呼吸を圧迫する様な首元の違和感に目が覚めた。
ぼんやりとした視界には寝室の天井が映り、背中には柔らかいベッドの感触に首元には何かが乗っているような謎の重み。ふらふらと曖昧な寝惚け眼で首元に手をやればやけに固い感触が掌に伝わった。何だろう、と目線を少し下げて確認すれば腕が見えた。腕……?

「っ!?」

完全に目を覚ました私は自分の首の上に乗った腕を反射的に掴み、動揺しつつゆっくりと首を横にして隣を確認する。イルミと目が合った。彼と出会って二度目になる悲鳴を上げた。




現在の状況を説明しよう。
頭部を押さえて土下座にも似た体勢でベッドの上で踞る私とそんな私を見ながらベッドに腰掛けているイルミが部屋の一室で妙な沈黙を作り出している。ここまでに至った経過としては、私が叫ぶ→寝起きだったイルミが「五月蝿い」という言葉と共に私の頭に拳骨→予想外の攻撃と痛みに私が踞る、というものだ。
未だ痛む頭を擦りつつ身体を起こし、少し冷静になった頭で自分の現在の状況を整理していく。まずやけに違和感のある衣服をよく見た。サイズの合わないシャツは確実にイルミのもので(昨日畳んだ覚えがある)胸元を確認すればブラジャーが無い。まさか下も…と確認したがそちらはあったので少しだけ安堵した。
小さく溜め息を吐きつつも、どうしてこうなったんだ、と今朝に至るまでを確認すべく昨日の記憶を漁ってみるがイルミから貰ったワインの二杯目を飲んだところぐらいまでしか思い出せない。
酔っ払って飛んだ理性、取り払われてる下着、朝起きたら隣に男。嫌な予感しかせず、自分でもわかるくらい全身の血の気が引いていく。

「あの、イルミ……」
「何?」
「昨日、何かした…?」
「何かって何?」
「だからその、」

そこからの単語を続けようとして口隠った。そのままその単語を口にするのは流石に嫌だと私の中の女子としての精神が拒否している。仮に彼と何もなかったとしても裸見られたのは確定してるし(酔った時の自分は着替えなんてろくに出来ないくらい不器用だ)それだけでも恥ずかしくて仕方無いのにこれに加えてそういうことがあったと確定してしまえば多分自分は情けなくてきっとどうしようもなくなってしまう。
暫く俯き黙っていると察したのか彼があ、と少し間の抜けた声を上げて言葉を続けた。

「セックス?」
「そうストレートに言わないでくれる!?」

ばっ!と顔を上げてイルミを睨めば酷く不思議そうな顔で首を傾げるだけで何故私が睨むのかわかっていなかった。この人は多分デリカシーというものを理解していない。
暫く黙ってむすくれていれば彼は私の羞恥と僅かな怒りで赤くなった頬を指で差し「林檎みたい」と呑気に摘んでくる。この人は多分空気というのも読めていない。
私の頬に触れる手を払い、本題に戻ろうと彼を見る。

「昨日の私は、その……一体何をしたの?」
「酔い潰れて寝て服にワイン溢してた」
「ごめん、意味わかんない」
「そのままの意味だよ。テーブルで突っ伏して寝ちゃった後サイカがワインボトル倒して中身を服に溢した。それでオレが服着替えさせてそのまま一緒に寝た。あ、一緒に寝たがったのサイカの方だからね」
「い、一緒に寝たがったって……!?」
「サイカがオレのこと掴んで離さなかったんだよ。それで一緒に寝た」
「……寝たってどっちの意味?」
「セックスじゃない方」
「……」
「大丈夫。何もしてないよ」
「……本当?」
「本当。それとも、」

何かした方がよかったの?と彼が言った途端頭がショートした様に真っ白になって顔が茹でた蛸の様に真っ赤になる。何が恐ろしいかって目の前のこの男はからかいでも茶化しでもなく本気の疑問としてこの言葉を私にぶつけて来てることだ。
慌てて首を横に振って否定を示す私にイルミはふーん、と軽く相槌を打ってから変化の乏しい無表情でこちらを見る。
取り敢えず私と彼にその、……肉体関係的なものが生じなかったのに安心しつつ(でも裸見られたのは未だにショックだ)シャワーでも浴びようとベッドから降りようとすれば「ねぇ」とイルミに声を掛けられた。

「…どうしたの?」
「一つ訊いていい?」
「何を?」
「サイカって処女?」




「サイカって処女?」

それは少しの好奇心だった。どこか幼く、異性に対する警戒心の薄い彼女の態度を見た時から感じていた頭の中にあった勘に近い曖昧な確信は、先程の少女の様な恥じらう仕草を見てから形あるものとして体を成し、ついに疑問として口に出た。
それを訊いた途端、サイカは目を見開き色の治まり掛けてた頬を一瞬にして再び真っ赤に染め上げる。そしてそのまま酸欠の金魚の如く口をパクパクさせる彼女は明らかに動揺を隠せないままこちらを見た。

「図星?」

そう訊けばぼふん!と彼女の頭が沸騰したのが見てわかった。サイカの反応は本当にわかりやすい。
あと全く関係無いけど彼女が動揺してあたふたと身体を動かす度に胸が大きく揺れて薄いシャツ越しに乳房の頂きであろう桃色がかなり透けてるのだけれどこれは教えてあげた方がいいのだろうか。

「な、何で、いきなりそんなこと、っ」
「何となく」

そう言ってサイカの頬にそっと手を伸ばし、真っ赤なそれを掌で包み込む。
慌てて視線を外し、オレの手を払おうとする彼女と半ば無理矢理こちらを向かせた。恥ずかしそうに目線を泳がせつつオレの手から逃れようとするサイカは非力な癖に余りにも必死で、その姿は何処か胸の奥を擽る。今までにこんな感情を抱いたことがあっただろうか、と思いつつ記憶を整理したが全く該当したものがない。サイカと出会って既に何度も思ったことだが彼女に対する感情は何処か異質で、今まで経験したことのない全く未知のものばかりな上に制御が恐ろしいくらい効きにくい。厄介だな、なんて思いながらも瞳を潤ませて真っ赤な顔でじたじた暴れる彼女の頬から一度手を離す。その隙に素早く距離(と言う程大したものじゃない)を取った彼女はこちらを睨んでいるのだろうけど涙目だし顔真っ赤だしで全く怖くない。子猫が身体を一生懸命に使って威嚇してる様にすら見える。
何となく頭でも撫でようかと再び手を伸ばせばばしん!と手を叩き落とされた。

「バカ!変態!セクハラ野郎!」

真っ赤な顔で捨て台詞の様にそれだけ怒鳴ると彼女は素早くベッドから立ち上がり、逃げる様にして部屋を出ていった。
随分酷い罵倒を貰ってしまった。サイカは一体何に怒っているのだろう。服脱がしたこと?一緒に寝たこと?処女って訊いたこと?それ以前に元はと言えばサイカが酔っ払ってオレと寝たのが原因であって普通に考えてサイカの方が悪いのにこの言葉は一体何なのだろう。
僅かな疑問を感じつつも自分もベッドから降りて部屋を出る。どこに行ったのだろう、とサイカの姿を探せばバスルームの方から水の音が聴こえた。どうやらシャワーを浴びているらしい。出てくるまでリビングで待とうとそのまま廊下を進んで行き、リビングへの扉を開いた途端、昨日の残骸と溢れたままのワインから漂うアルコール臭に目を細めた。そう言えば昨日、面倒臭くて何も片付けずにそのまま寝てしまったのを思い出す。

「……」

無言でリビングの扉を閉めるとオレはくるりと方向転換した。あと15分もしたらサイカはシャワーから出てくるし、そもそも散らかしたのはサイカなのだから彼女に片付けさせるのが普通だ。オレはリビングの惨状をそのままに元いた寝室へと戻ることを決めた。




「え、なにこれ…」

風呂上がりの彼女の第一声はこれだった。彼女が指す「これ」とは勿論、昨晩彼女がやらかしたアルコールの残骸の後のことだ。サイカがやったんだよ、と言ってやれば彼女は無言で窓を開けて(多分アルコール臭の充満した空気を入れ換えるため)次に台所から濡れた布巾を持ってきて床やテーブルに溢れていた赤ワインを拭き取り始める。
途中、昨日オレが着替えさせたまま放置してた破れたシャツとジーンズ(双方共にワインの染み付き)を見ながら「気に入ってたのになー…」と一人愚痴を溢しつつ20分もする頃には盛大に散らかっていた部屋は元の清潔感溢れるものへと戻っていた。ソファーに座りながら今何時だろう、と時計を見れば午前6時の少し前。随分と早い時間に目が覚めたな、何てサイカを見れば既にキッチンへと移動してガチャガチャと朝食の準備を始めていた。

「今日の朝御飯なに?」
「……」
「ねえ、聞いてる?」
「……」
「サイカ?」
「……」

サイカは一切返事をせずに無言で冷蔵庫から食材を出したりまな板の上でトントン、と何かを切ったりしている。これは故意的に無視されてるな、そう思いながらソファーから立ち上がり彼女の傍へと行った。

「まだ怒ってるの?」
「……」
「いまいち何に怒ってるのかわからないけど取り敢えず謝るよ。ごめん」
「……」

謝罪すら気にせず、無言無表情で未だトントンと包丁を動かすのみで徹底的に無視している。どうやら相当怒っているらしい。正直彼女は何に怒っているのだろう。先程のことについて怒っているのはわかるのだがどれかまではわからない。ちょっと面倒臭い。

「ねえ、サイカってば」

返事さえ寄越さない彼女に小さく溜め息を吐くだけだった。

20130118