年よ明けても

君ぞ、忘るるな


「明けましておめでとうございます、当主様!今年もどうぞよろしくお願いいたしますね」
「明けましておめでとう、イツ花。今年も貴女は元気ですね」

とても明るい声が響く。神棚の前、代々当主の部屋として使われている屋敷の一室で、彼女の元気な声を聞く。
私にとって今日はこの家に来てから初めての年明けになるだろうか。春に生まれた私。冬の雪も、厳かだけどどこか華やいだ空気も、すべてが初めて。けれど、目の前の彼女はそんなことをまったく感じさせない声音で話しかけてくる。まるでずっと昔から続いてきた、何年目のお正月の朝のよう。そうして彼女はこの家で多分唯一の、外の世界と同じ時間を生きる人。



「あはは、まァ身体が丈夫なのだけが取り柄ですから。これでも一族の皆さま方のお世話をさせて頂く身ですし、ね。ササッ、イツ花特製のお節にお雑煮、腕によりをかけて!たんと拵えましたので、当主様もお早くお早く!」
「うん、あ、はい。先に御先祖様に御挨拶してから、向かいます。先に皆に振舞ってあげて」


そう言って、彼女を見送る。
にこにこと無邪気に笑う彼女は元気よく了解の言葉を口にして、皆の待つ大広間へと去っていった。閉めそこねた障子の、少しだけ開いた隙間から、冬の冷たくも凛とした風が吹き抜ける。

はじめての、冬。

もう一度、口に出さずに呟いて、私は部屋の中央に座す神棚へと向かう。
そこにいるのは、私と同じ名前の人。私が、いいえ、私たちが代々受け継ぐ名前を持っていた、最初の人。
初代当主さま。

名前だけ書かれた粗末な位牌が置かれているそこは、お世話係であるイツ花の手によって日々掃除されているからか、いつ見てもずっと綺麗に整えられている。しかし私がこの神棚を見たのはこの家に来た初めの一日と当主の代変わりを報告に来た日くらいで、神棚に関してもそんなものもあったな、というおぼろげな記憶しかない。だからもしあれから何かが変わっていると言われても、何もわからないだろう。
私達一族の者たちにとって、当主の部屋というのは不可侵だ。
そこに立ち入ることがあるとすれば、年始の挨拶をする時か。
―――当主が、天にその魂を返す時、だけ。

思い出す。
一代前の当主がその役目を終えた日。一族の皆が床に伏せるあの人を囲む中、私だけが名前を呼ばれ、枕元まで近づいて。
ああ、とうとう、と思った。あの時、他の子は4カ月にも満たなくて、私より年上の姉さまも、残った命はわずか数ヶ月。だから、私が選ばれたのはむしろ当然のことだった。
すまないと、風前の灯のようなか細い声で私を呼んで。
あれほど頼りにした、厚い掌はもはや枯れ木のようで。
それでもなお変わらぬ、あの優しい黄色の瞳で私を見て。
先代は―――私の父様は、私にすべてを託して天へと昇られたのだった。


その次の日から。私が父の名を、一族当主の名を継いで、今まで私というものを表していた名は、当主の名に隠れてしまった。私は父の葬儀の席で、ようやくあの人の本当の名前を知ったのだ。それは優しかった父にとても似合いの名前で、燃える緋の髪に黄色の瞳を持つ彼とは正反対の色合いを持つ私と、とてもよく似た名前だった。
父と、母神違いの姉とは違う色合いであるにもかかわらず親子である、姉妹であることを気にしたことはなかった。けれども私は今までどこかで、心に融かしきれない氷塊を抱えていたのかもしれない。
家の庭、緑の垣根の外。けしてそう高くもないはずの囲いの外に見える人々の営みと、誰が見ても親子と分かる同じ色どり、よく似た面差し。
私達一族には遠い、遠い憧憬。

それはいつか私達一家にも訪れるもの。
だけど、私には手が届かないかもしれないもの。鬼を斬りすぎたこの身には、綺麗すぎる願いのかたち。

私にとって名前は、家族という繋がりを示せる唯一のもの。家族であると、安心できるかたちの一つだ。
だから、それが似ていると分かって、人知れず息をついた。
私はあの人の子であると、ようやく自信を持つことが出来たのだから。

私が私としてこの家に迎えいれられた時にはもう、父は当主であった。だからついぞ私は彼の名前を呼ぶ機会はなく。稽古をつけてもらう間も、討伐に出た家族の帰りを待つ日々も、私は彼を当主様としか呼べなかった。本当は、父と呼んでもよかったのかもしれない。本当は、父と呼んでほしかったのかもしれない。

壁の上、歴代当主の名前だけが書かれた木札を見上げる。
一番新しい札、まだ黒々と躍る文字はこの古びた部屋の中で埋もれることなくまっすぐ私の目に入ってくる。

「…………   」

唇に、音もなく言葉だけ乗せて。
私は父を呼ぶ。


「年が、明けました。長い冬の終わりに、ようやく年が、明けたのです」
長い冬。それは私だけではない。皆にとって、一族にとっての長い冬。

「朱点討伐の、悲願………私の代にて、ようやく。ようやく、達せられました…」

何よりも一族の為に生きた貴方。
何よりも一族を思い逝っていった貴方たち。誰よりも悲願達成を夢見て、そして次代に力を、魂を託していった貴方達がいたお陰で、私達は今ここにいる。


今日は年明けの日。
長い長い、因縁に決着をつけ、受難の日々が明けた日。
−−−そして。

「ホラホラ、当主様ッてば!新しい御家族の方も、お待ちしてらっしゃるんですよ!挨拶はその辺で、……ネ?」
「………あら、ら。ごめんなさい。時間をかけすぎたかしら。今すぐ行くわ」

襖の陰からイツ花が顔を出す。
あまり遅いものだから、様子を身に来たのだろう。彼女の言葉に待っている家族達の顔を思い出す。今日は朱点討伐の報を持ち帰った私たちに告げられた、一番若い家族がついにやって来る日でもあったのに。祝いの席に紹介もせず放っておくのも悪い。
何よりも、あの子にはまだ名前がない。
代々家族への紹介と同時に当主が名付け親となるのだから、成る程私がいなくては始まるものも始まらない。

さて、どんな名前にしよう。
彼、もしくは彼女の親である年の離れた従兄弟の顔を思い浮かべて私は立ち上がる。
神棚にましますご先代達にはしばし待って頂こう。なにせこれからは、いくら言っても足りない程の話を聞いてもらうのだ。
その時間は、いくらでも。
もう私達には、二年どころか百年だってあるのだから。
新しい年を、時代を始めよう。
神様だって飽きるくらいの長い長い、話をしようか。

貴方の名前を私は呼ぶ。
忘れない為に。これからに、伝える為に。

これは、とある一族の物語。

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