『アレ』は笑顔だ。いつだって。



そう心の中で呟いたのは何度目か。
以前はそれが好ましく思えていたのだけれど、私がそんなことを思うことはもう二度とないだろう。だってアレはニンゲンじゃない。

唯一自由に動ける眼を右へ。映るのはアレの腕が私の頭に乗っている光景。
絶えず私の頭を撫で続けているソレは何を考えているのかなんてわかりはしない。わかりたくもない。

人間じゃない生物の、天人なんかの気持ちなど知りはしない。



「ン?どうしたの」



私が見ていたことに気づいたのかその笑顔を此方へ向ける。
コレの浮かべる笑みはまるで仮面のようでいて実に本心のままを写しているような、そんな不思議なものだ。

気持ち悪くて仕方ない。



何故こんなにもニンゲンか天人かだけで感情に差異が生まれるのか自分でも奇妙だと思う。が、どうしようもなく私は天人が嫌いなのだ。ニンゲン以外を嫌悪しているのだ。

……だというのに欺いて近づいて、傍にいたコレ。気づいたら一緒にいることがなんとなく当たり前になるくらいには親しくなっていた。アレの異常性は理解していたけれど人間ならば許容できたしある程度は心を許していたはずだった。間違って殺されてしまってもまあいいかなと思うくらいには。
だからこそ、私がどれだけニンゲン以外が嫌いかを理解していただろうに。それでもずっと隠して共に居て、ある時、つい先ほど、なんてことないように全てをぶちまけたニンゲン以外。

その瞬間の世界が壊れたような感覚は、あの音は、決して表現できないほどにひどいものだった。誰一人としてわからないだろう嫌悪と吐き気と絶望とドロドロした汚くて黒い何かが渦を巻いて、気づいたらアレに向かっていた。……案の定の返り討ちだったけど。

冷静に鑑みれば私も大概異常であるということは重々に自覚しているのだけれど、それでも無理なものは無理で。アレをニンゲン以外のナニカだと頭に届いた瞬間に今まで築いた何もかもがどうでもよくなり嫌悪と絶望に代わってしまったのだ。

現に、今だって。



「あれ、聞こえてる?」



かなりの至近距離に顔が近づけられ、霞んでいたはずの視界にはっきりとアレの顔が写った。思わず気持ち悪くなって顔を下に向ければ顎を持ち上げられる。
ニンゲン以外になるまでは好きだと思っていた、滅多に見えない綺麗な青に射抜かれた。珍しく瞳が合う。

……笑ってない?



「ほら、起きてよ。俺に見つめられたくないでしょ?俺に何て触れられたくないでしょ?だったら抵抗してよ。ねえ、ねえってば」



今までとなんら変わりない軽くて明るい声でそんなことを言われる。と同時に腹部やのど元、それから両手両足に鈍痛。体の内側が軋んで壊れる音も。

そんなんじゃ覚めるものも覚めないだろ、とどこか冷静な頭がそんなことをツッコんでいるも気持ち悪さがやっぱり勝る。
痛みより吐き気。喉にまで来ているそれを無理やり飲み込んで、最悪な青から逃れるように目を閉じた。



「……ふーん。そういうことしちゃうんだ。じゃあ、」



そこまで聞えて、突然髪を引かれ持ち上げられる嫌な浮遊感。
瞬間、ぐちゅりと体内から――正確には口許から水音が響いた。全身ボロボロのこの体で抵抗などできはしない。


それはキスというにはあまりにも不快で不愉快な代物で、噛みつくにしてはあまりに生温い最悪な行為。
粘着質な音が延々と耳に響き残響し続ける気持ち悪さは、もう外から聞こえているのか自分の内から聞こえているのかがわからない。吐き気がする。飲み込めそうにない。でも放されることはない。


もう開く気はなかった瞼をもう一度だけ無理やりあげると、行為を続けながらこちらをじっと見つめる青い瞳に私が映っているのが見えた。愉悦も快楽も何もない。
それなのに視線が交わされたと同時により一層激しくなるソレ。

ぐちゅりともぬちゃりともつくような卑猥な水音。

通常のソレでは呼吸するために時折口を離すものだけれど、それすらない。それどころか時が経てば経つほどにより深く、激しくなる。
口内を這いずる舌は私の物を絡め取る。歯をなめられ、緩く吸われ、何もかもを凌辱し尽くしていく。



「…っはあ。ウン、やっぱりイイねえ」

「っ……、……」



暫くしてから頭を押さえていた手が離された。支える気力もなくそのまま身体が崩れ落ちる。打ちつけた痛みはあれど、アレとのあんな行為からの解放感の方が大きくて。

横に倒れたままどこともつかない空間を見つめていると蹴り上げられた。そのままひっくり返って仰向けになるとアレの姿が見えた。
死へと向かっている所為かどうにも視界が霞んで仕方ないというのに、あの青だけははっきりと見えている。……かつて、私の好きだった青。



「……もう本当に抵抗できない?」



上からノイズ交じりにそんなことを言われる。聴覚も鈍ってるようだった。
ザラザラとした感触は不快だけれど、見え辛く聞き辛いというこの状況はアレが天人であるという自覚を鈍らせてくれる。

そのおかげか、いつかどこかで少しだけ憧れた神威に見えるのはいいこと、なのかなあ。
結局は嫌悪に向かってしまうのだけれど。それでもだ。



「聞こえてるのかな?……まだ死んではないよね」



ノイズが酷くなりつつも更にそう聞こえて少しだけ首を動かす。神威の、方を向く。
やっぱり見えるのは普段着てる服のぼんやりした色と瞳の青だけで、それが私を神威として認識させる。

動いたことを肯定として見たのか、青がもう一度私を捕えていつもの口調で話し始めた。
いつもと違うのはその瞳が見えているのか否か。



「どうせ最期だからさ。ちょっとだけ、ちょっとだけ言いたいんだよ」



ゆっくりと私へ近づいて、目を合わせるようにかがむ。
その時にはもうほとんど飛んでいて近づかれてもほとんど見えてはいなかった。


ノイズが大きくなって、聞こえない。




「…俺はね。珍しく、本当に珍しく弱い君のこと結構気に入ってたんだよ」



なんでだろうね。弱くて脆くて惨めで、俺の求めてるのとはかけ離れてたのに。
まあ結局はこうなっちゃったんだけど。

仕方ないよねえ。君はニンゲン以外が嫌いで、俺がニンゲン以外だったんだから。

ああ、でもさあそれに関しては何だか……ウン。なんかこう思うところがあるんだけどさ。よくわかんないやコレ。




ぼんやりする視界の中で口元だけが動いてるように見えたけれど、それまでだった。
多分このまま放っておかれても死ぬんだろうなと白く霞んだ視界と思考の中思う。

神威が何を言ってるのか。アレが何を言ってるのか。
どちらにしたってどうでもいいのではないかなんて思い始めたあたり本格的にキてるのだろう。何もかもがどうでもよく感じてくる。



「……ネ。もう聞こえてないよね」



何かをまた言ってるような気がする。



「多分、俺君のことが好きだったのかもねえ」



ノイズしか聞こえない。



「だから、さ。なまえ」



青だけが揺らがない。



「そのまま死なせてなんてあげないよ」



揺らがないその青がゆっくりと近づいてくる。不思議とノイズが少し晴れた。



「君には最高の殺し方シてあげる」



ね、―――。



最期の最後で晴れたノイズ。届いた言葉は希望か絶望か。




結局私はなすがままでしかないのだけれど。






(キスが死因なんて、ロマンチックだと思わない?)










リハビリ。神威は愛とか恋とかしなさそうだけど、もししちゃったら自覚はしないと思う。そういうとこ鈍そう。



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