がしゃがしゃ
屋上の錆びた鉄柵が私の体重によって不規則に揺れる。
登っている目の前のものが行き成り後ろに倒れたりしないようにと無駄な心配をしながら乗り越えようとする。
きっと端から見ると無様な動きをしているだろう。
けれど、痛いのは嫌いだ。
「っと…」
随分と時間をかけて一番上まで登って一息。一般平均よりも迚非力な私にとって登るのは一苦労だ。
さあ、あとは落ちるだけ。
そのとき、ふと嫌な予感がして周囲を見る。
……………誰も居ない。大丈夫だ。
誰も居ないことに安堵して、登るときと同じように緩慢な動作で落ちていこうとしたとき。
「矢っ張り今日は此処だったか!僕には莫迦で愚かな君の考えなんて手に取るよりも簡単に分かるぞ!
さあなまえ、下りろ!!」
いつもの声が入り口から聞こえたが無視。一瞬でも気をそちらへ逸らせば落ちることがまた不可能になることを経験上知っているから。
そして今回はある程度入り口から距離がある場所を選んだから、幾らあの人でも止められないだろう。
私は今度こそ飛び降りてみるんだ。
何の躊躇いも無く脚で鉄柵を蹴って飛び降りた。
………飛び降りた、筈なのに。
「何で私は榎木津さんに抱締められているんでしょうか。落ちましたよね」
「僕が止めたからに決まっているだろう」
「……よく止められましたね」
「僕に不可能などない!」
そう云って笑う。
幾らこの人に対して苛々していようと綺麗な顔立ちと、声の所為で半減されて言い返せなくなる。私、結構面食い。
私を抱締めたまま放さないけれど何時もの事だからそのままにして、後ろにいる榎木津さんを首だけ回して見上げる。
「……榎木津さんは私のこと嫌いなんですね」
「嗚呼、嫌いだ、嫌いに決まっているだろう!なまえは無能で莫迦で、何より愚鈍だからな!!」
毎回繰り返す愚かな問い。
そして毎回のように返される、呆れを超えて納得しそうなほど簡潔な、実に榎木津さんらしい答え。
しかも散々罵られる。
憎むようではなく笑いながら云うのも実にらしい、というべきか。
何度やっても同じ答えであると分かっていても何故だか毎回問う。やっぱり莫迦なのかもしれない。
そして、自分に疑問をもつと同時に納得も(一応は)する。
嗚呼矢張りそうなのか、と。
嫌い以外に毎回毎回飛び降りる邪魔をする理由など思いつかない。
でなければ、榎木津さんは私に構うほど余程暇なのか(実際暇なのかもしれないとは時々思う)。
死にたいと思っている訳では無く純粋な好奇心に衝き動かされている為、ある程度引き止められればそのときは止める。
けど、それでも完全に「飛び降りてみたい」という感情は霧散しない。寧ろ更に興味が湧く。
だから毎日飛び降りようとしているのに、毎日止められるところまでが日課になってきている。
「僕に毎回止められているのだからそれは必然だ運命だ!どれだけ愚鈍ななまえでもわかるだろう、いい加減諦めろ!!」
「榎木津さんが諦めれば好いじゃないですか」
「何故僕がなまえの為に諦めなければいけないんだ!」
「いや、まあそれは正論ですけど」
「それなら、」
「……私に一々付き合う理由も無いでしょうに」
私にとって一番の疑問。
榎木津さんが私なんかに構う必要性は何一つ無いということ。
まあ、理由なんて無い行動のほうがこの人には多いのだろうから考えるだけ無駄だと思っているのだが。
けれど、意外にもその言葉は榎木津さんに何時もと違った反応を齎した。
「……確かに無い。理由なんて」
「なら、」
「僕が君に死なれたくないだけだ」
急に真剣味を佩びて雰囲気が変わる。
普段とは全く違った雰囲気。声色は静かで綺麗で嫌によく響く。無表情に近い表情はいつもと違う感情が表れているように感じる。
ぼんやりと見ていた榎木津さんの鳶色の瞳さえ、先程迄と違う。
けれど、何故か。
「……取敢えず、今日も榎木津さんに止められてしまいましたね」
「ふんっ、僕に勝とうなんて1億…いや、10億年早いな!!」
「果てしないですね、榎木津さん」
真剣な雰囲気を変えるようにいつもの流れに持っていけば榎木津さんも乗ってくれる。
先程までの榎木津さんは何処へやら。
「帰るぞ、なまえ」
「そう云いながら逆方向に行くの止めてくれませんか」
「何を云ってる、帰ってるじゃないか」
「いや、榎木津さんの家と私の家違いますし」
いつも通り榎木津さんに振り回される。
……屹度今日も帰りは遅くなるなぁ。なんて思いながら何だかんだでついていく。
真剣な榎木津さんを見て、自分が何を想ってこんなことをしているのか初めて分かった気がした。
だから、きっとこれからも私は死のうとするんだろうなと頭の片隅で思う。
(何やってるんだか)