小説 | ナノ

 銀鎖のバングル

最近、不思議な夢を見る。
何処かわからないけれど、暗い場所。
自分が何かから、逃げている夢。

逃げて逃げて逃げ続けて、振り向かずに走り続ける。一度でも後ろを向けば終わりなのだと、それだけは強く頭に刻まれていた。
「ハアッ、ハッ、くそっ!」
肩越しに見えたのは、暗闇の中で妖しく光る−−−−6個の赤。
それが一瞬、ぶわりと大きくなって−−気付けば自分の目の前に現れる。
「ひ、あああああああああっ!!!」

それが夢の、終わりの合図。

自分の悲鳴で目覚める朝はいったい何度目になるだろうか。
「またあの夢か………」

夢から覚めてもまだ、あの光る赤が脳裡に浮かぶ。正体のわからないナニカは、夢を見るたびに自分に近づいてきているような気がして、背中に冷や汗が流れた。
ヴーッ、ヴーッと携帯が震える。
「っと、時間か」

起き上がって身支度を整え、家を出る。
鍵を閉めようと右手を伸ばした時、ふと手首に小さな痕を見つけた。まるで鋭い牙で噛んだような痕だったが、不思議と痛みはない。どこかでぶつけたのだろう、予定に遅れそうだったので思考はそこで止まった。

「ミナちゃん!遅れてごめん、待ったでしょ?」
「ううん、今来たところだよ!」

そう言いながらも、握った彼女の手は冷たい。随分と待たせてしまったようなのでお詫びの意味も込めて、今日は楽しませてあげようと思った。
それからは定番のデートコース巡り。
水族館のある複合型ショッピングビルでさんざん楽しんで、気づけばもう日暮れ時。
二人並んで駅まで歩く途中で、俺は一軒の店を見つけた。

「わぁ、この人形可愛いー!」
「へー、こんなとこにこんな店あったんだ。……中、入ってみる?」
「いいね、行こうよ」

少し古びたドアノブを押すと、ドアにつけられた鈴がカランカランと鳴る。

「ー……なんかすごいなぁ。アンティークショップっていうんだよね、こういうの」

なるほど確かに、店の中にはクラシックとでも言うようなどこか古びた小物や家具などが置かれている。

「この髪留めなんか、ミナちゃんに似合うと思うよ」
「ホントにー?あ、でもかわいー、買っちゃおうかな」
「そうですねェ、お客様ならこの髪留めも喜ぶと思います」

背後からした声に驚いて振り向くと、そこには一人の男がいた。
肩まである黒髪を揺らし、目を細めてこちらを見ている男は驚く俺たちに話しかけてきた。

「あぁ、失礼しました。私はこの店の者なのですが、お客様がそちらの髪留めをご覧になられていたのでついつい声をかけてしまいました」

店員だったのか。誰もいないと思っていたが、店である以上は誰かいるのが当たり前だよな。

「あ、ありがとうございます……うーん、やっぱりこれ買おうかな」
「ええ、それがよろしいかと。お客様にはこちらの商品もお似合いですよ」
「わあ、綺麗ですね!」

盛り上がっている二人をよそに、右手にある棚を見る。ここにあるのはアクセサリーか。革製品やら宝石なんかが一緒にまとめて置いてある。

「…………?」
手にとったのは、銀に輝く腕輪。何重にも巻き付く鎖をモチーフにしたそれが、なぜかとても気になった。

「ほほう、お目が高い。それに興味がおありですか」
「ぁ、や、なんか珍しい…ってかあんまり見たことない形なんで。これ、普通に鎖を巻いただけじゃないっていうか、」
「ああ、その商品はですね、メビウスの輪をイメージしたそうですよ」
「・・・・・・メビウス?」

メビウスの輪って確か、一本の紙をねじって輪にした奴だったっけ?紙に線を書いても、絶対に交わらないとかなんとか。
―――ま、手品好きの友達の受け売りなんだけどな。

「ええ、お客様の想像しておられるもので間違いありませんよ。本来鎖とは繋ぐ物です。しかしメビウスの輪になった鎖では、どこにも繋がらない、繋げない。ただ同じところでぐるぐると回っているだけ。その特徴から、魔除けとして使う方もいるようですね。魔の通る道をループさせ、近付いてこないようにとの意味を込めて。・・・ここまで来ると、おまじないみたいな感じですね。ミサンガのような」
「・・・切れたら願いが叶うって、あれですか」
「はい」

にこにこと、営業用なんだか自前なんだか、よく分からない笑顔でもって商品の説明だかをしてくる店員。
俺は正直なとこ魔除けだとかおまじないだとか、雑誌の星占いもろくに信じてない。いつもだったらこんなもの、聞き流して終わりにしていただろう。だというのに俺は何故か、

「・・・あの、コレっていくらですか?」
「お買上、ありがとうございます」

にこりと笑いを浮かべた店員を見て、どうしてか、獣の声が聞こえた気がした。




「いいお店だったねー。サービスでカップル割引してくれたし、可愛いのもいっぱいあったし!」
「そうだね、髪留め似合ってるよ」
「あはは、ありがと。あれ?さっき買ってたのに着けてないね。着けないの?」
「んー、いやいや、着ける着ける」

ガサガサと紙袋から先程買ったばかりのバングルを取り出す。そのまま腕に通そうとしたが、少し小さかったのかどうしても手の中程で引っ掛かる。

「?、あれ?」
「ここから外すとか?」

彼女が指したのは鎖と鎖の継ぎ目で、よく見ると少しだけ隙間が開いている。どうもこの隙間で鎖が噛み合っているようだ。
そこをずらすと、カシャッ、と鎖の外れる音がして、腕輪は二本の鎖を捻ったような形になった。もう一度手首に巻きつけると、今度はぴったりとはまる。

「おおー、似合うなぁ」
「鎖が似合うって言われるのも、なんだか変な感じだな。じゃ、行こうか」

そうして、また駅へと歩きだそうとしたとき。
声が、聞こえた。
獣の声。
狗の声。

地下深くから響いてくる。
聞き覚えのある声。

夢でお馴染みの、あの唸り声が。


「どうしたの?」
「う、ううん?なんでも、ないから」

違う。聞こえるはずがない。
だってあれは俺の夢で。この近くにいるはずがないんだから。そう、例えば本当にただの犬かもしれないだろう?だから違う。
聞こえない。聞こえない。聞こえない。

声なんて、聞こえない。
こんな声が、後ろから聞こえてくるわけがないんだ。


振り向くな振り向くな振り向くな!
振り向いたら、終わりだから。
でも自分の体はそんな意思に反して後ろを振り向こうとする。
やめろ、俺は見たくない、見たくない!

首が勝手に動く。視点がだんだん後ろに向かって、肩を越えた、その時。


――――ミ ツ ケ タ 。

唸り声の中に、そんな声が聞こえた。
冷や汗が背中を伝う。
隣の彼女が何かを言っているようだったが、何故かまったく聞こえない。
ああ、逃げないと。逃げないと、アイツが追ってくる―――――。

ぐるぐるとまとまらない思考のまま、俺は走り出した。逃げなくてはいけない。
ただそれだけを思いながら、走る。

「侑貴君!!」

彼女の声が、遠くから聞こえた。


逃げなくてはいけないと思いながら走っている。後ろからは足音も何もしない。だが俺にはわかっていた。追ってきている。ぴったりと、離れることがない。
だってほら、今にも耳元で声がしそうなんだ。アイツの息遣いを感じる。少しでも気を抜いたらきっと頭から食われて、それで終わりだ。

「はっ・・・、はあ、ぁっ、・・・・・・・!!」

思いだす。ここ数日の夢の中身。
「あ、いつだ…、あいつが、」
暗闇から追ってきた獣。
後ろが向けない。まっすぐ前を見て、動かない足に鞭打って、走りつづけて、走りつづけて走りつづけて、走って走って走って走って走って走って走って走って、


一瞬、だった。
一瞬世界が静かになって、一瞬で総ての音が戻ってきた。
「……………え?」

カンカンカンカンカンカンカン!


警笛、悲鳴、轟音、視点の先には

向かってくる、電車が



そして、ブラックアウト。








カランカランと音を立て、古びた扉が開かれる。入ってきたのは一人の優男。

「ただいま戻りましたー、ってアレ?ゆーぎくさんは?」

彼の言葉に答えるように返ってきたのは、冷ややかで凛とした女性の声。

「彼なら奥。どうせまた人形いじりです」
「そうか、折角新しいの仕入れてきたんだけど、人形いじってんならしばらく出てきそうにないなー・・・・・・どうかした、リンちゃん?」
「その呼び方は不快。私は菫輪廻、リンちゃんなどではありません」
「ふーん、輪廻ちゃんていつもそうだよね、たまには女の子してみなよー」
「再び不快、私の性別はすでに女の子です。……それよりも、なんですか、それは」
「なーにかなー?」
「血の匂い。どこで付けてきましたか」
「あ、これ?来る途中で電車の事故があってさ。踏切に飛び込んだらしいよ。もうぐっちゃぐちゃのドッロドロ。それはそれは凄惨なものだったんだって」
「どうせ見物したのでしょう。だから匂いが染み付くのです」
「いやいや、滅多にないでしょ、飛び込みなんて珍しいもの」
「………雛罌粟は悪趣味です」

表情の少ない顔をしかめてみせる輪廻。それすら彼女の冷たい魅力を引き立てる。顔をしかめられた相手――雛罌粟 春は、にこやかにそれを受け流していた。


「そうですよ、春君。女の子の前で血生臭い話とは、感心しません」

柔らかでいて、底の見えない笑顔の男が笑う。ついさっきまでこの部屋にいなかったはずの男の登場に、雛罌粟も輪廻もまったく驚いてはいなかった。

「私の代わりに商品を貰ってきてくれたことは評価していますが、輪廻さんの前でそんな話をするなんていけませんね」
「そんなこと言って、あながち無関係でもないくせにさ」
「おや、どうしてそんなことが?」
「これ、こないだオレが納品したやつだろ?轢死体の腕に引っかかってたんだけど」

古めかしい机の上に投げだされたのは一個の腕輪。二本の鎖が交互に組み合い絡みあっている。その鈍い銀製の腕輪には、赤い斑模様が浮かんでいた。

「まったく、一応純銀なんだがな、これ。錆びたらどうすんだ」
「あらららら、持ってきたんですか?ご苦労な。そのまま放置しておけばいいのに」
「・・・あのな、遊菊さん?あんなモノくっ付けたまま放置とか、出来るワケないだろ・・・・・・」
「あんなモノとは、何のことでしょう。私には分かりませんねぇ」

嘘をつけ、嘘を。
雛罌粟はそう言いたいのを辛うじてこらえると、先ほど見た「アレ」を思いだす。
「狗だよ、い、ぬ。どっから迷いこんだのが居着いたのか、この腕輪の持ち主にくっ付いてたんだろう、腕輪の鎖に引っかかってもがいてやがった」
「………おや、何か連れてるとは思いましたが、地底の冥犬、三つ首の猛犬ケルベロスでしたか。魔除けのつもりでしたが、その商品では逆効果でしたかねぇ?」
「逆効果も何も、寧ろそのせいで持ち主が喰われたと思うぞ、オレは」
「ははは、そうかもしれませんねー、犬だけに」

朗らかに笑う黒髪の男に、少女は疑問を投げかける。
「極めて不可解。犬だとどうして鎖では逆効果になるのですか、式継」
「えー?決まっているじゃないですか」

にやりと笑うのは、この店の主。
遊菊 式継は、やけに演技がかった様子で少女の疑問に答えた。

「だって犬は、鎖に繋がれているものでしょう?他のものなら魔除けにだってなったでしょうが、犬は縛られるだけで弾かれも避けられもしません。それに犬は鎖を辿ってたどり着いただけですよ。自分を縛りつけている、邪魔なご主人様のところにね。そして邪魔だったから、噛みついて逃げることにした。まぁ、噛みついたけれど逃げられず、飼い主さんが電車に轢かれただけに終わったようですが」

それだけの、話ですよ。







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