小さなアリスは夢を見た

『フェアリィテイルをもう一度』





 くらがりで、声が聞こえる。
小さな子供の話し声。ふたり分のひそひそ声。

「ねえ、あなたはどのおはなしが好き?」

「全部はだめよ。ちゃんと選ぶの」

「あなたが好きなのは、気高く偉大な王様のおはなし?誰かの為に戦った戦士のおはなし?それとも、世界を救った英雄のおはなしかしら」

「ねぇ、教えて!あなたのいちばん好きなのは、なぁに?」

「わたし?わたしはね――」


 風の吹く音が、ひゅうと耳元を吹きぬけていく。それに重なるのは草のざわめき。さらさらと流れるその音は、まるで風の声のよう。

 気が付けば、さっきまで暗がりだと思った場所はもうどこにもない。
そこは明るい光の世界。高く透き通った青い空、ゆったり流れる白い雲。見えるものはそれですべて。視界一面の輝くような青空に、ようやく自分が寝転んでいることに気が付いた。

 頭の下に感じる柔らかさはきっと草の枕で、身を包む暖かさはお日さまのシーツ。
時折そよそよと頬を撫でる柔らかな微風は、子守り歌代わりのおとぎ話を語る誰かの声に似て、うとうとと夢見心地になってくる。

そこはきっと、かつて見た夢の中。優しい優しい、こどものゆめ。

──不思議な世界へ続く、扉の夢。はじまりもおわりも同じ場所に。
けれど君はまだ、眠ったままで動かない。

──だけど君は知っている。ここは夢の中だということ。
ここは穏やかで安らげる、君の為の夢の繭。
きっと、悪いことなどひとつも起こりはしない。
君の眠りは誰にも妨げられることはない。
なぜなら、夢の主がそう決めたから。



 だから君は眠っている。何かが起きる時こそが、自分も起きる時なのだ。
そんな予感のような確信がある。――その予感は、大当たりだ。




さぁ、そろそろ起きる時間だ。
不思議で素敵で実に愉快な夢のおはなし。誰かの語った物語を始めよう。



────とある、人間の話をしよう。
強くはない。弱くもない。それはごく普通の一般人だ。

 強いて言えば、少しばかり魔法の素質があっただけの一般人。
それは少年であった/少女であった。どちらなのかは問題ではない。ただそういう人間がいた。それだけは確かなことだ。

 ある日、彼もしくは彼女が目覚めると、そこは不思議の国であった。
見覚えのない世界だ。
もしくは、夢でよく見た世界か。

ふわふわとした意識が、そこは夢であると告げていた。

 お前達は――ああそうだ、双子なのかもしれないな。赤の他人かもしれないが。
ともかく二人だ。二人になった。黒髪の少年と赤毛の少女のふたりだ。

 さて、目覚めた二人は起き上がる。
互いに顔を見合わせて、どちらともなく首を傾げたことだろう。
どうしてここに自分はいるのか、そしてここはどこなのか。

 考えても答えは出ないので、黒髪の少年は立ち上がってまず周囲を見渡した。
何事も状況確認から。今の情報を集めなければと思ったのだ。
そこは実に絵に描いた様な空間だった。どこまでも続く、青の絵の具を溶かしたような空に流れていくのは白い雲。
草原へ降りそそぐひだまりの匂いと、若草の匂いが時たま吹く風に混じり合う。

どこまでも果て無く続いていそうな世界の中心で、少年は少女に語りかけた。


「ねえ、君はここがどこだか知っている?」
「君が知らないなら、多分私も知らないよ!……だけど素敵な場所だよね。ずっと前に行ったオルレアンの丘みたい」
「言われてみればそんな気もするなぁ。そうそう、小さな村の近くにあった花畑に似てるんだ。フォウが楽しそうに走ってた」
「あー、そんな場所もあったよね。うんうん、私も一緒に走ったっけ。走りまわった後は草の上で寝転んだりしてさ」
「やったやった、フォウもあの兎みたいにぴょんぴょん元気に――え、兎?」


 ポン、と。何時からそこにあったのか、唐突に現れた草むらの中で隠れるように動く白い何かを二人は見つける。

草むらから生えていたのは白くて長い耳が二本。ぴょこんぴょこんと揺れて、うろうろと左右に揺れているなと思っていると、それはいきなり動き出す。
電光石火の速足で、草と草の合間から、びゅんと飛び出るその様は、まさしく雷光と呼ぶにふさわしい勢いだ。
大きな身体に白き鬣、大きく突き出た角に爛々と光る赤い眼の、ああ、それは──兎だ!

「……兎?」
「………兎?」
「でも白いし」「眼も赤いね」
「足だって早いよね」「草とか花とかもすごく好きそうだよ」
「「うん、兎だな!!」」

 そんなわけで意見は一致。二人は走り去っていく兎を追いかけることにした。
なに、兎が無理やり過ぎやしないかだと?知らんな、配役を決めた奴に言ってくれ!


 さてさて、いざ兎を追いかけて草原を走っていった二人はその先で森を見つける。
とてつもない速さで通過した巨体によって、森には抜け穴のようにぽっかり開いた大きな道が出来上がっていた。
 森の奥へと続く穴をくぐって進めば、広がっていたのは巨大なきのこの森だ。
赤に黄色に水色に、ケミカルな色をしたドットにボーダー、子供の落書きのような巨大なきのこが並び立つ。二人は驚きながらも楽しそうに、自分と同じ背丈のきのこの合間を探検家気分で進んでいた。まるで小人になった気分だと、好奇心の強い赤毛の少女がきのこの傘の下で笑っていると、上から彼等を呼び止める声がする。

「やぁ、そこの見慣れぬ小さな君たち。どこまで行く旅の途中だい?」

 二人そろって声のした方を見上げると、大きな赤と黄色のキノコの上で見下ろしていたのは水煙管の管を手にした芋虫だ。
 テンガロンハットをかぶった金髪の芋虫は寝転んだままで頬杖をつき、にやにやとした笑みを浮かべ二人を見ている。そしてその背後には更にニヤニヤと大笑いをする猫のような悪魔のような、結局どちらか分からん紫の悪魔もいる。

「おや、どちらか分からないとは失敬な!これでもワタクシ、今はしっかり猫ですよぉ?ほら、ニャア???」

メウメウと猫撫で声で歌うメフィストフェレス。なんと頭には猫の耳までつけている。
役作りには真剣なのがこの悪魔の美点であるかもしれない。

「尻尾もありますゼ、旦那ァ!手入れもバッチリ、ふさふさ具合には自信ありマス!!なんせアリスのキャラクター中でもメインのメイン、チェシャ・キャットでございますので!」

笑い続ける極彩色の猫を尻目に、

「で、どうしたのかな?」

 再度台詞を繰り返す芋虫の高めの声色には、この状況を面白がっているような響きがあった。尋ねられた二人が、先ほどの兎を探していると答えると、芋虫はぱちぱちと細い目を瞬かせ、自分の見た物を思いだそうと煙管を口にくわえて考えるフリをする。
森を揺らすような巨体なのだ。インパクトが強すぎて、一度見れば忘れようもないだろう。

「うさぎィ?……ん、ああ、いや。見た、見たよ。ここを通り過ぎてったでかいヤツだろ。あれ、兎だったのかい」

あんまり急いで走っていくものだから、嵐でも通り過ぎたのかと思ってたよ!
ジョークをひとつ、三日月の形に目を細め。芋虫は手に持つ長い煙管で西の方角を指す。

「君たちの可愛い子ウサギなら、あっちへ走っていったよ。あっちには女王様の城があるんだけど、そんなに急いでいたんなら、彼もお茶会に呼ばれていたのかもね」
「お茶会?」
「そう!!我らが世界の女王様が開いてくださる、それは楽しい楽しいお茶会ですよォ!!」
「ちゃんと招待状も配られるんだ。でも僕は畏まって飲むお茶より、森の眠りネズミと呑む酒の方が性に合うからねぇ、無用のこいつは君たちへあげようと思う」
「オオ、芋虫殿のなんと寛大であることか!これは好感度も急・上・昇間違いナシ!」
「あっはっは、悪魔に好感度とか語られても、ちょっとどう反応していいかわかんないや。ま、というわけでこいつは持ってきな!」

 そんな声と共に、一枚の手紙がひらひら上から落ちてきた。少年がそれを掴みとり、少女は芋虫へ礼を言う。
 今度は返事の代わりに丸い煙がぷかぷかと、キノコの上へ連なって浮かんでくる。ついでに悪魔のチクタク虫も飛んでくる。ご丁寧なことに、そいつらにも猫耳がついていた。
 二人は足早に、しかし親切な芋虫とキノコの下まで聞こえるような大笑いをするチェシャ・キャットにきっちり別れを告げて、次の目的地へ向かうのだった。




 示された方向へ進んでいくと、見えてきたのは大きな生垣だ。
薔薇の垣根はどこもかしこも赤い薔薇と白い薔薇で埋め尽くされている。
二人が迷路の様な薔薇園を眺めながら歩いていけば、一際大きな薔薇のアーチとその脇に立つ人影が見えてきた。

「ふむ、見慣れた顔の御客人、面倒だが、名を名乗ってもらえないか。お前たちはここを女王の薔薇庭園と知って来たのか」
「すまないが、今回の俺は門番としての役目を果たさねばならないらしい。しばし我々に付き合ってもらえるだろうか」

 アーチの両端に立っているのはトランプの衛兵たちだ。
白き鎧を纏い、竜の翼を生やした黒いスペードの剣士と、黒き鎧を身に纏う赤いダイヤの槍兵。二人は赤と白、二色の薔薇を胸に差している。
 こちらへ声を掛けてきたトランプ兵たちへ、黒髪の少年が先ほど芋虫に貰った招待状を見せると竜の剣士は途端にほっとした様子を見せた。
もう一人の少女へ話しかけている槍兵の様子はどうだろうと見てみれば、懐から出した真新しい招待状を彼女へ手渡している。
どうやら二人がお茶会に招待されるのは最早確定事項のようである。
もしも招待状をどちらも持っていなかった時は、その場で渡すようにとでも言われていたのだろう。黒の剣士も懐には同じ手紙を持っていた。

 折角だからと少年少女は彼等もお茶会へ誘ってはみたものの、こちらは何も問題がなければ行くとの返事であった。
彼等は仕事熱心だが、気を抜かないのがたまに傷だ。少しくらいはと思ったが、この様子では難しいだろう。だがもしここにあの授かりし弟君がいたならば、平穏無事な状況はそう長くは続かないだろうなと少年も少女も揃って思ったのは内緒である。


そしてお茶会の時刻まではもうすぐだ。
門番たちに背中を押されるようにして、庭園の中心へ二人は急ぐ。

とうとう到着した女王のティーパーティー。それはとても華やかで豪勢なものだった。予想の通りに薔薇咲き誇る庭園の中央、大きなテーブルを見渡せる場所へ置かれた豪華なハート型の椅子には赤いドレスの女王が座っている。
 反対側の端にも同じくらい大きな椅子があり、追いかけていたあの兎が大きな体で行儀よく座っている。更にその周りには、こんな時によく見る顔の少女が数人。誰も彼もが甘いお菓子とお喋りに夢中なようだった。

白いテーブルクロスの上にはケーキにクッキー、プディングにパイやタルト、キャンディーと、子供が思いつく限りのありとあらゆる甘いお菓子が盛り沢山。
紅茶の入ったカップを手に、不思議の国の幼き赤の女王様は笑顔で二人を歓迎した。


「ようこそ、ようこそ!待っていたわ、マスター!」




 童話少女、ナーサリーライムはとってもとってもご満悦。
だって彼女の夢見たような、素敵な素敵なティーパーティーがそこにはあるのだから。
 料理上手な赤い弓兵さんの作ってくれた、色鮮やかで可愛くて繊細なお茶菓子に、紅茶のポットとカップが並ぶテーブル。ゲストとして横に座るは親愛なる作家英霊陣たち。
その上、特上級のご来賓であるマスターを呼ぶまでの時間潰しにと彼らはナーサリーに即興で物語を聞かせてくれた。彼女の心寄せるマスターたちが、アリスとなって女王である自分の主催するお茶会にやってきてくれるお話だ。
なんだか本当にそんなことがあったのかもしれないと思えて楽しかったし、あのアンデルセンの作り上げた物語、それもハッピーエンド!
それだけでもとっても貴重な体験よね!と彼女は嬉しそうに大きすぎる椅子の上で、足をバタバタさせている。

 そしてテーブルを囲む薔薇の庭園、赤薔薇のアーチの門を潜り抜けて現れる待ち人を、今か今かと待ち望み。
ようやく来てくれたマスターに、まずは美味しい紅茶を。それからあれもこれもとお菓子をあげて。一杯飲んで喉潤したならその後は、彼等にもお話をしてもらいましょう。

 ここまで来るまで何があったか、何を見たか、思ったか。聞きたいことはたーくさん。
さあ、素敵なお茶会を始めましょう。
歓迎するわ、親愛なるマスターさん。


 焦らなくとも、時間はたっぷり。話題もたっぷり。彼の作った甘い甘いお菓子もたっぷり。
尽きないくらいに沢山あるわ。たとえ全てが尽きたとしたって、また用意すればいいんだもの。
だからお茶会は終わらないの。夢みたいよね!それともこれが夢なのかしら?
ふふっ、たとえこれが夢だとしても。
マスターがいるならわたしはそれで満足だわ。

 あなたもきっと満足でしょう?ねえ、マスター?


 黒いシルクに包まれた両手を掲げて、椅子から飛び降りた少女はくるくる踊ってみせる。
赤の女王から小さなプリマになったナーサリーは君へとにっこり微笑んだ。


ほら、頭の上を見て!
きらきら光って虹色をしたお星様も、空からわたしたちを見て笑っているわ。
あのお星さまもきっと楽しくって嬉しいのよ。


夢みたいにきらきらした世界で、大好きな貴方と話をしましょう。
例えばそうね。おとぎ話に、昔話、笑ってしまうお話に、泣いてしまうお話も。
この世には沢山のお話があるけれど。

「あなたはそう、どんなお話が好きかしら?」

 甘いお菓子の夢を見るあどけない少女の如き表情で、ぎゅうと抱えた童話の絵本。
すべての子供の夢の形、そうして今はただ一人のマスターとなった子供の夢の形であるその本を抱えて、ナーサリー・ライムは笑う。
とても、とても幸せそうに、笑うのだ。





夢を見た。
小さな子供が描いた絵のような、どこまでも続く青空と草原の夢。
キノコの森と、テンガロンハットの芋虫と、毒々しい紫色の猫の夢。
白くて黒いトランプ兵と、薔薇の花園で開かれた、赤い女王とのお茶会の夢。


夢の中のアリスが招待したのは、時間と世界を巡るもうひとりのアリスたち。
彼等の未来もめでたしめでたしとなるのかは誰にも分かることではないが。

今、この夢の中でだけなら、締め括る言葉はこうだ。
──めでたし、めでたし。



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