知り合いが住む国に出向いたのは半分が用事、半分は気紛れだった。用事というのは些細なことで言ってしまえばやらなくてもいいもので、自身がそこへ足を運んだのは「何か面白いことに出会えそう」というある種の勘というにも頼りない何かが働いたからに過ぎなかった。
そのまま何事も無く用事が終わって、適当に食事でも摂ろうかと麓で一番活気付いている街の一角を歩いていればやけに目を引く周囲から浮いた女性を見つけた。「浮いている」というのは彼女の行動や言動が世間一般から奇異的な目で見られるものであったからとかでは無く、彼女が纏った雰囲気が周囲のそれとはあまりに違い、形容し難い独特のオーラを出していたからだ。
自分の勘が訴えていたものはこれだったのか、と人の行き交う街中でぼんやりと携帯を見詰めている彼女を眺めた。柔らかなウェーブを描く雪原の様な長い白銀色の髪に海の様な深い色の瞳、細く頼り無さげな身体。服装は清楚なデザインのふんわりとしたワンピースに淡い色の厚手のカーディガン。オーラばかりに気を取られていたがよく見てみればその容姿さえも人より抜きん出ている。変わった子だな、何て暫く観察していれば不意に彼女が携帯片手に少し眉間に皺を寄せ、居場所無さげにうろうろし始めた。道にでも迷ったのだろうか、と思いつつそっと彼女に近寄った。




「ヒソカさんと言うのですね。申し遅れました、私はリルイ=ゾルディックと言います」

近くの喫茶店の席に着いた彼女は綺麗に整った顔に品の良い笑みを浮かべてそう自己紹介をした。
一瞬停止した思考を直ぐに回転させては改めて彼女のファミリーネームと暗殺一家である無表情な友人のファミリーネームを照らし合わせてみる。彼女の言い間違えで無ければ完全に一致するそれは流石のボクでさえ僅かながらに動揺した。この言葉が嘘で無ければ彼女は友人の姉か、若しくは妹になるのだ。

「ゾルディックってあの暗殺一家の?」
「ヒソカさんはご存知なのですか?」
「まぁそれなりに。ここじゃあ観光地になるくらい有名だしね」

今の所、彼女の仕草や言葉、雰囲気に不自然な部分は見られない。嘘を言っていないのは嘘吐きと自負している自身の勘が告げている。というよりその言葉がいやに説得力のあるものだから否定のしようが無い。彼女の常人成らざる独特の雰囲気やオーラはある意味世間から隔離された特殊な環境であるあの家ぐらいじゃないと培われない様な気がしたからだ。
ふわふわと緩く微笑み、先程注文した紅茶を啜る彼女。仕草の上品さと人形染みた容姿、それに何処か世間とは隔絶された雰囲気は、まるで絵本の中から抜け出てきた様な印象を受ける。恐らく「女性」と言うに相応しい年齢だろうが何処か幼いその雰囲気は「女の子」と言った方がしっくりきた。

「どうしてキミはあんなところを一人でうろうろしてたんだい?」
「迷子になってしまいまして…」
「迷子?」
「携帯で位置確認しようと思ったのですがうっかり噴水に携帯を落として壊してしまって…」

防水にしとけばよかった…なんて苦笑いしつつぼやく彼女。成る程。それで行き場の無くうろうろしてたところボクに話し掛けられてこうして着いてきたということか。連れてきたボクが言うのもアレだけどこの娘かなり危なっかしいんじゃないだろうか。

「黙って家を脱け出して来たし、きっと心配してるんだろうなー…」
「黙って脱け出して、ってキミあの山からここまで一人で降りて来たのかい?」
「そうですよー」

彼女が茶化す様に笑い、ティーカップをソーサーに置く。カップから離されたその細過ぎる指先や腕を見るととても歩いて山を下って来れる様な体力があるとは思えない。それ以前に全体をパッと見ただけで察することが出来る彼女の筋力ではあの山を下り、麓に辿り着くまでで絶命してしまいそうな印象さえある。となると念でも使ったのだろう。瞬間移動の類だろうか。

「どうやって下りて来たんだい?歩き?」
「んー…内緒です」

なるほど、念か。

「それよりヒソカさんは何故私に声を掛けたんですか?」
「綺麗な女の子が困った顔していたんだ。声を掛けない訳にはいかないだろう?」

先程の彼女と同様に茶化した風に言えば彼女は小さな子供の様な可愛らしい笑みを浮かべた。照れでも嘲りでもないその笑みは純粋で屈託が無く、宛ら春の日溜まりの様でさえある。常人が見たら普通に柔らかく笑う可愛らしい女性に見えただろう。しかしボクには彼女のその柔らかな笑みの奥にどこか鋭利な刃物めいた煌めきと無機質さを感じた。

「ヒソカさんは嘘吐きですね」

柔らかな笑みをそのままに彼女は緩やかな声でそう言った。

「どうしてそう思うんだい?」
「だって私のこと、そういう理由で誘ったんじゃないでしょう?」
「そんなことないよ。キミは可愛らしく美しい女性だ。異性なら声を掛けたくなるものだよ」
「嘘。外見何かじゃなくてもっと違うものに興味を持ったんでしょう?」

こういうのとか、と右手の人差し指を立てた彼女はその細い指先からオーラでハートを作る。緩んでくる頬をそのままにバレてた?なんて訊けば「バレてますよ」なんて今度は悪戯っ子の様な笑みで返された。

「上手く隠してたつもりなんだけどなぁ」
「いえいえ、私も半信半疑でしたからお気になさらずに。それでどうでした?私にはヒソカさんの興味が持てそうな要素がありますか?」
「うーん…そうだなぁ」

にこにこ笑う彼女を改めて眺めた。彼女自身が纏うオーラは確かに独特で洗練されたものであるのは確かだが果たしてそれが戦闘で強いかとは言われれば答えはノーだ。彼女の能力は知らないがきっと弱い。やろうと思えば念など使わずともこの場でその首を手折ってしまえるくらい彼女は脆く弱いだろう。

「キミ、弱いだろう?」
「弱いですよ。この間廊下で転んで骨を折りましたし」
「そんなに弱いんだ……」
「ヒソカさんは戦闘を生き甲斐にするタイプの人間なんですか?」
「まぁ、そうだよ。強い人間と殺り合うと言い様の無い興奮があるからそれを求めて、かな」
「なら私は御期待に添えませんね…」
「そうだね。それにキミはボクの好きな青い果実って感じでもないしね」
「青い果実……?え…?酸っぱい蜜柑?」
「……」

恐らく素でボケをかましている彼女に多少気を抜かれつつ、注文してから口を付けてなかった珈琲を啜りつつ彼女を眺めた。彼女は青い果実じゃない。かと言って熟れた食べ頃の果実という訳でも腐り落ちるのを待つだけの果実でさえない。
目の前で不思議そうな顔(多分青い果実が何かを考えているのだろう)をしながらこちらを見るリルイ。例えるなら、そう。彼女は花だろう。それもとびきり綺麗で優美な花だ。愛でて慈しむのも一興。手折って散らしてしまうのもそれはそれで一興。そんな感じの女性だ。

「何笑っているんですか?ヒソカさん」

綺麗な顔立ちには不相応なくらいきょとんとした表情を浮かべては首を傾げた。
何でもないよ、と一言告げれば彼女は簡単な相槌を打つだけでさして気にも止めずに垂れてきた銀糸の髪を細い指先を使い耳に掛ける。何気ない筈のその仕草でさえ何処か品があるのだから彼女は(暗殺一家とはいえ)正真正銘のお嬢様だということを改めて認識させられた。

「そういえば黙って脱け出して来たって言ってたけど御家族は心配していないの?」
「携帯も繋がらないですからね。きっと血眼になって探していると思いますよ」
「随分と暢気だけど平気なのかい?」
「いつものことですから。お母さんも弟も過保護なんですよ。いつも夕飯には帰ってくるから心配なんかしなくていいのに…」

そのままはぁ、と溜め息を吐く彼女。どうやら自分がどれだけ危なっかしいかを理解してないらしい。他人のボクでさえ心配になってくるのだから家族なんてその倍以上の心配をしているのだろう。彼女の家族の苦労が垣間見えた気がした。
そのままボクは携帯を取り出し、彼女の肉親のアドレスを探し出してはメールを送る。送信から三十秒と経たずに掛かってきた電話はディスプレイを見なくとも誰かなんて直ぐにわかった。彼女に一つ断りを入れてから電話に出れば電話越しにさえわかる程の殺気と苛立ち混じりの声が聴こえる。うん、どうやらビンゴの様だ。

「やぁ」
『どうしてヒソカが姉さんといるの?』
「街でふらついてたからナンパしちゃった。ていうかお姉さんだったんだね。あんまり可愛いから妹さんかと思ったよ」
『下らないことはいいから今居る場所を言え』
「怖いなぁ、もう」

どろどろと電話越しにさえ伝わるオーラ。間近で見れないのが残念なくらいの重々しいそれは彼女に対する過保護では括り切れない何かが見えた。

「キミの家の麓にある『コンタット』って喫茶店に……切れちゃった」

こちらが言い終わる前に強制終了された電話はツーツーと虚しそうに余韻を残している。随分とせっかちなものだ。彼のあれらの態度から察するところ、彼女はかなり弟に愛されている。それもとびきり重たくて面倒臭い愛で雁字搦めという感じだろう。
若干の哀れみを込めつつ目の前の彼女を見れば輝かしい宝石の様な瞳と目が合った。

「イルミと知り合いだったんですね」

目を逸らすことなどせず、彼女は言った。多分先程の電話での会話が聴こえていたのだろう。
バレた?何て笑って返せば彼女は「最初から言ってくれればよかったのに」なんて頬を膨らまし、どこかむすくれた顔でこちらを見る。随分と子供っぽいそれは二十歳を越えた女性とは思えないくらいの愛嬌があった。

「もう直ぐお迎えが来ると思うよ」
「えー…」
「何でそんなに不満そうなんだい?」
「せっかくヒソカさんみたいな面白い方に会えたのにもうお別れなんて勿体無いと思いません?」
「キミの都合さえ着けばいつでも会ってあげるよ」
「本当?」
「本当さ。ボクが嘘吐きに見える?」
「嘘吐きって言うより存在自体がちょっと胡散臭く見えます」
「それはまた手厳しい…」

そう肩を竦めればくすくす楽しそうにリルイは笑った。そんな彼女に対し自分も釣られる様に笑みを溢す。
まぁ一応信頼を得るために携帯の番号でも渡しておこうかな、と適当な紙とペンを探していれば不意に喫茶店の出入口のドアが乱暴に開いた。どうやら彼女のお迎えがもう到着してしまったらしい。そのままこちらを視認した彼はぞくぞくしそうなくらいどろどろとしたオーラを纏わせては真っ直ぐこちらに向かってくる。

「あ、イル…」
「ねぇ姉さん何でこんな奴と一緒にいるの?怪しい奴に着いてっちゃ駄目ってオレも父さんも母さんも子供の頃から何回も何回も言ってるよね。それに何で見た目からしておかしいこんな奴に着いていくわけ?おまけにこいつ頭のおかしい戦闘狂の変態で一歩間違えれば姉さんが取り返しのつかない目に遭ってたかもしれないんだよ?」
「え、あ、ごめんなさい…」
「うん、いいよ。許してあげる。だけど次は無いからね。ヒソカも二度と、姉さんに近付かないでね。変態が移る」

流石のボクでも傷付きそうなくらいボロクソ言った後、彼は彼女の手を掴んでは「じゃあ帰ろうか」なんて言って引っ張る。弟に半ば強引に引き摺られていく彼女は然り気無くこちらに視線を送り、「さようなら」と言う様に軽く手を降った。それに返す様に手を振りつつも「またね」と彼女に声を掛ければ聴こえていたのかイルミに凄い顔で睨まれる。
彼らが店を出る頃にはすっかり静まり返った店内に目をやりつつ、少しだけ残っていたすっかり冷めた珈琲を飲みつつ思わず笑みを溢した。リルイのスカートのポケットに伸縮自在の愛でこっそり携帯のアドレスを書いた紙を忍ばせておいたけれどイルミとリルイ、果たしてどちらが先に気付くだろうか。
リルイが気付いたらこれからも彼女と逢瀬が出来るし、イルミが気付いたらきっと彼と殺し合うことが出来る。どちらに転んでも美味しい選択なのには変わりない。
さて、どちらから電話が来るだろうか。そう思いながらボクは空になったコーヒーカップをソーサーに置き、喫茶店を後にした。

20130201