抜け切らない熱で火照った身体をそのままに、濡れた頭を肩に掛けたタオルで拭いつつ風呂上がりの醍醐味であるアイスを食べようと私はリビングに戻った。私の入浴中に食事を終えたらしいイルミはソファーの上で退屈そうにテレビのチャンネルを回している。私に気づいたらしい彼は適当に回していたチャンネルをニュースに落ち着かせてからこちらを見た。「お風呂上がったの?」なんて声を掛けてくる彼に適当に相槌を打ちつつ、未だテーブルの上で鎮座していた食器達を流しへと運ぶ。シンクに積み重なった食器を見つつ今洗うか否かを考え、アイスが食べたいという気分を優先させて後で片付けることにした。
そんなことを考えつつ私は冷蔵庫の下段の冷凍室の引き出しを開け、バニラの棒アイスを一本取り出す。アイスを覆う透明なプラスチックの袋をゴミ箱に捨て、私はそのまま白いバニラの棒アイスを咥えた。冷たいクリームの感触とどこか懐かしさを感じるバニラの味。ハーゲンダッツなんかの濃厚なバニラも好きだが一箱十本入りで198ジェニーのアイスのチープなバニラの風味は高いバニラにはない美味しさがある。私は咥えたバニラアイスのまろやかな甘さを確かめながらテレビでも観るか、とイルミがいるであろうリビングの方へと戻った。

「何食べてるの?」

リビングに戻ればソファーの真ん中を堂々と陣取って座るイルミが私の咥えていたバニラアイスを見て言った。アイスだよ、と簡単に返せば彼は適当な相槌を打ってソファーの右側に少し寄って座り直す。どうやら隣に座れということらしい。彼の誘いを断る理由も特に無かったのでそのまま私はアイスを片手にソファーの隣に座った。

「バニラアイス?」
「うん」
「美味しい?」
「美味しいよ」

私はそのままアイスを口に咥えてテレビに視線を移す。アイドルのスキャンダルを流すニュースをぼんやりと観ていれば不意に妙な違和感に気付いた。
彼がこの家に来てから私の寝床も兼ねている座り心地の好いこのソファー。私がごろごろしながらテレビを観れる様に、と大きめに特注しただけあり、通常規格のソファーより少しサイズが大きく造られている。だから形状は二人掛けでも成人男性が余裕で三人…いや、頑張れば四人は入るくらいのソファーの筈だ。

「……」

私はちらりと隣に座るイルミを見た。触れそうな距離にあるイルミの手。ソファーの大きさ的にこんな近い必要があるだろうか。正直ソファーのサイズ云々がなくても、凄く距離が近い気がする。私、こんなにイルミの近くに座ったっけ?私の記憶だと人一人分、とは言わないけれど人半人分くらいは離れていた気がするんだけど。
試しにこのソファーの左側に少しだけ寄ってイルミから拳一つ分くらい距離を置いてみる。そしてそのまま様子を窺う様にイルミを見れば彼は距離を取った分だけ、私の元へと近寄った。

「何で離れるの?」
「寧ろなんで近寄るの!?」
「なんとなく」

そのままイルミは離れようとする私の手を掴み、強引に隣に引き寄せた。逃げられないように強く握ってくるイルミの手は宛ら手錠の様に私の右手首を捕らえ、枷の様に彼の隣へ繋ぎ止める。抵抗しようと顔を上げれば彼の黒い瞳とばっちり目が合った。唐突に視界を占めたイルミの綺麗な顔。やけに近い顔の距離に彼にぶつけようとした拒絶の言葉は何も言えないまま反射的に口の中に飲み込まれ、代わりに頬に熱が隠る。
心臓がやけにどきどきと五月蝿い。顔、絶対に赤くなってる。

「サイカ、アイス溶けてる」
「え、うそ」

私がイルミに気を取られて食べるのを忘れている間にアイスはいつの間にか溶け始め、その白く丸みを帯びた棒の先端からバニラの雫を落とし掛けていた。慌ててアイスを口に咥えようとすれば不意にアイスを持った手が引っ張られる。何事かと引っ張られた方向に視線を動かせば思わず頭の中が真っ白になった。
イルミが、私の食べ掛けのアイスに舌を這わしていた。そのまま彼は溶け出したバニラの雫を舌先でなぞり、先端を口に咥え、アイスの先端を一口齧る。

「うわ、安っぽい味」
「え、…あ、…」

イルミに一口分齧られて短くなったバニラの棒アイス。状況が飲み込めず頭の中がぐるぐるして来た。

「な、何で、食べて…!?」
「サイカが美味しそうに食べてるから気になった。丁度溶けて垂れそうだったし」

ほらまた溶けるよ、と彼はアイスを指差し言った。少し溶け掛けたバニラアイスはこのまま食べずに放って置いたらまた先端から雫を垂らし、そのまま伝って下に落ちるだろう。だけどこのアイスは先程イルミが勝手に食べたものであって、このアイスにはイルミの唾液が付着していて、つまり私がこれを今食べたら間接キスになる訳であって……、とそこまで考えて頭が沸騰しそうになった。いや、抱き締められたり服引っ剥がされたり裸見られたり胸揉まれたりとか最早セクハラ通り越して警察に突き出したいことを沢山されておいて今更、と思うかもしれないがこれはこれで凄く悩む。どうすればいいの?食べていいの?食べるべきなの?て言うかイルミはナチュラルに私が口付けたもの食べてたけど平気なの?私が考え過ぎなだけ?捨てようかな、なんて思ったけどイルミの目の前でそんなことをする勇気が私には無い。
私は再度バニラアイスを見詰めた。溶け掛けた白いそれはまるで「ごちゃごちゃ考えてねぇで早く食え」と言わんばかりに白い雫を先端から垂らし始めている。何だろう。間接キスごときでごちゃごちゃ考えている私って端から見たら相当変態染みているじゃないだろうか。変態とかヒソカと同類じゃないか。不快だ。あんなのと一緒になりたくない。
ふとアイスから視線を逸らしてイルミを見れば彼の視線はテレビの明日の天気予報へと移っていた。もういいや、深く考えるのはやめよう。アイスを食べよう。そう、食べるんだ。私は心拍数が異常値を叩き出すのを無視しつつ、溶け掛けのアイスの先端を口の中に入れて思い切り齧った。

「……」

普通に、普通にアイスだ。安っぽいバニラ味のいつものアイス。冷たい筈のそれが妙に熱く感じたがそれはお風呂上がりだから私の体温が熱いんだ、ってことにしておいた。間接キスなんて決して意識なんかしてない。そう、私は意識なんかしてないんだ。自分に言い聞かせる様に心の中に繰り返し、私はガリガリとアイスを齧った。いつもならアイスはのんびり舐めながら食べていく派なのだけれど今日は別。兎に角早く食べ終わりたかった。
暫くしてアイスを全て胃の中に押し込み、ゴミと化した当たりもはずれも書いていない木の棒を部屋の隅のゴミ箱にソファーから投げ入れた。試練を乗り越えたかの様な安堵感に溜め息を漏らしつつ隣に座るイルミの様子を窺う。イルミは暇そうにぼんやりと週間天気予報を観ていた。
私も別段することがなかったせいか、気がつけば私の視線はイルミの横顔へと移っていた。それにしても見れば見るほど女として腹が立つくらい綺麗な顔だ。肌は白いし、目は大きいし、黒髪はサラサラで綺麗だしシャンプー何使ってるんだろう…あ、私と同じやつか。でも私こんなサラサラじゃないぞ。よく見ると睫毛も長い。付け睫とかマスカラとかしないでこの長さか…羨ましいなー…。

「さっきからこっち見てるけど何か用?」

テレビを観ていたイルミが唐突に顔を横に向け、こちらを見た。いきなり合った視線に驚いてしまい、思わず肩がびくりと震えてしまう。どうしよう。「用はありません、ただ顔を見ていただけです」とは流石に言い難い。

「…髪!イルミの髪見てたの!」
「髪?」
「うん、サラサラで綺麗だなーって…」

嘘は言ってない。顔も見てたけど髪も見てた。そう自分に言い訳しながらイルミの様子を窺う。イルミは「ふーん…」と適当な相槌を打ちながら自分の横髪を一筋指先で摘んでその何を考えているかわからない黒い瞳で指先のさらさらのそれを見詰めた。

「そんなにオレの髪って綺麗?」
「綺麗だよ。細くてサラサラで艶々で、痛みも枝毛も無いし」
「そう?サイカの髪は…」

イルミが手を伸ばしお風呂上がりで湿ったままの私の髪の毛先に触れる。私の髪に触った途端、彼の眉間に僅かに皺が寄った。

「……濡れてる」
「まあ、お風呂上がりだし…」
「乾かしてあげようか?」
「え?別に遠慮す…」
「……」
「いえ、しません!寧ろ乾かして下さいお願いします!だから髪の毛引っ張らないで痛い…っ!!」

イルミは心無しか満足そうに頷くと毟り取らんばかりに私の髪を引っ張っていた手を離し、ドライヤーを取りに洗面台の方へと向かう。ソファーに残された私は引っ張られた髪と頭皮を労りつつ、現実逃避気味にテレビ画面を見ていればイルミがドライヤーとブラシを装備して戻って来た。そのままドライヤーのコードを伸ばし、電源を入れて準備を整えるとイルミはソファーに座る。

「乾かすからここ座って」

ここ、そうイルミが指で示した場所に一瞬思考が固まった。イルミが指差すその場所は彼の座ったまま少し広げた太股と太股の間だ。何故そこなんだ、と躊躇して中々来ない私にイルミが無言の圧力を掛けてくる。このままだとまた髪を引っ張られそうな予感がしたので私は大人しく彼が指定した場所に座った。カチ、とドライヤーのスイッチを押す音がした途端、吹き出す暖かい風とドライヤー独特の五月蝿い音。身体を硬くさせて身構える私をイルミは特に気にも止めないまま、彼は私の湿った髪を一房手に取るとそのまま暖かい風を当てていった。

「昔さ、こうやって弟の髪を乾かしたことがあるんだ」

濡れた髪が八割方乾いてきた頃、唐突に彼はそんなことを言った。最早彼にされるがままの私は「そうなんだ」と若干適当に返せばイルミはドライヤーを動かしつつ話を続けていく。

「キルとかお風呂上がった後直ぐにテレビ観たいの所行っちゃってさ。よく髪乾かさないままにしてたからオレが捕まえて乾かしてあげてた」
「へー」
「サイカの髪って柔らかくてさ、何かちょっとキルの髪に似てる気がする」

そう言うとイルミはドライヤーの電源を切り、ソファーの端に邪魔にならない様に置いた。乾かすのが終わったらしく、最後にイルミは私の髪を丁寧にブラシで梳いていく。一通り髪を綺麗に整えるとイルミはブラシをドライヤーと同様にソファーの端に置いた。すっかり乾いた髪を指で確かめつつお礼を言おうと振り返ろうとすれば唐突に身体を後ろから拘束された。言わずもがな、イルミである。
背中に伝わる体温と時折項に掛かる淡い吐息。彼から施される感覚は頬に火を灯らせ、心臓の鼓動を激しく脈打たせるには十分なものだ。だが抱き締められるのに少し慣れてきたせいだろうか。最初よりも精神的にはいくらか余裕が持ててきたのか前より大分動揺は少ない。

「どうしたの?」
「わからない。弟のこと思い出したらさ、こう…抜けてく様な感じがした」
「弟さんと喧嘩でもしてるの?」
「喧嘩なんてしてないよ。でも最近反抗的かな、とは思うな。結構言うこと訊かない時もあるし…」

そう言うとイルミは私を抱き締める腕の力を強め、身体をより私に密着させるとそのまま小さく息を吐いて項垂れる様に私の肩へ顔を埋める。縋る様なそれは、まるで小さな子供が母親に甘えるのに似ていた。
あぁ、そうか。長い間渦巻いていた疑問が漸く解けた。きっとイルミは、弟が自分の傍から離れていくのが寂しいのだ。しかもその寂しさへの自覚が無い。それでいて、イルミにとって私はその離れ気味な弟の代わりなんだろう。こうやってちょっかい掛けるのも抱き締めるのも傍に居るのもきっと構ってくれないイルミの弟の代わり。キスしようとしたのも犯そうとしたのも偶々見付けた弟の代わりが女で、そういう欲求を満たすことが出来たからだろう。
ふと自分が無意識に唇を噛んでいたことに気付いた。別に何か特別な感情を期待してた訳でもないのに、何でだろう。胸の内を腹立ちと喪失感の様なものが溢れていく。行き場を探してじわじわと増えていくその感情。それを私は、胸を然り気無く鷲掴んで来たイルミの手を殴ることで取り敢えず発散させておいた。

20130923