■ 05
「ねえ切原さん」
昼休み、屋上のフェンスに寄っ掛かってストローでカフェオレを飲んでたら、いつのまにか幸村くんが隣にいた。
あまりに自然だったから特に驚きもせず、なに幸村くん、と答えると。
「俺たちといるのって疲れる?」
「何その別れ際の彼女みたいな言葉」
「本気で言ってるんだけどな」
ふふ、と苦笑する幸村くんはなるほど目が笑っていらっしゃらない。
だけどどうしてこんなことを言い出すんだろう?
私ってそんなに疲労感醸し出してるの?
――まあ確かに疲れてるけど……
「そりゃあアンタたちに付き合ってるといろいろ大変だもの」
「……言うね」
「事実だもの。まあ楽しくないわけじゃないけどね」
「え?」
「だから、楽しいわよ。アンタたち」
「ごめん、もう一回言って」
「……バカ! 楽しいって言ってんの! 何遍も言わすな!」
「ふふ、そっかそっか。楽しいんだ」
もう一度ふふ、と笑う。
……幸村くんは変だ。
「バカとか言ったのにそんなに笑う?」
「え? だって楽しいんだろ?」
そりゃ笑いたくもなるよ、とまた笑った。次に「そうだ」と何かを思いついたように少し悪質な笑みを浮かべる。
「それもーらいっ」
「! 私のカフェオレ!」
「ふふ、バカって言った代償だよ」
私から奪ったカフェオレを飲んで「あー甘い」とストローを加えたまま口の端を上げる。
「――っ! ばか!」
「また言ったね」
「変態!!」
「うーん、否定はしないかな」
「……真ん中分け!」
「うんうん。俺は真ん中分けだね」
まるで子供を諭すみたいに穏やかに笑う。
どうしてこんなに笑えるんだろうこの人は。
からかうのも大概にしてほしい!
「俺は真剣に楽しんでるんだけどな」
「人で遊ばないで! てか心読むのナシ!!」
「……どこ行くの?」
「はーちゃんとこっ!」
屋上の扉を開いて階段を駆け下りた。
****
窓の外でツバメが低く飛んでいた。
「間接キス奪っちゃったー」
俺は鼻歌でも歌いそうな軽やかさで誰にともなく呟いた。
「……切原か?」
「どうしてそう思うの?」
「なんとなくな」
「珍しいね?」
柳は何かにつけて理屈っぽいところがあるのになあ。
まあいいか。
「切原さんのカフェオレをちゅーちゅー飲んだよ」
「言い回しが悪い」
「ふふ。言われたよ、変態だって」
「なぜ笑う」
「あーそれも言われたっけ」
何を言ってもにこやかな俺に対して、ついに柳は読んでいた厚い本を置いた。
「好きなのか?」
好き?
ああ、なんだ。
「そうなんだね」
「なぜ他人事なんだ」
「さあ? よくわからないのかな」
「わからないかもわからないのか」
「うん。わかんないや」
ただ、さっき俺は切原さんに会って、今はとっても上機嫌。
「それは好きということだろう」
「じゃあそうなんだ」
「でなければキス魔というやつだ」
「いやだなあ。俺たちは間接キスをした同士だけど直接は一度もないよ」
柳は、俺が聞き捨てならないことを言ったと言うように目を開いた。
「前に言っていたパン、やはり……」
深い溜め息をついている。
「ほどほどにしておけよ」
「なにを?」
「切原をあまり困らせるなということだ」
「柳も好きなの?」
「あいつは友達だ」
「ふぅん。まぁその件は努力するよ」
本当にわかっているのか。
頭を抱えた柳に、俺はまた、笑った。
****
「吹奏楽部だったんだ」
「意外?」
「うん。でも、似合ってる」
「……ありがとう」
普段から練習場所にしている渡り廊下で、椅子の上に楽器を置いて私は譜面代を立てていた。
「テニス部は?」
「オフなんだ」
「帰らないの?」
「君に会いに来たんだよ」
「からかわないでよ」
幸村くんは私がここにいるのを知らなかったのに。
「ふふ。柳と図書室にね」
「ふぅん」
私はメトロノームのネジを巻きながら楽器と幸村くんから離れていった。
「無防備」
「え?」
「これ、俺が勝手に吹いちゃうとか思わない?」
私は慌てて楽器を抱えて、指を差して言った幸村くんを睨む。
「部員以外は楽器触っちゃ駄目だからね」
「部員ならいいの?」
「ええ」
楽器の調子が悪かったら他の人に吹いてみて貰ったりするわ、とまで言ってしまったのが……
後になってみれば失敗だったんだ。
「それは面白くないよ」
「どうして?」
「間接キス、してるじゃないか」
「……そんなの気にする場合じゃないでしょ」
こういうのは別よ、と割り切る△△に、幸村は珍しく笑顔を消していた。
「それでも、面白くない」
「っ!?」
突然、視界いっぱいに広がった幸村くんの顔。
がしゃん、と私の手からメトロノームが落ちた。
「俺、本当にキス魔ってやつかもね」
そんな台詞を残して、何事もなかったようにふわりと笑って、幸村くんは去って行った。
「ふざけんな変態ばかばかばかばかばかばかばか真ん中分けええ!!」
私の叫びは、初夏の曇天にただただ染み込んでいくだけだった。
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