サイカ=キリディアについてわかったこと。
十歳以降の個人情報が掴めない。未だ無効となってない婚約者がいる。容姿は中の上程度だが整えればそれなりになる。半便利屋と化した情報屋である。無駄にセキュリティの強固なマンションに住んでいる。「おかえり」と言われると嬉しそうにする。料理が上手。
2週間(と言ってもお互いが仕事で数日家に居なかったこともあるから実質1週間と少しぐらいが正しいかもしれない)、彼女と暮らしてわかったことはたったのこれだけだった。こんなに時間を掛けてるにも関わらず未だ自分の抱く彼女に関する感情は答えを見出だせないし何より彼女と物理的に距離が近くなったことで余計にわからなくなってる節がある。かと言って再度距離を置くのもどうかと思う。
こういうのもあれだが正直に言わせて貰うと彼女と暮らすのは想像していたより嫌なものではなかったのだ。言葉じゃ上手く言い表せないがただ「隣に居たい」と理由もなく思ってしまい、少し気を抜けば自分の抱く感情の答えなどどうでもよくなってしまうくらい心地の好いものだった。
しかしこのまま時間だけ過ぎていくのは流石に不味い気がして何か打開策は無いかと時折考えてみるが特に思い付かない。
どうしたものか、と考えつつ仕事の下準備をしている最中のことだった。
現在位置はとあるワインショップの所狭しと並ぶワインセラーに囲まれたレジの前。
次の仕事のターゲットが無類のワイン好きとデータにあった。依頼人から提示された条件を考慮した結果、「ワインに毒を盛ってから止めを刺す」という方法が一番成功の確率が高いと判断し、依頼人からのデータにあったターゲットの好んでるらしいワインを購入しに来たのだ。自分はアルコールにはあまり興味が無いので年代や種類はよくわからないがサイカに訊いてみたらかなり上物のワインらしい。このワインの産地の葡萄の質が云々と長く語られた。サイカは食べ物関連には異常に詳しかった。料理も上手いし案外食べるのが好きなのかもしれない。

「こちらの赤ワインは口通りが良く渋味も少なめで女性にも人気なんですよ」

にこにこと営業スマイルを浮かべる店員の女は手元にあったワインボトルをプレゼント用に包みながらそう言った。適当に聞き流しているとふと思い出す。そう言えばサイカがアルコールを摂取しているところを見たことがない。
以前に酒は嫌いじゃない、みたいなことを言っていたしワインに詳しいところを見るとかなり好んで飲む方なのだとは思うが恐らくオレが居るから遠慮して飲んでないんじゃないだろうか。
少し悩んだ後に店員に言って今包んで貰っているワインをもう一本注文し、別に包んで貰う様に頼む。いつの時代だってそうだがアルコールに因る酔いというものは人の思わぬ一面や愚かな部分を引き出す道具として用いられることが多い。彼女だって例に漏れることは無いだろう。
綺麗に包まれた二本のワインを店員から受け取り、そのまま店を後にする。
早急に仕事を終わらそう。右手に持ったワインを横目で見つつそう思った。




仕事が終わり、サイカのマンションに戻れたのは夜も更けて空は黒に染まり、時計の短針が12を差す寸前の頃だった。
面倒なセキュリティを抜けて玄関のドアを開ければ彼女はソファーに座りながらテレビをぼんやりと観つつ洗濯物を綺麗に畳んでいた。オレが帰ってきたことに気づいた様で彼女はこちらに顔を向けると少しだけ嬉しそうに笑う。

「イルミ、お帰り」
「ただいま」
「これイルミの着替え。畳んでおいたからしまっておいて」

店頭に並べられている品の如く綺麗に畳まれ重ねられたシャツやら下着やらをサイカから渡される。それを受け取る際に入れ換える様にして彼女の手にワインボトルを渡せばサイカは不思議そうな顔をしてまじまじと見詰めた。

「何これ?ワイン?」
「お土産。嫌いだった?」
「いや、好きだけどさ…」
「何?毒とか入ってないよ」
「その辺は心配してないよ。入ってたって飲めるし」
「なら何?」
「いや、イルミ居るから禁酒中というか、その…」
「オレが居るから禁酒?意味わかんないだけど」

目を逸らして誤魔化そうとする彼女の肩を掴めばサイカは少し困った様な顔をした。曖昧な濁し方は苛々するし何よりサイカに隠し事をされると理由はいまいちわからないがその何倍も苛々する。
はっきり理由を述べるまで掴んだ肩を離す気は無いという意味を込めて指先に力を込めれば観念した様にサイカは言った。

「私凄くお酒に弱いの」
「下戸ってこと?」
「うん。あと酒癖悪いらしいし…」
「らしいって?」
「飲んだ後って大概寝オチしちゃうから記憶が曖昧でわかんないけど泣いたり怒ったり暴れたりするんだって…」
「……」
「それでさ、私お酒飲む時は一人って決めてるの。だからこのワインはイルミだけで飲みなよ。おいしいお酒なんだからさ」

残念そうな顔をしてワインボトルを自分に返そうとするサイカ。そんな彼女を無視してオレはそっとサイカに背を向けて勝手に食器棚を漁る。手前にある使用頻度の高い白い食器を何枚か退けて奥に隠れていたワイングラスを二つと、ついでにコルク抜きを取り出してはテーブルに並べた。少し驚いた顔でこちらを見るサイカの手からワインボトルを奪いコルクを抜いてから並べられた二つのグラスにそっと注いでいく。

「別にサイカの家なんだから泣こうが怒ろうが暴れようがサイカの勝手だろ。好きなだけ飲めばいいじゃん」

そう言えばサイカは嬉しそうに瞳を輝かせてはこちらを見る。彼女はそのまますっと立ち上がり心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「おつまみ取ってくるから待ってて!」

彼女は上機嫌にキッチンからチョコレートブラウニー(多分自分のいない間に彼女が作った物)を皿に乗せて持ってくると赤ワインの注がれたグラスの側にそっと置いた。酒のつまみに甘いもの?と疑問と抗議を同時に吹っ掛ければサイカはちょっとむすっとした顔をしてから再度キッチンに戻り、冷蔵庫に眠ってたであろうチーかまを持ってきた。

「これで文句ないでしょう」
「……」

いやに自信満々な色を浮かべ、チーかまが入った皿をテーブルの上に置く彼女。そんな彼女を見つつもオレは何も言わないことにしてワイングラスに口付けた。




予想と違う。漠然とそう思った。
サイカはちびちびとワインに口付けては嬉しそうに笑みを浮かべてこちらに適当な世間話を振ってきていた。そこまではよかった。しかしグラスの中のワインが半分程消化されてくると少しずつサイカの頬は紅色に染まっていき、段々と身振り手振りが大きくなり、普段より饒舌になったのに加えて些細なことですらにこにこと嬉しそうに笑ったりして楽しそうにする。笑い上戸だろうか?
さっきのサイカの話だと怒ったり泣いたり暴れたりすると言っていたけれどもしかしたらサイカは時と場合によって酔い方が違うのだろうか。
他の酔い方も見てみたいな、なんて思いながら彼女に視線を向ければふにゃふにゃとした締まりの無い笑顔で返された。普段の笑みとはまた違ったどこか無邪気な印象を持つ笑み。うん、これはこれでいいかもしれない。
彼女がグラスの中のアルコールを漸く三分の二程消化している中、オレは二杯目のワインをグラスに注ぎ皿に乗ってるブラウニーを一つ摘む。甘くて酒に合わない。
自分は比較的アルコールに強い(というより身体がアルコールを毒と思って処理しているのかもしれない)せいか酔うというのは全く無いのもあって一杯目でこれだけ酔っ払うサイカはかなり面白かった。
そんな彼女を眺めていればサイカの血色の好い唇が残っていた赤ワインを全て飲み干しグラスを空にした。

「もう一杯飲む?」
「のむー」

ボトルを軽く傾けて彼女に差し出せばサイカは呂律の回ってなさそうな返事と共にグラスをこちらに出した。ワイングラスの半分程を埋め尽くす赤色を眺めつつ彼女は紅の頬にふにゃふにゃした笑みを浮かべては嬉しそうにする。ちょっとかわいいかもしれない。そう思った。



「……」

この状況の彼女をどうしようか。ただそれだけに頭を悩ませた。
酔いが相当回ってしまったのかふらふらとしながらも意識は辛うじてあったサイカに「シャワーを浴びてくる」と声を掛け、彼女が了承した(かなり酔っていたがオレの言葉にきちんと首を縦に振っていた)のを確認してから少しの時間放置した…のがいけなかったのかもしれない。
テーブルに突っ伏して寝ている。それが現在のサイカの状態だ。それだけなら構わない。勝手に寝てればいいと思う。しかし現在の彼女の状態を見ればそうする訳にもいかない気がした。
彼女の現在の状況を言葉で表すなら悲惨、の一言だろう。恐らくテーブルに投げ出されている腕が当たって倒れたのであろう、割れて破片が飛び散ってるワイングラス。それと同様に彼女に倒されたワインボトルは恐らく中身が残っていたのだろう、テーブルの上に中身を広げながら突っ伏している彼女の白いYシャツの手首の袖から肘に掛けてと胸元、それにジーンズの太股辺りに真っ赤な染みを作っていた。
小さく溜め息を吐きつつまず最初に彼女の肩を軽く揺らし、起こす事から始める。サイカ起きろ、と何度も揺らすが彼女の意識は未だ夢の中、起きないと犯すよ、とか殺すよ、なんて脅してみるが全く起きる気配が無い。本気で熟睡してる様だった。
仕方無しにグラスの破片に気を付けながら彼女の身体をゆっくりと起こす。怪我は特にしておらず、ワインの被害も服だけで顔や髪には付いていない。取り敢えず盛大な染みが付いてしまっている洋服を着替えさせようとYシャツのボタンに手を掛けた。プチプチと一個ずつ外していけば露になる白い胸元。ドレスを着てた時にもちょっと思ったけれどサイカは大分着痩せするタイプの様だ。

「んっ、…」

小さな声にシャツを脱がし掛けてた手を止める。起きたのかな、なんて様子を窺ったが小さく身動ぎをしただけで再び規則正しい寝息を立てて夢の中に戻っていった。鈍い、というより無防備だ。異性と同じ屋根の下で二人きりでしかも暗殺者というオプションさえ付いているというのにアルコールが入っただけでここまで無防備になられるとかなり心配になってくる。
真っ赤な染みの付いた彼女のシャツを脱がしながらふと疑問が浮かんだ。他の男にもこんな姿を晒しているんだろうか?彼女のこんなあられもない姿を自分以外の他の男に見せたことがあるんだろうか?
そう思った途端怒りにも似た苛立ちが胸の内から溢れてきたのがわかる。次第に頭の中まで侵食してきた苛立ちは無意識に行動にまで達していたらしく脱がし掛けていた彼女のシャツの肩口付近が力加減を間違えて少し破れてしまった。あ、という無意識に漏れた声の後にあれだけ酷い染みになってたのだから今更破れるくらい構わないだろう、と開き直る。脱がしたシャツをその辺に放り投げ、次にジーンズを脱がそうとした所で気付いた。ブラジャーにも染みが付いてる。多分ワインがシャツ越しに浸透してしまったのだろう。
流石にこれを脱がすか否かは少し悩んだが取り敢えず染みの付いているジーンズを脱がしてから考えることにした。
ジーンズに通ったベルトとホックを外し、ファスナーを下ろす。彼女の身体を少し抱え、腰を上げさせて揺るんだジーンズを掴み、ゆっくりと脱がせばブラジャーと揃いの下着と白い脚が露になった。
さて、ジーンズを脱がし終わったのはいいが染みのついたブラジャーはどうしようか。流石に脱がしたらいけない様な気もするがここまで脱がしたら仮に全裸にしようとも(しないけど)結果は変わらない気がする。
オレはそのままサイカの背に手を伸ばし、年頃の女にしては色気の無いブラのホックを掴んで外した。
揺るんだ胸元を確認しつつ腕から肩紐を抜いていく。
あっという間に半裸になった彼女の身体に目をやれば大分心臓が跳ねた。サイカは綺麗な身体をしていると思う。肌は手入れをしているのか滑らかで白く、投げ出された肢体は細過ぎず、程好い肉付きを保っており、柔らかな乳房も十分な大きさだし頂の飾りも可愛らしい色をしている。
これ程綺麗だと強引に踏み荒らしたい衝動に駆られるが流石にそれをやったら確実にサイカの逆鱗に触れることになりそうだ(もう触れてそうだが)
これ以上彼女をこのままで置いておくのもあれなので先程サイカに畳んで手渡されたオレのシャツを一枚広げ、彼女に着せる。彼女の体格に合わないオレのシャツは彼女の身体を太股まで隠した。そして未だ眠ったままの彼女の身体を抱き上げ、寝室へと向かう。

「あ、しまった」

ベッドに彼女を下ろして布団を掛けてやったところで気付いた。
寝ていたからと無意識でベッドへ連れてきてしまったが彼女はオレが来てからずっとソファーで寝ていたのだ。今日オレがベッドで寝れなくなってしまった。サイカを退かすか、と思いつつ彼女を見るがその気も失せてしまう。

「……その顔は反則だと思うんだ」

幼さが浮かぶ彼女の寝顔はあまりにも気持ち良さそうで寝床何てどうでもよくなってしまう。腹いせに指先で彼女の頬を軽く突ついた。柔らかい頬の感触が何と無く面白くて何度も繰り返していれば彼女が小さな声を漏らして身動ぎをする。
起きるかな何て思いながら頬から指を離しつつ見ていれば彼女が薄く目を開き身体をゆっくりと起こした。

「起きたの?」
「……」

安定しない動きで視点の合わない瞳をこちらに向けるサイカ。ふらふらした動作とこちらの声への反応が鈍過ぎるのを見て彼女のこれは「起きた」と言うより「寝惚けている」のが正しいと判断する。
これはまた直ぐ寝るな、と直感的に理解した。小さい頃の弟達もこんなのがあった気がしてちょっと懐かしくなった。

「ソファーで寝るからサイカは今日はベッドでいいよ」

意識が曖昧なサイカへ聴こえてるんだか定かではないが取り敢えずそんな言葉を掛ける。しかし彼女はそれを嫌がるかの様に首を横に幾度と無く振り、そのままいつぞやの自分の様にオレの手首をぎゅ、と引き留める様に掴んだ。

「何?どうしたの?」
「……」
「このままじゃソファーの方いけないんだけど」
「……」

離してよ、と言うが彼女は首を横に振り嫌がってはオレの手首を掴む力を少し強めた。この娘は本当に寝惚けているんだろうか。

「じゃあサイカはオレにどうして欲しいの?一緒に寝たいの?」

半ば冗談で言った言葉にサイカはこくん、と無言で首を縦に振った。寝惚けているにしてもふざけてる。驚くオレをそのままに、彼女はオレの手を掴んだまま上体だけ起こしていた身体を再びベッドに沈め、穏やかな寝息と共に眠りに落ちた。掴まれたままの手首を見つつどうするか、と小さく溜め息吐く。まぁ、答えは決まっているのだけれど。

「サイカ、もうちょっとそっち行って。ベッド入れない」

彼女の身体をぐいぐいと壁側に少し寄せて、ついでに枕も奪い取ってから布団に身体を入れ込む。セミダブルのサイズのベッドのお陰か二人寝転がることは可能だ。少し狭いけど。
身体を横にしつつ眠る彼女を眺めた。閉じられた瞳を縁取る睫毛は幼いのに小さく開かれた紅の口元は何処か魅惑的な色が漂っているのに気付いた途端、先程まで正常に近い状態を保っていた心臓が五月蝿く跳ね始める。
眠れない、そう思いながら人の気も知らず夢の中にいる彼女を眺めた。
枕が無いのが落ち着かなかったせいなのだろう。サイカが小さく身動ぎをしてオレの方へと寄ってきたので何と無く腕を伸ばしてやればそのまま勝手に枕にして眠った。ちょっと面白い。
サイカに腕枕をしてやってる方と逆の腕を彼女に伸ばし、何と無く抱き締めてみる。
むにむにした暖かい感触。柔らかなそれは幼かった弟達を腕に抱いた時によく似ていたが少し違う。あれは子供の身体の感触で今抱いてるこれは女の身体の感触だ。女を抱いたことなんて幾度もあるけれど作業的でなくこんなにゆっくり、しかもちゃんと考えながら抱いたことなんてあっただろうか。
そう思いながら小さく息を吸った。微かなアルコールと何処か甘い匂いがした。
アルコールは多分さっきのワインの匂い。甘い匂いは何だろうか。彼女は香水を着けないしそういう人工的な匂いとは違う。菓子類特有の砂糖混じりの匂いとも違う。シャンプーかな、なんて思うがそれも直ぐに違うとわかる。自分と彼女は同じシャンプーを使っているのにオレからはこんな匂いはしたことない。
多分これはきっとサイカ自身の匂いなのだろう。
彼女の柔らかな身体を再度抱き締め、息を吸い込む。再び香った甘い匂いは跳ねた心臓を緩やかに治めていく。
腕に乗し掛かる重みも身体から伝わる柔らかな感触も呼吸する度に香る匂いも酷く心地好くて気持ちが良い。この感覚を何と言うのだろう。

「あ、そうか」

落ち着く、だ。

そのまま少しだけ抱き締める力を強くし、目を閉じる。まだ鼓動が速まるのは止まらない。だが今日はよく眠れるだろう、そう思った。

20121230