水に浮かびて君に浮かれる

陽炎型夏の水着ボイスネタショートショート


 夏の日差しが窓のガラス越しに私を焼く。
クーラーではなく旧式の、緑色の扇風機が回る部屋の中、閉め切られた窓枠に取り付けられた風鈴の音が扇風機の風に煽られちりんちりんと響いていた。被り慣れた帽子を取ってにじむ汗を拭うのも、何度目になるだろうか。せめて室内では、と思うものの、これも私の制服の一部であるからにはそうそう脱帽も許されぬ。じわりと帽子の内にこもった熱で再び浮かぶ汗をどうしたものかと顎に手をやりつつ、私は真っ白な書類から視線の逃避を図った。
鎮守府は只今、まさしく夏まっ盛りである。

「お疲れ様です、少しご休憩されてはいかがでしょう」
「あぁ……すまないな、大淀。どうもありがとう」

大淀が持ってきた冷たい麦茶を一息に飲む。麦の味、喉を通る清涼感と体内にしみ渡る水分に知らず渇いていたことを自覚して、根を詰めすぎていたことを自覚する。今日はいつも隣で自分の仕事を見張ってくれる秘書艦が休暇を取っている為に彼女の姿がそばに見えないから、調子がずれているんだろう。

「そういえば、今日はずいぶんと静かなんだな。最近は駆逐の子らがよく暑い暑いと言ってはわざわざ私の部屋まで涼みに来ていたりしたんだが。今日はまだ一人も来ていない」
「まあ、提督。もしかして、お忘れなのですか?」
「ん?何かあったかね?先日遠征へ出た子たちには半日休暇を与えたばかりだし……」

くすくすと、一瞬驚いた顔をした大淀が堪えきらないように笑う。眼鏡の縁をくい、と指で直すがレンズの向こうから覗く優しげで理知的な瞳も、幼子の自力で立ち上がる時を見ている母の様に微笑ましいという面持ちであった。

「ほら、今日は秘密作戦の決行日ですよ」
「……あ、そういや、そうか。そうだな、ということは今頃、彼女らは街か」
「はい、そうでしょうね。ふふ、そもそも秘密作戦を言い出したのは提督のはずですが……案外、忘れっぽいんですね?出撃編成や遠征日程はしっかり覚えていらっしゃるのに」
「仕方あるまい、ここ連日の酷暑で頭がどうにかなりそうなんだ。そろそろこの部屋もクーラーのひとつ導入してはいかがかな。それに、そういうスケジュール調整は頼りになるどこぞかの秘書さんがやってくれているし、私の仕事はそれを信用して実行するだけさ」
「お上手ですね、それとも惚気でしょうか。なにせ、私は臨時の秘書艦ですからね」
「おいおい、君が有能なのは十分認めているよ、大淀。そうだね、あとで街で冷たいものでも奢るから。あともうしばらく、私の手伝いをお願いするよ」
「はい、提督……ちなみに、クーラーの件なのですが。その秘書艦さんがなかなか認めてくれないからいっそ鬼の居ぬ間にとのご算段でしょうが、生憎とご本人から言い含められてまして。『もう少し、資材管理が正確に出来るようになってからならご検討させて頂きますが』……だそうですよ?先日の大型の件、バレてますねえ、これは」
「あー……バレるものだな。今回こそは建造できると思ったんだがなあ、大和……」

つとめてなごやかな空気の中で、今日も海の平和は護られている。



 太陽が照らす街。深海棲艦の危機迫る現在でも、緊迫した雰囲気に包まれることなく賑わいを見せる街だ。
海岸区域にほど近いそこは、鎮守府の近くということもあり深海棲艦への安全がある程度保障されている。その為、比較的安全なビーチとして夏の季節は観光に力を入れられるのだ。
 そんな街へ来る観光客向けに、氷菓子や冷たいジュースの屋台がずらり並んだ道の上、年若い少年少女たちがめいめい少なくない軍資金を手にはしゃぎ賑わう声が、扉を隔てて店の中まで聞こえてくる。そのざわめきを耳の端で捕らえながら、陽炎は何度目になるかも分からない自身の妹分への説得の言葉を考えていた。

「だーからー、いい加減に不知火も覚悟を決めなさいって」
「いえ、だから私は別に水着なんて……。それに、わざわざ水着で海に行くこともないじゃないの。いつもは制服でもパトロールに出ているし」
「いーい?何度も言うけど、任務で行くのと、遊びで行くのは別なのよ」

納得のいかない顔をしている不知火の眉間に指をぐりぐりと押し付けて、ついでに似合うからと彼女へ見繕った水着も押し付ける。
 時に、水着の流行は服と同様に早いものだ。ついこの間の夏に人気だったデザインが、もう次の夏には別のデザインに圧倒されてることも少なくない。それに用途が限られているとはいえ水着とて消耗品。いや、むしろ限られた場所でしか着ないからこそ種類は多く持つべきだ。いくら加工はされていても、波にもまれて海の潮を浴びて、多少の劣化はするものなのだから、いつまでも古い水着ばかり着ているのもあまり良いとは言えないし。
何より可愛い水着がこの世にはこんなに沢山あるのに、何一つ着ないままでいるなんて、そんなの絶対に勿体ない!海が安全な遊び場ではなくなった今だからこそ、生まれてくる可愛い水着に出会う機会は大切にしたいのだ。
年頃の少女らしいそんな理由を胸に、陽炎はぐっと拳を握りしめた。

「任務は任務、遊びは遊び!せっかく提督にも無理言って皆で街に出る許可もらったのに、貴女がそんなんでどうするのよ」
「不知火は、街まで来る気はありませんでしたし、むしろ陽炎姉さんが無理矢理に……」
連れ出したようなもの、という後に続く言葉を飲み込む。せっかく姉妹たちで出かけているのに、この調子では楽しんでいる他の姉妹艦の皆にも悪いだろう。やっぱり、命令を受諾するのには慣れているが、自分から何かをするのには慣れないものだ。だが不知火は姉妹のお願いには弱かった。特に姉の、どうしても、と懇願する困ったような眉の下がりと、渋るような返答を肯定と捉えた時の瞬時に明るくなる表情と、頼む前はしおらしかったのに自分が有利になると途端強引になる性格と……なんだか姉には弱いところだらけですね、私。
とまあ、そんなことを考えて、不知火は気取られぬよう嘆息する。


「なんや不知火も陽炎も、まーだそないなとこで固まっとってええの?水着、可愛いのなくなってまうでー?」

そんな風にいつまでも店の更衣室の前で固まっている二人に声をかけてきたのは黒潮だ。
彼女の声にふと辺りを見渡せば、他の更衣室ではぞくぞくと他の姉妹艦たちが水着に着替えている。華やいだ声に色とりどりの体躯を包む花のような水着の数々、提督が見ればまさしく花園と言うに違いない光景だろう。なお、彼が例えとはいえそう言ったとしたら不知火は即座に書類仕事を増やすつもりでいる。提督の業務を支え、邪道へ向かうことなく遂行することを第一とする秘書艦だもの。

さて二人へ声をかけてきた黒潮も、今は他の子と似たりよったりの水着姿である。
フロントに大きなリボンのついた黒いビキニ。水着の上にはいた同色のミニスカートには白のラインが一本。
すらりと伸びた手足があって、珍しく前髪の分け目も変えてたりして。
それにしたって。

「……浮き輪まで持つのは、少し早計じゃないかしら?」
「こんなの、気分の問題やって。それに普段はこんなん持たへんでも、うちらは水の上をすーいすいやろ?たまのこういう時くらいは別の道具に頼ってもええんちゃうかなぁ、なんて思ったりもするねん」
「まあ、確かに言われてみれば、艤装のない状態で海に行くこともそうは無いわよね」
「そやそや!」

 にっかと笑う彼女の笑顔は、屋内なのに眩しく見える。
眩しくて直視できないと視線を横へ反らした不知火の不意の隙をつくように、こちらは黒潮の笑顔に力を得たのかまた陽炎が声をあげはじめた。

「ほらほら、黒潮の言う通りよ!ぐずぐずしてたら外出時間が終わっちゃう!私は先に着替えるから、不知火もさっさと水着を決めちゃいなさいねー!」

不知火に押し付ける為の水着を選ぶ時にもう目をつけていたのか、陽炎は迷うことなく並んだ水着の内から一着を掴むと更衣室のカーテンの奥へと消える。横を見れば、にやにやと黒潮は猫が面白いものを見つけた時のように笑っていた。

「……なんですか、不知火に何か落ち度でも?」
「いんやー?流石の不知火も、陽炎姉さんにはたじたじやー、なーんて思っとらへんよ。それにそれは陽炎姉さんが『不知火に』似合うと思って選んだものやけど、別に不知火の好みに合わへんかったんやら別のを探せばええと思うで?」
「……別に……こういうのは、嫌いじゃないから」
「ほんま、素直やないなぁ、不知火は」

ははっと笑う黒潮に、(……こっちの姉妹にも弱かったかしら、私。)なんてことを考えてしまう。その晴れ姿、提督にも見せたりやー、と更に畳みかけてくる彼女には、なんて返せばいいんだろうか。とりあえず、提督に見せるなんてとんでもない。
いえ、とんでもないというか、申し訳ないというか、とにかく、とにかくだ。
……提督に、水着を、見せる。他の子たちのように彼も似合っていると言ってくれる?
なんだろう、それは、それは……なんだかとっても、心臓が熱い。

きっと夏のせい。暑い夏の太陽のせいにして。
なんでそんなこと言うんですかとぶっきら棒に返す彼女に、まだまだやなぁと苦笑する黒潮なのであった。


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