四月嘘企画/不知火と提督

君と会ったのは、いつのことだったろう。
窓の外の明るい光。遠く聞こえる鳥の声。
ああ、今日も朝が来た。


支給された白い海軍服を着こんで、帽子を被って、鏡を見れば、見慣れた顔が映っている。
目の下の隈が目立つようになってきたが、それ以外は相変わらずの、さえない顔だ。体つきも平々凡々、取り立てて目立つ部分もない、一人の成人男性が所在なさげに立っている。
少しばかり伸びたヒゲを指でなぞる。これを伸ばしたら歴戦の彼らのごとく、自分にも貫禄がつくだろうかと考えて、以前も同じ話を誰かにしたなと思った。はて、誰だったか。
それでも伸ばしていないのはきっと、その誰かに似合わないとでも言われたんだろう。案外と自分は他人の評価を気にする性格であるらしいので。そう思うようになったのも、それに気づいたのも、提督になってからの話である。

さあ、今日も終わらない仕事が待っている。
気合を入れるように頬を叩く。ぺちん、と気の抜けるような音がした。



「おはようございます、提督。今日も一日よろしくお願い致します」
いつもの如く生真面目なハスキーボイスに、おはようと言葉を返せば桜色の頭が小さく動いて。
鎮守府にある執務室。開け放された大きな窓からは、風にのって潮の匂いと、冬の冷たく鋭い朝の空気、ふたつのものが室内に入ってくる。真正面からぶちあたった冬の風はいまだ身を刺すようで、急いで窓を閉じれば、バタン、意外と大きな音がした。
それにしても、彼女はまた朝の掃除をしていたのだろうか、机の上は綺麗に整頓されていて、窓ガラスは顔が映りそうなくらいに磨かれている。秘書艦であるというだけで自分が来る前から仕事をしていなくとも別に良いと毎朝言ってはいるのだが、聞き入れられたことはない。
自分よりずっと年下の少女が自分の為に働いていることが気になるし、なんとも恐れ多いことだと本音半分で言ってみたことはあるものの、それも「仕事ですから」の一言で流されてしまった。こういう時こそ、自分の不甲斐無さが嫌になるというものだ。情けなさと暖房のついていない執務室の寒さで、なんだか泣けてくる。

「提督?」
「あの、聞こえていますか、提督?」
「いきなり震えだして、どうかなさいましたか。……はぁ、冬の寒さが身に染みるから……?」

おかしな提督、そう言葉の外に聞こえた気がするが、気のせいだ、多分、多分気のせいだと思う。思いたい。
少し前まで姉妹艦ファンと言うか熱狂的な姉妹艦好きと言おうか、異様に姉妹艦のことばかりを話すとある茶髪ロングの娘さんとあれこれ話す機会が多かったから、言葉の裏を探そうとする癖がついてしまったのか。
そんな、適当にも程がある言い訳を聞いてなお、その鉄面皮は崩れない。呆れたようにも見えるその視線で、一部では戦艦級とも言われるような鋭い目で、秘書艦である不知火はこちらを見る。ちょうど窓から差し込む朝日が不知火の桜色を照らして、なんだか眩しく見えた。

朝のはじまり。鎮守府を朝日が照らす。執務室の窓を大きくしたのは朝焼けの海が見たいからだったのだが、こうして朝日に照らされる彼女の姿を見て、大きな窓にしていてよかったと思う。開け放していた間に舞い込んだのか、机の上に先ほどまではなかった小さな桜の花びらを見つけて、彼女に見つかる前にそっと本の間に挟み込んだ。

朝のはじまり。君の声を一番に聞ける幸せ、君の姿を一番に見れる幸せ。
書類を読み上げる低い声にその都度指示を出しながら、今日もこの鎮守府での一日がはじまる。


「そろそろ昼食にしましょうか」
そうだなと応えて座り慣れた椅子から立ち上がる。
資料を揃え直して執務室の扉を開ければ、どこからかいい匂いが漂ってきた。
食堂は今日も今日とて、大繁盛しているようだ。

鎮守府にある食堂、その名も「間宮」の窓際のテーブル席を、自分は秘かに艦娘たちの定位置と呼んでいる。
出撃に遠征に、バラバラの時間で動く彼女達、食事の時間も人それぞれな少女達に自分が鎮守府の中で会うことは稀であるのだが、ここ間宮、特に窓際の席はなぜか彼女達との遭遇率が高い。海が見えるのがいいのだろうか、他の席が空いているのにわざわざそこに並んで座って大盛りのカレーを食べる正規空母の姉妹や、アイスやパフェといった甘味をわいわいとおしゃべりしつつ味わう駆逐艦の子たちを見かけたこともある。
だから彼女達にとっての定位置なんだろうと思って勝手にそう呼んでいる。

本日のメニューは焼魚定食、デザート付き。窓際のテーブルまで運んで、彼女の向かい側に座る。いただきますの挨拶もそこそこに茶をすすっている内に、気が緩んできたのだろうか、自分でも気付かないうちに深い溜め息が口からこぼれ出た。

「提督はひどくお疲れのようですね」
魚をほぐす箸を動かす手を止めて、不知火が驚いたようにぽつりとこぼす。お得意の笑顔が引きつっていますよ、とも。心配させてしまったかと、場を和ませるつもりで大人はいろいろ大変なのさと笑ってみせれば、心配そうな表情をのぞかせていた顔はむっとした顔に変わって。
「……不知火は、子供じゃありませんから」
そう冷ややかな声で言われてしまうと言い返せもしない。そもそも自分は彼女達の年齢をよく知らないのだ。見た目通りの年齢である保障などはないのだから、これで自分よりも年上であったらどうしようか。
そんな自分の困惑を感じとったのか、不知火も黙ってしまう。どことなく重くなる空気の中で、二人の食器の音だけが響いている。折角彼女と一緒の昼食なのに、これはどうにもまいったものだ。

ふと思いついて、デザートについてきたアイスをそっと彼女に差し出してみる。なんだこれはという顔でじっと見られたけれど、こちらも負けじとじっと見つめていると、数秒後、溜め息と共に銀のスプーンを手にとった。心の中でガッツポーズ。

「別にあの程度の発言で機嫌を損ねたというわけではないのですが……」
「まぁ、提督がどうしてもというなら、貰っても構いませんよ」
そう言いながらアイスを口に運ぶ不知火の口元は、いつもよりほんの少しだけ、綻んでいた。



水平線の向こうに沈む、オレンジ色の夕日を見送る。
大きく開かれた窓の向こうは赤い海。端の方から、紫に染まりつつある夕暮れの海は、傍目にはとても穏やかなものに見えるだろう。

しかし。

しかし、実際はそんな場所でないことを自分はよく知っている。今日も任務へ向かった彼女達は傷ついて、今もドッグで損傷した装備の修理を受けている。そして傷の浅い何人かはまた任務へ向かって、今も戦っている。
こうして、暮れゆく夕日を浴びながら彼女らの帰りをただ待っているだけというのは、なんだかとても、自分という存在が頼りないものに思えてくる。勿論自分が彼女たちを導かねばならないという思いも大いにあるのだが――それでも、だ。
夕日を見据えていると、気付かない間に不知火が隣に立っていた。

不知火は何も言わない。ただ自分と共に、夕日に染まる海を眺めているだけだ。

それだけで、いい。何も言葉はなくていいのだ。
その内、私が見つめていることに気付いたのだろう、不知火は視線を海からこちらに向ける。

「そろそろ今日が、終わりますね」
「海は今日も荒れていましたが……鎮守府は、無事でした。お疲れ様です、提督」
事務的な口調で言われるそれに、微かな安堵が隠されていることに気が付いたのは、いつの夕焼けだったろう。自分よりよほど軍人めいた彼女にも、少女の一面があるのだと、桜色の髪を束ねる髪飾りを見て思ったのはそう遠くない昔。
伸ばした手は拒絶されない。
暖かく小さな頭に触れて、撫でる手も。

無言で少女の頭を撫でる大人と、無表情で撫でられる少女。
夕日に照らされる我々は、端から見ればとてもおかしなものだろう。
二人の間に流れる空気は甘いものなんかではない。
ただ、今日も生きていると。我々は負けてはいないのだと。そう確認しあう、儀式のようなもの。下心なんて、………まったくないと言ったら、嘘になってしまうのかな。

不知火が何も言わないことに甘えて、こうして触れ合うだけの関係。
この先に進むことも出来る、けれど、それはいつかだ。
自分たちがより強くなって、お互いをお互いで支え、背中を預けられる程に絆を築いたその時には。あの銀色の輪を、君に贈ろう、不知火。

それまでは。この夕日の部屋で、君に触れることを許してくれ。
この腕は、君たちを守る為に。
この心は、君に。











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お付き合いありがとうございました。

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