立ち入り禁止になっている屋上への扉は内鍵で、摘んで手首を捻るだけで簡単に開くことを知っていた。
 重たい扉を開ければ開放的な屋上と夕日が私を迎えた。もうこの綺麗な夕日見ることはないのだと思うと少し寂しいが未練はない。

 転落防止のフェンスが無い代わりに私の胸の高さまである塀は、普段運動をしない私には登るのが少しつらい。
 でも普段の生活の方がもっとつらくて苦しいことを知っているから登れる。
 風は穏やかで煽られることなくゆっくりと塀の上に立てば、足がすくみそうになるくらいの高さ。
 ここから足を踏み外せばあとはものの数秒足らずで死ねる、あっけなく、簡単に。
 爪先だけ塀からだして、遺書の場所や内容に不備がないかを最期に確認、うん大丈夫。

「何、やってるの?」

 私以外誰もいないはずの屋上で声がした。生徒のほとんどが帰宅しているこの時間帯を選んだのに、なんで。
 首だけで斜め後ろを見やれば知らない人が私を見ている。真新しい制服に薄茶色の髪の毛をした男の子。ネクタイの色から見て私と同じ一年生だろう。

「そんな所にいたら危ないよ」
「今から死ぬんだから、これでいいの」
「駄目だよ」

 強い口調で言う彼に対して、私は何が駄目なのか分からず首を傾げた
 ここから落ちるのは学校に迷惑がかかるとでも言いたいのだろうか。こんな学校いっぱい迷惑がかかってしまえばいい。
 首が疲れたので体ごと後ろに向ければ私が自殺を止めたと思っているのか彼の顔が明るくなった。

「そうだ、自己紹介がまだだったね。僕は一年二組の如月太陽。サッカー部に入ってるんだ」

 何を思ったのか彼は自己紹介を始めた。塀の上に立ったまま彼の話を半ば呆れながら聞く。
 如月太陽という名前は聞いたことがあった。この学校始まって以来の何かの天才児らしいと聞いていたが、体が弱いらしく入退院を繰り返していたのだとか。
 本人がサッカー部と言っているのできっとサッカーの天才児なのだろう。サッカーの話をする彼の顔はとても楽しそうだ。
 そして、彼を見るのはこれが最初で最後になる。

「君は?」
「……私の名前聞きたいの?」
「うん、教えてくれる?」

 素直に私の名前を言えば如月くんは良い名前だねと笑みを浮べる。今の私にはその笑顔が眩しすぎたんだ。
 そしてやはり彼は私のことを何も知らないみたいだ。

「私のこと知らないんだね」
「? 君のこと……?」
「自分で言うのもあれだけど、私結構有名なんだよ?」
「えっ、何か凄い子だったの!?」

 自分の方が有名人なくせに、きっと部活動か勉強面で何か凄いことをした人間だとか思っているのだろう。彼の無邪気さが羨ましい。

「違うよ。私、虐められてるの」

 途端に如月くんから笑顔が消える。私は出来もしない手品のネタ晴らしをするみたいな不思議な感覚だ。

 この学校の生徒で知らない人はあまりいないくらい私は虐められっことして有名人。一年生だけじゃなく一部の二年生と三年生にも虐められているから。
 他の生徒は庇ったら何をされるか分かったもんじゃないと見て見ぬ振り。それが正常な反応だ、同じ立場なら私もそうしてたと思う。
 だって中学生がたった一人で大人数を相手に出来るわけがない。たった一人の知らない女性とのために、無理がある。
 もちろん先生に助けを求めたこともあったが教師も全員見て見ぬ振り。つまりは学校公認の虐めに成り下がったということ。

「私が何をされていたか、知りたい?」

 未だにどう反応していいのかわからず否定も肯定もせずただ困ったように私を見つめている彼に、耳を覆いたくなるような話を始める。

 最初はただ単純に無視され続け、気付けば私の存在そのものが無いものとされていた。勇気を出して話しかけても何の反応もされず誰も私を認識してくれない。
 きっかけも、理由なんてのも分からない。私にも非が有ったのかもしれないが今となってはあいつらも理由なんてどうでもいいのだと思う。ただ自分たちより下の立場の人間を作って虐げられればそれで。
 そして行為はエスカレートしていった。理科の実験のときには火のついたアルコールランプで腕に火傷を負わされた。ミミズの入った水を飲まされたこともあったっけ。
 上級生には性的暴行もされ、心身ともにぼろぼろで、今生きているのが不思議なくらい。それも今日で終わりだけど。
 両親には言えなかった、当然お兄ちゃんにも、言えなかった。いじめられている自分が惨めで、先生にも周りの人にも見捨てられた自分の存在を知られたくなかった。その結果がこの有様だ。

 聞きたくもない話を黙って聞いてくれた如月くん。唇の端を噛んで耐えている彼は酷く後悔しているようだった。

「……ごめんね。つまらない話聞かせちゃって」
「ううん、僕の方こそ、辛いのに話させてごめん」

 どうして彼は謝るのだろう、彼はいじめに参加していた訳でもなくただ話を聞いてくれただけなのに。どうして彼はあんなにも泣きそうな顔で私を見ているのだろう。
 つい数分前に会ったばかりの私なんかに同情してくれているのだろうか。
 もし、如月くんが私なんかのために泣いてくれているのだとしたら、私の人生も少しは無駄じゃなかったのかもしれない。

「私なんかのために泣いてくれるの? もし、そうだったらありがとう」

 でも反面、如月くんには泣いてほしくないと感じた。彼には笑っていてほしいと思ってしまった。
 彼が心から笑うときはきっとその名前に恥じないくらい、暖かい笑顔なんだろう。

「……もっと、早く出会えてたら、変わってたのかな」
「今からやり直そう。僕が守るから、だから……!」
「ありがとう……。最期にあなたと話せて良かった、ありがとう如月くん」

 はは、如月くんにはお礼を言ってばっかりだな。それでも、さっき初めて会ったばかりの私なんかに、同情してくれている彼。私は感謝しても仕切れない。

 くるりと如月くんに背を向けて大きく深呼吸、少し上を見上げて目元が濡れているのを誤魔化す。
 それだけで如月くんに伝わってしまったのか、彼が焦っている様子が背中に伝わってくる。息を飲む音が聞こえた気がした。

「駄目だ、死ぬな、止めろっ!」

 何を言っても今さらもう遅いんだよ、私は死ぬ。そう決めたのだからもう揺るがない。
 彼が私の足を掴む。パンツ見えてるなぁなんて思いつつも彼の手をどうするか考えた。
 私なんかに話しかけてくれて、守るだなんて私にはもったいない言葉をくれて、ありがとう。

「ごめんね」
「!」

 そう呟いて如月くんの手を強く蹴る。反射的に手を離してしまった彼は、まずいという表情をし、再び私の足を掴もうと手を伸ばす。

「触らないで!」
「なん、で……?」

 私は大きな声を出してそれを静止する。彼はどうしてよいのか分からない手を、さ迷わせながらも必死に私を説得した。

「今からでも遅くない、だから……!」
「もう、遅いよ」

 最後の最期まで如月くんの笑顔を見ること叶わなかった。その代わりに彼の大粒の涙が落ちるのを見た気がした。
 全ての自殺志願者に如月くんのような子が現れたら良いのに、そんな上手く出来てないから人生のつらいところなんだ。

さよなら人類

 彼がまだ中学一年生のときのはなし。


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