彼女に指定した口座に前金2000万ジェニーを振り込んだ後、渡された名刺に載っていたアドレスに「入金した」という言葉とこちらの仕事用の携帯の番号のみ簡潔に記載し送れば1分と経たない内に「了解。準備が出来たらこちらから連絡する」とこちらも要件だけの簡潔なメールが返って来た。
オレはサイカから貰った名前と仕事用の電話番号とアドレスだけが載った名刺をぼんやりと眺めては小さく溜め息を吐く。先程から彼女のことが頭から離れない。綺麗な瞳とか柔らかそうな髪だとか白い肌だとか響きの良い声だとかいやに鮮明に憶えていて彼女のことを考える気など毛頭ないと言うのに気づけば彼女を思い浮かべていた。それだけでも大分問題なのに彼女が頭の中を掠める度に脳味噌がぐちゃぐちゃに掻き回される様な感覚に陥っては脈は速くなっていく。
何か毒でも盛られたのかな?いや、オレ別に基本的に毒は効かないし。新種?それ以前に毒とか盛られる隙なんて一切無かったしそれは無いか。じゃあ念?そう思って凝で全身隈無く確認したけどそれらしきものは無い。
じゃあ一体何なんだ、と頭を回転させるが考えれば考えるほど頭の中はぐちゃぐちゃになっていくし彼女の存在が余計に頭から離れなくなるという見事な悪循環を起こし始めた。
いくら考えても原因がサイカという以外わからず頭を悩ませば悩ます程段々疲れていく気さえした。仕方なく仮眠でも取ろうかとベッドに寝転がれば仕事用の携帯が鳴る。若干苛立ちを感じつつも開いて確認をすれば彼女の名前と11桁の番号が画面に表示されていた。予想もしなかった人物に目を見開いてオレは通話ボタンを押した。

「もしもし」
『もしもし、イルミさん?』
「そうだけど」
『明日には情報渡せるよ。どうする?』
「もう情報集まったの?まだ依頼してから半日も経ってないんだけど」
『一応速さが売りでやってるからね。もう大体は集まったから先に連絡しただけ』
「そう」
『受け渡しはどこがいい?希望があるなら決めてもいいし、無いなら私が適当に決めるよ』
「適当に決めていいよ」
『うーん…じゃあ明日、今日と同じ喫茶店に12時くらいに来て』
「わかった」
『じゃあまた明日』

プツッ、という音が聞こえた途端電話が切れる。携帯を放り投げてベッドに突っ伏した。
彼女の声を聞いてから酷く脈が速い。頭なんてただでさえぐちゃぐちゃになってたのに更に掻き回されて熱さえ帯びている気がする。彼女が原因で起こっているこれは一体なんなのだろう。

「……サイカ」

何と無く彼女の名前を口にした。不思議なくらい胸の奥が締め付けられる様な苦しみと満たされる様な感覚が溢れてくる。こんなことになるのは初めてで本当に訳がわからない。
だけどこれが原因でサイカに会いたくないという訳でもない、寧ろ彼女に一秒でも早く会いたくて堪らない自分がいる。
もういい加減考えるのを止めて眠るため瞼を落とせば脳裏にこべりつく様に浮かぶ彼女の姿に溜め息を吐いてはそのまま浅い眠りに身を委ねた。




時刻は正午になる五分前。昨日も訪れた古びた喫茶店のドアを開ければカランカラン、とベルの音と同時に綺麗に整った内装と独特の穏やかな空間が広がった。
少し店内を見回せば店の一番奥の席で紅茶をゆっくりと啜っているサイカを見付け、そのまま彼女のところまで向かった。

「こんにちは、イルミさん」

そう言って少し子供っぽさが残る顔に柔らかい微笑みを浮かべながらサイカはティーカップをソーサーに置いた。
まただ、心臓が異常なくらい脈を打っている。やっぱりこの娘、オレに何かしたんじゃないだろうか。そう思って凝で彼女を見てみるけど念は一切しようしてる様には見えなかったし仕草なんか見ても他にもこれといって何かやっている様には見えなかった。

「あの、…座らないの?」

不審そうにこちらを見るサイカの言葉に我に返り、彼女と向かい合わせになる様に席に着く。
水を持ってきたウェイトレスに珈琲を頼んで(彼女もついでに追加でチョコレートケーキを頼んでいた)何処と無く不審さが含まれた瞳を携えていたサイカだが、直ぐにそれも無くなり彼女はそのまま鞄から大きいファイルを出すと、その中からクリップで纏められた分厚いプリントを抜き取ってオレに手渡した。

「これがファミリーの所在地、これは幹部全員の居場所、それにボス付きのボディーガードとその能力の詳細をおまけで付けときました」
「おまけって金取るの?」
「取らないよ、ただのサービス。調べてたら一緒に出てきたから初回のお客様だし付けといてあげようかな、って」

そう言って彼女が無邪気に笑った。その子供っぽい笑顔はやけにきらきら光って見える、なんて思ってたら心臓がまた一段と大きく高鳴って脈が早くなる。だから一体何なんだ。
どうにか落ち着けようとタイミングよくウェイトレスが運んできた珈琲に口を付けて彼女から渡された分厚いプリントの束を捲る。対象者の詳細を細かく記されたそれは彼女の情報屋としての能力を表すには言葉すらいらない代物だった。ヒソカが認めるのもよくわかる。彼女は情報屋としては一流だ。

「…サイカっていくつ?」

ふと浮かんだ疑問をぶつければサイカは少し不思議そうに首を傾げてから血色の良い赤み掛かった桃色の唇を開く。

「今年で20歳。イルミさんは?」
「22歳」
「へー、歳そう変わらないんだ」

顔の幼さから16、7歳くらいかと思ってたんだけれど意外と歳が近くて驚いた。言われて見ると仕草や雰囲気は歳相応大人っぽさと落ち着きがある様に思えなくはない。
サイカは先程オレの珈琲と共に運ばれてきたチョコレートケーキを小さな子供の様に嬉しそうな笑顔を浮かべて食べ始めた。さっき微かに見えた気がした大人っぽさは何処へやら、その姿は歳不相応なくらい幼いがその幸せそうな笑顔は小さかった弟たちの稚い笑みに少し似ていて見てるこっちも何か満たされる気がした。

「サイカって名前、本名?」
「ん?そうだよ。因みにフルネームはサイカ=キリディア」
「情報屋がそんな簡単に個人情報教えていいの?」
「知られたって困らないから。イルミさんは本名?」
「うん、イルミ=ゾルディックっていうんだ」
「へー、ゾルディ…………え?」

サイカの動きが一時停止して固まった途端、かしゃん、と彼女の手に在ったケーキ用の小さなフォークが落ちて皿とぶつかる音がした。
サイカはその大きな瞳が溢れ落ちるんじゃないかってくらい見開き、口は酸欠の金魚みたいにぱくぱくさせ、明らかに動揺しながらこちらを見ていた。

「ゾルディックって、あの暗殺一家の?」
「うん」

特に何の脚色もせず素直に肯定すれば彼女は幽霊でも見る様な目をこちらに向ける。
彼女はそのまま溜め息を吐いて項垂れながら皿に落としてしまったフォークを拾い上げてチョコレートケーキにちょっと乱暴に刺した。そしてそのまま一口台に雑に切ってまだ湯気の立つ紅茶で流し込んでいた。

「そんなに驚くことなの?」
「驚くことだよ。ゾルディックと仕事が被ったら手を引け、争いは絶対に避けろ。同業者の間じゃ常識だからね」
「キミ殺し屋もやってるの?」
「元だよ。今はたまにしかやってない。それにゾルディックって名前はよく聞くけど情報が出回らな過ぎて顔写真だけでも1億ジェニーくらいで売れるって噂だし……1枚くらい写真撮っちゃダメ?」
「駄目」

やっぱダメかー、なんて冗談混じりに笑うサイカ。その態度はさっきまでの動揺の雰囲気は一切見受けられない。どうやら彼女は随分と切り替えの早い人間らしい。
そこで会話は途切れてしまい、特にすることも無くまだ湯気の立つ砂糖もミルクも何も入れてない珈琲を啜っていれば不意に彼女の鞄から軽快なメロディーが流れ出した。

「電話、出てもいい?」
「いいよ」

サイカは鞄から白い折り畳み式の携帯を取り出して通話ボタンを押すと耳に当てる。聞き耳を立てていた訳でも無いが話の内容から察するに仕事関連の話らしい。恐らく、男からの。しかも呼び捨てにしていて中々親しそうな雰囲気で会話しているし更には冗談でも言われたのか彼女は楽しそうに笑っていた。それを見た途端、胸の奥からじりじりと燻る様な形容し難い感情が湧き出ては思考を埋め尽くして黒く塗り潰していく。苛々にも似てるし怒りにも似てるけど少し違う、一体この感情は何なんだ。
というか何でサイカはオレのことだけ呼び捨てにしないんだ?ヒソカも呼び捨てだったし電話の男だって呼び捨てなのにオレだけ。なぜだろう。胸の奥が焦げ付く様な感覚がする。この感覚は知っている。苛つきだ。

「ごめんなさい、急な仕事入っちゃったから先に失礼するね」

会話が終わったのか電源ボタンを切った途端サイカは困った顔をしてオレに言った。あぁ、さっきの電話の男のところに行くのか。そう思うと無性に苛々して胸の奥からどろどろしたものが溢れ出してくる感覚がして、気が付いたら伝票持って立ち去ろうとするサイカの手首を強く掴んでいた。

「え、ちょっとイルミさん!?」
「イルミ」
「……はい?」
「さんはいらない。呼び捨てにして」
「え?」
「呼んで」
「……イルミ?」

どくん、と心臓が大きく脈を打った。少しだけ胸の奥のどろどろも無くなって、代わりにじわじわと染み渡る様なものが溢れてくる。緩く締め付けられる様な感覚がするそれは苦しくもあったが不快にも思わなかった。本当にこの娘何なんだろう。
名前呼ばせといて特に何も言わないオレにサイカは不思議そうに首を傾げたが彼女は「それじゃあ失礼するね」と二度目になるその言葉を口にし、そのまま会計を済ませて店から去っていった。一体オレは何をしてたんだろう。我に返れば自分でも訳のわからないことばかりしている。やった本人がわかってないんだ、やられた彼女の方がもっと訳がわかってないだろう。もしかしたら嫌われたかもしれない。仕事柄嫌われるのは慣れてるけど彼女だけに対してはそれだけは極力避けたい。何でだろう。
ぐちゃぐちゃになっていく頭を落ち着かせるため、すっかり温くなった珈琲に口を付ける。全部の神経が頭の方に向いているのか味がよくわからなかった。

「……一体何なんだろう」

自分ですら漏らしたことに気づかないほど小さな声で無意識に呟いた。

20120301