であり、悪徳である。

確かに死ぬことは怖い。自分もかつてはそれに怯え、魔法という力に手を染めた。しかしそれでも白蓮は信仰を持ち続けた。そして信仰を広め続けた。毘沙門天の使いだという妖怪を旗印に、人間も妖怪も全てが救われる道があると信じて。

人妖平等平和主義、とでも言うのだろうか。自分の主義が人にも妖怪にも簡単に受け入れられるものでないことは白蓮にはよく分かっている。だとしても、今自分の周りにいる者たちを見ればきっと間違いなどではないのだと思う。こんな共存の道もあるんだと、あってもいいのだと。

聖白蓮は、自分の行く道を信じている。

「――ですから私は、貴女に聞いてみたかったのです。豊聡耳さま」
「何をかな、白蓮。話してごらん」
「貴女はどうして、逃げたのですか」
「………何から?」
「貴女の部下から。貴女を信じた民たちから。貴女の信仰する神から」
「ふふ、それは違いますよ」

白蓮の言葉にも動じることなく、ニコリと神子は笑みを浮かべる。手に握った杓を口元に当てて、幼子の間違いを正すようにゆっくりと口を開いた。

「私は初めからずっと逃げていません。常に彼らと向き合い彼らの欲に耳を傾けてきた。それこそ貴女が仏の声を聞こうとするのと同じように、神妙に」
「では、どうして貴女を望む世界からお隠れになられたのでしょう」
「異なことを。あそこはもはや私を必要としていない。来るべき時が来るまで、私はただ眠りについただけですよ。愛しき妻と、忠臣と共にね」
「しかし人々が貴女を必要とする日は来なかった。だから忘れられたのですよね、可哀想なお方」
「……いいえ、いいえ。忘れられてなどいません。私はいつだって天よ神よと崇められた現人神。愚かな彼らがただ、私を必要と思わなかっただけなのです」

白蓮の哀れむような言葉に少し苛立った声をあげる神子の姿は、神でも人でもない。
ただ生き返っただけの、仙人と呼ばれるだけの少女だ。
同じように世界から忘れられた白蓮はそれを認めない神子をもどかしく思う。
もっと素直になってしまえば楽なのに。
そんな自分の同情的な考えくらい彼女にはお見通しなのだろうけど、それでも思わずにはいられない。なんて、可哀想な人。

「……もうよろしい、貴女と私は相容れない。そう判断しました」
「それはとても残念です。きっと私たち、今よりとても仲良くなれるはずですのに」
「嘘はなしですよ。貴女と私とでは、きっとどこまでも平行線だ」
「そんなことはないと思いません?」
「御託はよろしい。……やるのならば、かかってきなさい」

もはや苛立ちを抑えることもせずに、神子は無表情のまま羽織っているマントをはためかせて白蓮に向かいあう。どこまでも冷たい目をする彼女に負けることはできないと、白蓮は堅くその拳を握り、――参ります、とどちらからともなく出た声を合図に、二人はその拳を打ち合わせるのだった。

この戦いに、意味などない。
ただお互いの心を、矜持を、貫き通せと叫ぶ声が聞こえるから、二人は競い争いあうのだろう。己か相手か、どちらかが相手の信念を砕き、自らが倒れるまで、ずっと。
白蓮も神子もどちらも引かない、心と心のぶつかり合いが、そこにはあった。

聖白蓮が笑う。
豊聡耳神子が笑う。

二人とも自分は負けないと信じているのだ。己が進む道を、心の底より信じているから。
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