「なぁ、リル姉」
「なに?」
「離れてくんない?」
「いや」
「……」

オレのふくよかな腹に抱き着き肉をぷにぷに突っついたり揉んだりするリル姉。この「離れて」「いや」のやり取りは本日既に五回目を迎えた。これがキルとかなら無理矢理剥がして放り投げるけどリル姉は別、リル姉は生まれつき身体が弱く、そのせいか異常なくらい脆い。前に廊下で転んで骨折してたくらいだ。無理に剥がして放り投げたりなんかしたら骨折必須。下手すりゃもっと凄い怪我をさしてパパやママ、じいちゃんには説教と拷問は確実、リル姉を溺愛してるイル兄には半殺し(いや、4分の3殺しかもしれない)されること間違い無しだ。
無理に剥がせないし離れてもくれない。仕方無いと溜め息を吐きながらもオレは手に持っていたポテチ(コンソメ味)を口の中に放り込んだ。

「ねぇミルキ」
「何だよ」
「お父さんとお母さんにね…お見合いしないか、って言われたの」
「はぁ!?」

衝撃の言葉にまだ中身の入っていたポテチの袋をうっかり握り潰す。またかよ…、と呟く様に言えばリル姉は柳眉を下げて困った様な顔を顔をした。また、と言いながら溜め息を吐くのは以前にリル姉に同様の見合い話がきたことがあり、一悶着が起きて最終的に破談になったことがあったからだ。因みにオレはその時イル兄が起こした事件を「姉さん殺してオレも死ぬ事件」と呼んでいる。
リル姉が十八歳の時にゾルディック家程じゃないがそれなりに有名で歴史ある殺し屋一族の長男との見合い話が来た。
見合い話自体なら病弱と言えどゾルディック家の長女とあって前々から何件も来ていたらしいのだがパパや爺ちゃんが乗り気じゃなかったせいかリル姉にその話が回ってくることは全くと言っていいほど無かった。
しかしその時は違った。ママがその殺し屋一族の長男を気に入ってしまったからだ。で、乗り気じゃなかったパパや爺ちゃんを強引に納得させた末に見合いが決定。リル姉は特に何も文句を言わずにあっさり了承。
そしてオレと一緒にこの話を聞かされたイル兄の目の色が変わった瞬間だった。
イル兄はその後用事がある、と言って外出をし、家に一つ土産を携えて帰ってきた。リル姉の見合い相手の生首だった。こればっかりは予想外過ぎて家族は全員唖然。生首を床に放り捨てたイル兄は呆然とするリル姉を抱き締めてからリル姉の首に針突き付けて「姉さんが他の誰かのものになるくらいならオレが姉さんを殺す。その後オレも死ぬ」とどう見ても冗談には見えない本気の目で言い出した。
その場にいた人間全員が困惑する中、リル姉は針を突き付けられてる最中だというのにイル兄に手を伸ばしにっこりと笑いながら「大丈夫、お嫁に行かないから安心して」とあっさり言ってはイル兄を落ち着かせた。イル兄の行動も凄いがリル姉の行動も凄いと思った。
あんな命掛かった場面であんなこと笑顔で言える人間なんて早々いないだろう。それ以来、我が家ではリル姉の結婚及び恋人関連の話は一種のタブーとされている。

「またイル兄暴走させる気かよ…」
「うーん…イルミはともかくお父さんがね、『お前ももう年頃なんだから弟達のことは一回置いて、結婚でも考えてみたらどうだ』だって…よく考えたら私もイルミも今年で24歳なんだよね…いい加減弟離れしなきゃいけない歳だよね」

はぁー、と溜め息を吐く姉。どっちかって言うとリル姉が弟離れ出来ないって言うよりイル兄が姉貴離れ出来てない方が正しい気がする…と言うかオレを抜いて兄弟達全員がリル姉離れ出来てない。例えるならイル兄が鞭ならリル姉は飴だ。しかも超ド級に甘ったるい飴。家族全員がタイプの違う鞭みたいな家の唯一の飴と言っても過言じゃない。あのイル兄ですらリル姉の飴に甘えているのだ。だからいつまで経ってもリル姉離れができない。リル姉もそれに気付いてる筈。普段ぼーっとしてたり子供っぽい行動が目立つがこう見えてリル姉は異様なくらい聡い。

「でね、そのことで悩んでるから気分を落ち着かせるためにミルキのお腹を揉みに来たの」
「…嘘でもいいからせめて相談しにきたって言えよ」
「ミルキのお腹ぷにぷにしてて気持ちいんだもん。それに相談しても何も助言くれないじゃない」

むす、っと頬膨らませたリル姉はオレの腹の肉を摘んで捻った。リル姉は脆い身体相応に非力なせいかあんまり痛くなかった。

「ねぇミルキはどう思う?お姉ちゃん、いい加減弟離れしてお嫁に行った方がいい?」

独特のたおやかで柔らかな声でこちらに問い掛ける姉貴の瞳は真剣そのもので、適当に言葉を濁して誤魔化すのは許されない雰囲気だった。
リル姉がいなくなる。兄弟達はどうなるだろうか?きっとイル兄は荒れる、台風も吃驚なくらいに荒れる。キルは不満な顔をしてオレに八つ当たりしてくるだろう。アルカは寂しいと泣くかもしれない。割と姉貴にべったりなカルトは誰も見てないところでひっそりと泣くな。
オレは、どうだろうか。何だかんだでオレのところに来て一緒に格ゲーやったり(リル姉は意外と強い)今の様に無意味に抱き着いて腹の肉を揉んでくるリル姉がいなくなる。

「弟離れ、しなくてもいいんじゃねぇの?」
「なんで?」
「なんでって…」

少し寂しいから、なんて口が裂けても言えなかった。言ったらリル姉は新しい玩具を見付けた子供の様に爛々と瞳を輝かせて「寂しいんだー。ミルキはおねーちゃんがいなくなったら寂しいんだー」とにやにやしながら言ってくることだろう。穏やかそうな顔してリル姉は意外と性格が悪い。

「……リル姉が弟離れしても肝心の弟達が姉貴離れできないんじゃ意味無いだろ。リル姉いなくなったらイル兄とかキルなんか絶対オレに八つ当たりしてくるぜ?」
「えっと、嫁に行くならまず弟を姉離れさせてから行けということでいいのかな?」
「そういうこと」
「成る程。アルカもカルトもまだちっちゃいけどしっかりしたいい子だから直ぐにお姉ちゃん離れするよね。うわ、そう考えると凄い寂しい…。キルアも思春期でいつまでもお姉ちゃん離れ出来ないのが恥ずかしくなる時期だから大丈夫でしょ。最近引っ付くと怒るし。やっぱイルミが難しいなー、どうしてあんな風になっちゃったかな。手っ取り早くお嫁さんでも見つけてくれば変わるかなー…ミルキはどう思…」
「何してるの、姉さん」

不意に聞こえた淡々とした声。振り向けばイル兄がドアのところで立っていた。ノックくらいしろよ、つーか気配消すなよ、こえーよ。
そのままイル兄はオレの腹にへばりついているリル姉の元へと近寄り、リル姉と視線を合わせるためしゃがみこむ。

「ミルキと何話してたの?」
「可愛い弟達の話。詳しくは企業秘密」
「弟達ってオレも含まれてる?」
「もちろん。イルミは私の可愛い弟だもん」

弟、その言葉にイル兄のオーラが一瞬だけ歪んだのがわかった。イル兄は姉貴を愛してる。家族愛とは違う意味で。キルへの愛も相当歪んでるけどキルの場合は兄弟愛に跡継ぎとしての期待と長男としての責任が付加されてるのもあるからだ。しかしリル姉は特に何も背負っていない。後継者としての期待も、暗殺者としての期待も、何も背負っていない。だがイル兄のリル姉に対する愛情はキルに対するものより何倍も歪んで捩れてる。

「で、イルミはどうしたの?ミルキに用事?」
「違う、姉さんを探しに来たんだ。もうすぐ薬の時間でしょ?」
「あー…忘れてた…」
「という訳だから姉さん持ってくけどいいよね、ミルキ」
「別にいいけど」

イル兄はオレの腹にへばりついてたリル姉を優しく引き剥がし当然の如くお姫様抱っこをした。いや、もう何も突っ込まねぇよ。

「後さ、ミルキ」
「なんだよ」

姉さんに変なこと吹き込むなよ、リル姉から死角になる様に書かれた念文字。そのままリル姉を抱き上げたまま部屋を後にするイル兄の後ろ姿を見て溜め息を吐いた。リル姉のイル兄に対する作戦は即刻無効になりそうだ。いや、やる前からわかってるけど。イル兄は昔から姉貴のことを異性として心の底から愛してるから他の女なんて全くと言っていいほど眼中に無い。
昔見たイル兄の瞳を不意に思い出して背筋に悪寒が走った。何時だったか、結構小さい時だったと思う。気持ち良さそうに眠っているリル姉の額を撫でいたイル兄。端から見れば姉弟の仲睦まじい姿。しかしイル兄のリル姉を見詰める瞳はまるで、この世の歪みと愛情を全部凝縮したみたいな色をしていて、声が出なくなるくらい恐ろしかった。あれを見た途端、リル姉の命はイル兄の手によって終わらせられるんだと悟った。リル姉は自分の弟の愛情に潰されて多分死ぬ。笑えない冗談だった。
ぼんやりとしていたら不意に携帯が鳴った。リル姉からのメールだった。内容を簡単に要約すると「イルミに合いそうな女の子を探しといて」だそうだ。そんなのママとやれよ、なんて思いつつもパソコンに向かって探し始めるオレは大概リル姉に甘い。多分あのイル兄のことだから全く無駄骨になるだろう。それでも真面目にやるオレも恐らく姉離れが出来てない弟の一人だった。

20120314