「 死にたい 」

 それが彼女の口癖だった。

 彼女は事あるごとに死にたい、そう言う 初めて俺と会った日も言っていた気がする。
 だから俺は、彼女が「死にたい」と言ったら、必ず「死なせない」と言うことにしてる。
 それから、俺の言葉が聞こえなかったかのように手首を切ろうとする…いわゆるリストカットってやつだ。
 だから俺はそれを止める、すると彼女はすんなりとやめる。
 そんな関係がしばらく続いた。

 そして、彼女は死ぬ気なんて微塵もないんだと分かったのは、結構経ってから…。
 これは、推測ではなく結論だ。
 口には出すが行動にはしない、してもせいぜいリストカット程度。
 しかも、カッターで浅く、血がうっすらと滲むくらい。
 本当に、本気で死にたいなら刃物をもっと深く、それこそ肉が見えるくらい深く手首に入れて動脈を切るはずだ。
 でも、それだけでは死ねない。
 水やお湯に傷口をつけないと傷口が血で固まって自殺未遂に終わる。
 と、まぁ、そんなことはどうでもいいとして、
 彼女は死ぬつもりなんて無い……ただ、誰かに構ってほしいだけなんだ、少なくても俺はそう思う。
 だから俺も彼女に常に言う。

「 死なせない 」


 ⇔


「 死なせない 」

 それがあの男の口癖だった

 いや、正確には“アタシに対してよく言うセリフ”だ
 アタシが「死にたい」と言ったら必ず「死なせない」って言ってくる
 口調がどこか義務的でムカつくから、その言葉を聞いたらアタシは手首を切っている
 ほら、最近テレビで聞くじゃん? リストカットっていう言葉
 最初こそ止めに入っていたけど、最近はどうぞとでも言いたげな目で見る
 たぶん、もう気づいているのかもしれない……いや、確実に気がついている

 アタシが死ぬ気なんてさらさら無いということに
 ただ、アイツは唯一、今まで誰にも相手にされなかったアタシのことを気にかけてくれた人物
 それは、嬉しかった
 だけどきっと、いや絶対に、あいつはいつか 
 だけど、その事を聞いてしまったら、口に出してしまったらこの関係が壊れてしまう気がして怖い
 向こうもそれを言い出さないのは、この関係が壊れるのが嫌なのか
 それとも、アタシから言い出すのを待っているのか…

 一番良い解決方法はアタシが自殺まがいな言動を止めることだ
 そうすればアイツも“アタシ”という呪縛から開放されると言うのに、なのに…
 今日も言ってしまう

「死にたい」


 ⇔


「死にたい」

 だからあたりまえのように返す。
「死なせない」
 すると彼女から返ってきたのは手首を切る行為ではなく、言葉。

「ねぇ、気付いてるんでしょ?」
「……何を?」
 言葉の意味は理解している、理解している上での返事。
 彼女の言葉を、確認するように聞き返してやる。
 何のことかなんてのはもう、とっくに分かっている。
「アタシが本当に死ぬ気、無いこと…もうとっくに気付いてるんでしょ?」
「ああ、そのこと?……気付いてるよ」
 あからさまに言うと彼女の眉間に皺が数本生まれる。
「じゃ、何で言わないの? アタシから開放されるかもしれなかったのに……」
「でも君、本当に死にそうだったから…」
「はぁ?」
「自意識過剰かもだけど、君、俺が離れていったら本当に自殺しそうだから」

 自意識過剰ではなかった―否、そんなことは端から分かっていたんだ。
 彼女がもう俺無しでは生きていけなくなっていたことに。
 いわゆる確信犯ってやつなんだ、俺は…ね。
 彼女が何かを言いたげな顔をしたので、その顔を無視して続ける。

「もし、俺がそれを言って、俺と君の関係は無くなり俺が晴れて自由の身となったとしてもだ、俺がいなくなった後の君は、一体どうなる?――君の、俺に対する恋愛感情なんてものは微塵も無いと思う、言ってしまえば俺は君の精神安定剤にすぎない。俺を失った君は確実に死ぬ……精神安定剤を失った異常者は殺されるか死ぬのを待つのみ、のようにね」

 長い、自分でも半ば何を言っているのか分からない説明のような言葉。
 それを次々に紡げば彼女の眉間の皺は数を増した。
 そして、この説明のような質問のような言葉に、彼女は答えるかのように口を開く。
「自意識過剰なんかじゃない……」


「……全部、あたってる」


 ⇔


「……全部、あたってる」

 それは彼の自意識過剰なんかではない
 事実、本当、真実、彼の言うとおりだ
 ただ違うのは、アタシは情緒不安定とかそんな生易しい者じゃないってこと、
 もっと酷い、アタシは依存者である
 アタシは彼に依存している、
 それこそ、本当、酷いくらいに……
 彼に依存してしまっている

 彼がアタシの元から消えれば死ねる……
 でも、彼が消えなければあたしは死ななくていい
 ……あれ? アタシ、死にたいんじゃなかったっけ?
「俺が君の元から離れたら、君は死ぬ……
 君を死なせる気は無いからね……だから、君の元から離れない」
「いつまで……?」
「そうだな、君が死にたいって言わなくなるまで」
 まただ、こいつは私を見てまた笑った―子供をあやすような笑みで
 ……そんなところが嫌いだ
 だけど、いつからかこの男に依存してしまっていたんだ

「じゃあ、一生こないね……」
 彼はキョトンと私を見つめる
 私を見つめていた彼の目が細められ、不意に逸らされる
 その行動が何故か苦しくて息が出来なくなりそうだった

 そして気付く、ああ、分かった…本当はアタシ……


「死にたくない」


 ⇔


「死にたくない」

 苦しそうに、今にも消え入りそうな声で、俯く彼女が漏らした言葉。
 恐らく、この言葉は彼女の本心だろう。
 俯いているので表情は読むことはできないが、声からして。
 それから、体内のものを吐き出すように彼女の口から言葉が出てきた。
 俺は小さく放たれるその声を零さぬよう耳に入れた。
 彼女は途切れ途切れに言った。

「死ぬのはイヤ……」
「もっと構って、」
「……誰か私のそばにいて」
「私を見てほしかった」
「誰でもいい……」
「……気に、してほしかった」
「もう、独りはイヤ……」
 包み隠さない彼女の本心がそこにはあった。

 大丈夫だよ、なんて言える自信はどこにも無かった。
 そんな根拠もない、責任も持てない言葉、言いたくなかった。
 そして、言ってから後悔。
 何でこんなこと言ったんだろうって……。

「ごめんな」


 ⇔


「ごめんな」

 何に、誰に、どうして、謝ってるの?

 けれど、そんなことよりも、言ってしまった、という気持ちの方が強かった
 言ってしまった、本当の思いを、本当の気持ちを
 しかしもう、止める事は不可能に近い
 すべて吐き出したと思っていたのに、更に、まだ、どんどん口から出てくる
 口を閉じたくてもダメ、吐き出したい、気持ちも、弱音も、本音も、全て、全部…
 そう思えば思うほど更に口からどんどん出てくる
「本当は死にたくないっ! もっと生きたいし、友達も欲しい、よ」
「手首でも切らないと、誰も気にしてくれない、と思って、」
「も、どうして、いいか、わから、な……」
「痛みを感じると、ああ、生きてるんだな、って感じる事が出来た……」
 だんだん視界が滲んでくる
 ああ、私、泣いてるんだ、今
 呂律も何もかもが回らなくなってどうしていいかわかんなくて、
 気付いたらとにかく叫んでいた
「もう、ともらちなんか要らないっ! もう何もかもがイヤらの!」

 もう、どれが本当の気持ちかさえも分からなくなってきた……

「もうっ、死にたいよ……」
 思い切り叫んだ瞬間、乾いた音が室内に響いた


「死にたいとか言うな!」


 ⇔


「死にたいとか言うな!」

 気付いたら俺は彼女を殴っていた、いや、平手打ち、が正しい。
 一瞬、何も考えられなくなって、カッとなってやってしまった。
 やった後から来るもの――それは罪悪感と後悔。
 先ほどの、訳のわからない謝罪のときよりも彼女を混乱させるのには十二分らしい。
 目の前の女の子は赤くなった頬を押さえて俺を睨む。

「あ、うぁ、うわああああぁあぁぁあああぁあぁ!!」

 案の定、不安定な彼女の心は更に傾き…とうとう倒れ始めた。
 まるで、母親においていかれた子供のように、
 床に座り込んで、声を上げて泣き出した。

 そこからは、『情緒不安定な女の子』ではない、ただの『弱い女の子』だった…。
「なんで、なんでいじめるの……」
「だまして、た……私も、わ、悪かった……けど……」
 嗚咽交じりのその声は酷く細かった……。

 そしてしばらく彼女の嗚咽は止まらなく、俺は何をしていいのか分からなかった。
 彼女を安心させられる言葉も動作も物も、何も知らない。
 そこで知った、俺は彼女のことを何一つ理解していない…。

「……もう嫌っ、アンタなんかいらない!」
 涙をぬぐって逃げようとする彼女の腕をとっさに掴む。
「――っ!」
 そして気付く事実、
 この人はこんなに痩せていたのだろうか。
 掴んだ手首は細く俺の親指が中指の第一関節まで届く。
 彼女が今までリストカットをしていた手は……手首はこんなにも細かったのか。
 力を入れたら簡単に折れてしまいそうだ

 あんたなんか、あんたなんか……そうつぶやく彼女の体から力が無くなっていくのが分かる。
 俺はぐったりとうな垂れる彼女の体を支える。
 掴んだ右手は何があっても離さないように…。
 見つめた瞳はそらさないよう…。
 そして、今の状況では逆効果かもしれない言葉。

「お前を死なせない」


 ⇔


「お前を死なせない」

 いつもかけられる言葉と大差ない、内容はいつもと同じなのに……
 そしてそこで私の視界は暗くなった、意識もそこからない

 ただ、なぜか、酷く安心したことだけは感じていた……

「……」


 ⇔


「……」

 彼女がぐったりしたのを見て、俺は酷く焦った。
 彼女は死んでしまった? もう戻ってこない?
 頭の中を駆け巡る思い、
 でも、冷静に考えたら、気絶しただけなのに……。
 いつもの俺ならそんなことはすぐに分かる、と思う。

 それから彼女を抱き上げて病院まで走る。
 気がついたら声に出ていた。

「死なせない、絶対に……」
 

 ⇔


「死なせない、絶対に……」

 誰かがそう言っていた気がする
 こんなこと言うのは、彼しか、アイツしかいない……
 
 目を開けると真っ白な天井、視界の端には細い無数の管
 管は、天井にかかっている液体入りの袋から、私の腕につながっている
 薬の匂いが鼻先を掠めて、ここが病院であると気づいた……
 ふと、右を見ると椅子に座った彼がベッドに寄りかかって眠っていた

 よく見ると、泣いた跡がある
「あ、目が覚めた?」
「あの、この人……」
「彼ね、昨日貴女を抱えて走ってきたのよ」
「……」
「後は任せて帰りなさい、って言っても『俺のせいなんです、起きるまでここにいます』って聞かなくて…」
 先生を呼びに行くからまっててね、そう言って看護婦さんはいなくなった

 彼の後頭部をそっと撫でると少し身を捩る

「……ありがとう」


 ⇔


「……ありがとう」

 夢の中で彼女が笑っていた。
 すごく、安心したのを覚えている。

 数日後、彼女は夢の中と同じ笑顔だった。


 結果的に、分かったことは2つある。
 1つは、『死にたい』そうあからさまに言う人ほど本当に死ぬ気はないんだということ。
 もうひとつは、俺もまた彼女に『依存』していたということ。



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