電話が鳴った。




こんな深夜に電話をかけてくるような非常識な相手は一人しかいない。見なくても誰からかはわかる。……ついでに、電話の内容も。

けれど出なければ後々面倒なことになるのもよくわかっているから、と言い訳じみたことを思いながら通話ボタンを押した。



「…………臨也」



小さな声で俺の名前が呼ばれる。
それでほぼ察しがついた。



「……臨也」



もう一度、なまえが俺の名前を呼ぶ。
聞こえない様にため息をついて、彼女が望む言葉を発する。



「どうしたの」

「んー、あのね…………またやっちゃった」



もう一度溜息。予想しておくことと、実際に言われるのとでは別だと心底思う。

あははは、だなんて力無さげに笑う声が聞こえて少し苛々する。



「今ね、家にいるから」

「……そう」



だからね。とそのまま彼女の願いを続けられて、予想しておいても無駄だとまた思う。

どれだけ想像していようと本物の彼女の口から発される言葉には、叶わない。……良くも悪くも。



「……今から行くから、待っててよ」

「うん、早く来て……」



返事をしっかり聞いてからプツンと通話を切る。ふと見た時間は午前3時42分。


はあ、ともう一度だけ大きくため息をつく。

それから、いつもの愛用のコートを手に取り部屋を出た。















すぐになまえの家に行けば、リビングで座っている彼女の姿があった。
すぐ近くの机の上には睡眠薬の入っていた袋。



「あははは、死ぬかな私」

「……その程度の量じゃ死なないよ」



俺を見つけて第一声がそれだ。しかも弱弱しく笑いながら。
そんな言動が俺をイラつかせるとなまえは全く分かってない。





つい三十分ほど前に市販の睡眠薬を買ってすべて飲み干したと携帯越しに言ってきた彼女。


死にたいのかなんて馬鹿馬鹿しすぎて言ったことがない。
ただ単に、構ってほしいだけだと寂しいだけだということを俺はよく知っているから。

屈折しているなりに(自覚はある)人間を愛して観察し続けて。なまえのような子は何人も観てきた。
その本質はいつだって「構ってほしい」「認めてほしい」「愛してほしい」といった自己愛にしか満ちていないのはとうの昔によく理解している。



彼女が「臨也に見捨てられたくないから」なんて言って毎回自分を傷つけるのも、結局は「俺」ではなく「誰か」に見捨てられるのが怖いだけで。

自分に構ってくれているのが今は俺だけってだけで。


決してなまえが俺のことを考えているわけじゃないのは、もうずっと知ってて自分に言い聞かせていることだというのに。






そこまで考えてついため息をこぼしそうになるのを抑え、無言でキッチンへ行く。

キッチンにはコップが無造作に置かれていた。それを手に取って、冷蔵庫を開ける。
もう慣れきっている為、人の家の冷蔵庫を開けるのに躊躇がないのは確実に良くないことだ。


軽く中を見渡して見つけたミネラルウォーターをコップと反対の手に持ちドアを閉める。

片手にコップ、片手にミネラルウォーターのペットボトルを持ったままなまえの元へ戻った。



「ほら、コレ飲んで」

「ん……」



差し出した水を受け取って口に流し込んだ。
なまえの喉がゆっくりと上下して、コップの水が少しずつなくなっていく。

飲み干すのを待ってからコップを受け取り、注いでからまた差し出す。



「はい」

「……も、いい」

「よくない。飲んでよ」

「いい、ってば……!!」



ほんの少し語尾が荒れる。
差し出したコップを突っ返されて水が少しこぼれた。


イライラが増しそうになるのをグッと抑えて、座っているなまえに視線を合わせた。

肩がはねる。



「飲まないと吐けないから、飲んで」

「吐くのもやだ……」

「それじゃあ辛くなるだけだけど、いいのかい?」

「……それも、やだ……」

「……じゃあどうしたいのさ」



つい呆れたような声色を出してしまい、先ほどよりどう見ても大きく肩をはねさせた。

……嗚呼、またやってしまった。



「どう、したいかなんてわかんっ、わかんないんだってば!!私にだって知らないの!!わかんないの!!だって、私だって…こんなことしたくてやってるわけじゃないくて、臨也が、臨也に…、だからっ!!」



堰を切ったように溢れ出すなまえの言葉。台詞とさえ言えないほどに支離滅裂で屁理屈で詭弁。全く通じない。





そんなある種暴言とも取れる言葉を普段通りに流していると、薬が巡ってきたのか急になまえがぐったりとした。

さっきまでの言葉が中断される。



「……だから言ったでしょ。ほら、飲んで」



一度溢れさせてしまったからもう呆れを隠さずに接して、コップをまた渡す。
けれど、尚も頭をふってそれを拒んだ。



「もういいってば…!」

「こっちはよくない」

「私はいいんだってば!!」



無理矢理体を起こして立ち上がり、俺の手にあったコップを手で振り払う。ガシャンと音がして砕けたコップと、水が床に散らばる。



「もう帰ってよ…!」

「……呼んだのはなまえでしょ」

「私は、臨也なんて呼んでないもん…!!」

「電話越しに『早く来て』何て言ったのは誰だったっけ」

「そん、なの…覚えてない!!」

「俺は覚えてるけど?」

「っ…!!知らない!!!もう臨也なんてっ!!!」



瞳に零れそうなほど溜まった涙が、なまえの表情を演出する。
別に今更泣かれようが喚かれようがあまり心が動かない。


しかし、もっとひどいことになっては困るしそもそも、彼女は混乱で麻痺しているだけでまだ回復なんてしていないんだ。

そんな子を相手にいつまでも言い合いしているわけにはいけないと、イライラの中でも何とか思う。
だから喉奥まで出かかっている言いたいことを堪え見つめ返すだけでやめた。


しかし叫んだはいいが、何も言い返さなかった俺を見てなまえは更に顔をこわばらせてしまった。

大きく目を見開いて涙をこぼれさせる。ぐしゃりと表情が歪み、震える。



「!!!臨也が私のこと見捨てた!!捨てた!!やっぱり結局は見捨てるんじゃない!!」

「…見捨ててない」

「見捨てた!!呆れて、私なんて馬鹿だって思った!!思ってる!!!」



確かにそれは思わなくはない。そこまでは思ってないけどね。でも言ってないし、まず見捨ててなんてないし。

イライラする感情が冷静な自分を上回っていく感覚がよくわかる。


それでも何とか抑えて抑えて抑えて、これ以上の面倒事を避けようとしていたのに。





「どうせ面倒で邪魔な存在なだけでしょ私なんて!!
結局臨也にとっては私がどうなったってどうでもいいんでしょ!!!?」



ぷつん、ときた。何かが切れた。

言葉にするなら今の俺はまさにそんな感じ。


両腕がなまえを強く押す。何の身構えもなかったなまえは当然、床に思い切り倒れ込む。

あ、いい音。頭打ったかな。



「なっ……!!!」



いきなりされたことについていかないらしい。まあ、当然の反応だろう。


その倒れた状態のなまえの腕を無理矢理引っ張る。痛いだのなんだの後ろで喚いているけれど今の俺には何の意にも解さない。

関節が外れそうな勢いで思いっきり引きずって、行きついたのは風呂場。


ガラリと開けてそこになまえを放り込んだ。



「いざ、臨也…!!?」



困惑した目で見つめるなまえを放る。困惑している今の彼女はきっと動かずに固まっているだろう。
さっき机においてきたペットボトルだけを手に風呂場へ戻る。

……うん、やっぱり変わらずそこで見ている侭だ。混乱した状態の彼女は面倒だが、わかりやすくもある。



「な、にして……」

「いいから君は黙ってなよ」



ああ、煩い。黙ってされるがままになってればいいんだよなまえは。
普段から我儘ばかりなんだから、それくらいはいいでしょ。許されるよね。


軽く起き上がっていたなまえをまた思いっきり押し倒す。絶句した表情を作っている彼女に更に馬乗りになる。
片手にはさっきのミネラルウォーター。ふたは空いたまま。



「い、ざや……?」

「何」



たった一言。一単語発しただけなのにそれだけで黙った。

揺れた瞳を見下して、苛立ちと呆れ、それと言い得ない感情が募る。

何でこんな状況になってまでなまえの瞳には俺が映っていないのか。


咄嗟に首元に起きそうになった手を戻してゆるゆると首を横に振る。
今はとりあえず、やるべきことをしなければ。



「なまえ、口開けて」

「え……?」



反射的なのか反応を返す為に空いたなまえの口にペットボトルを突っ込んだ。それから、思いっきり傾ける。

苦しそうに目に涙を溜めるが口に入ったままだから咳き込むことさえできない。対応しきれず目を白黒させたまま咥えていたが、含み切れずに水が口の端から零れ落ちていく。


あ、そういえば。



「含むだけじゃなくて、ちゃんと飲みなよ。そうしないと意味がないからね」



反応なんて返せないだろう状態の彼女にそういうと、恐怖からか案外素直に水を嚥下していく。

それでも飲みきれないものは口の端から風呂場のタイルへと流れていった。



「げほっげほっ!!、えぅっ…!……げほげほっ!!」



全部の水を流し込んでからペットボトルを口から話すとすぐに咳き込みだした。
まあ、当たり前か。


苦しそうに何度も咳き込むなまえを横目に見ながらペットボトルを投げ捨ててコートも外に脱ぎ捨てる。ついでに袖を捲る。



「な、んで………」



何でってなんででもだよ。それこそどうでもいいでしょ、なまえには。

熱くてしかたないのに冷めて感じている自分もいてどこか可笑しい。身体は激情にゆだねたままだけど思考だけは熱さを持ちながら妙に冷静で。

冷めた自分からしてみればなまえより今の俺のほうがおかしいと思っているようなんだけど。まあ気のせいでしょ、そんなの。



思い立ったことを実行しようと今度はなまえをうつ伏せにして押し倒す。

それから軽く状態を反り上げさせて口元に手を持っていく。
さっきの水ともともとの薬が相まってなまえはほとんど抵抗できていない。



「薬、吐かないとね」



そう言って(あげて)から口に指を2本突っ込む。それから 喉の奥へ奥へと進めてから指を動かす。動かす、というよりも掻き出すように、そして言うなら凌辱するように。



「うぐぁ……うおえええええっ!!」



漫画のような声が漏れる。それからまた咳き込む音。
なまえの口からは、唾液と胃液、それと体調を悪くしているであろう原因の白いものが吐き出される。



まだまだ足りないかな。

リビングに捨てられたままになっていた薬の包装紙の数を思い浮かべてからまた指を動かす。
いくら致死量に満たないとはいえ、あの量は多い。全部吐き出させないと。



「おぐっ……ぉ、えっ……!!」



掻き出すたびに口から呻き声が洩れる。さっき吐き出した液体のおかげか始めよりも指が動きやすい。

それから動かすと同時に白い固体も吐き出される。ちらと見るとどう考えても一般的ではない量、まあ当たり前かな。





ずっと吐いているうちに白いものの量は段々少なくなり、胃液だけが出るようになったところで漸く指を止めて口から抜き取った。
それから適当に後を片付けて、ぐったりとしているなまえをまたソファに寝かせる。

それだけ経った頃にはぐったりしながらもずっと泣き続けていて、嗚咽とすすり泣きの声が聞こえるから多少回復したらしい。吐いたことが効いたのかもしれない。


俺はといえばそのまま立った状態でなまえをじっと見つめていて。
あれだけしておきながらイライラは募っているままどころか膨れ上がるばかり。



「…………なまえは、」



それでも怖がらせれば面倒だからと静かに静かに感情を抑えたフリをする。

見つめたまま声を発するとなまえの肩がびくっとはね、おびえた目を向ける。



「なまえは、俺のことなんて全然考えてないよね」

「…………」

「あれだけ何度も何度も言ってるのにこんなこと繰り返してさ。
君は少しでも俺のこと、」



考えたことあるの。


初めてなまえに本音をぶつけて。けどどうせ無駄なんだろうなとも思って。

あまりに俺らしくもない言葉だと考えながら、きっとなまえはそんなこと知らないんだろう。そう思うとまた怒りと、何とも言えない気持ちでグラリとくる。



「だって、」

「だってじゃない。考えたことあるのかって聞いてるんだけど、俺」



本当にらしくもなく、俺はこんなにも



「だって、……だって臨也はいつか離れていきそうで……!!私不安になるの!!!
今までだってそうなんだからこれからもそうなの!!臨也もきっと本当は私の事なんて考えてなくて私のことなんてどうでもいいって思ってるって思うの!!!私は、臨也に見捨てられたくなくて!私が、私はっ!!」







なまえのことばかり考えているっていうのにさ。





ぐさりと返答になってないなまえの声と心の声が耳につく。
ずっと私は、私がばかりで俺の事なんてちっとも見てはいないなまえの言葉と瞳が頭に響く。

ぐわんぐわんと脳内に残響するそれは俺が思考を開始する前に言葉になって吐き出された。







「っの馬鹿女!俺はなまえのことちゃんと考えてるのに!!なまえは自分のこと以外考えてないんでしょ!!!」



初めて俺が声を荒げる姿を見たからか驚いて涙がこぼれた。
けれどすぐになまえも声を張りあげる。


泣いていたって自分が大切なことに変わりないから。
俺のことなんて考えていないから。

わかっているはずなのにそれでも激情のままに叫び続けている俺はなんなんだろう。



「だって臨也はいつか離れていくでしょ!!?見捨てるでしょう捨てるでしょう!!!?」

「だからそれはなまえの思い込みだって言ってるでしょ!!勝手な妄想なんだって!!!」

「私も臨也のことちゃんと考えてるよ!臨也のこと大好きで大事で……!!」

「じゃあなんで俺のこと、俺が傷つくとか苦しむとか考えないのさ!君がそういうことして俺がどう思うか考えてないでしょ!!」

「ち、違っ」

「違わない!!!!
結局なまえの方が俺のことなんかどうでもよくてどうだっていいんだろう!!?俺以外の人でも君を心配して構ってくれる人ならどうだって誰だって構わないだけだろ!!!」

「わた、私は別に誰でもいいってわけじゃない!!」

「そんなこと言うなら君の行動説明してみてよ!!ほら!!!」

「だ、って私は覚えてないの!!どうしてあんなことしたのかおぼえてないの!!!」

「今更そんな言い訳…!!」


なまえのことも自分の事も忘れてとにかく叫んだ。

冷静なはずの自分はとっくの前にどこかにいって、今はもうなまえのことしか頭になくて。



「とに、かく私はそんなつもりでやってるワケじゃ…!!」

「君がそう思い込みたいだけだろそれは!!君は他人の気を引きたいだけでそれが誰であろうといいんだよ!!!
俺はっ!!俺は、なまえのことを!」









「なまえのことだけを愛してるって言ってるのに!!!」



もうほとんど意味など持っていなくてそれでも言いたくて仕方ない言葉。

叫んでから肩で息をしていると、返す言葉も忘れてなまえは驚いたように俺を見つめていた。



「いざ、や……なんで泣いて……?」

「五月蝿い五月蝿い!!泣きたくもなるだろ!!!」



自然とこぼれた涙を無理やり払う。
そして、こんなことを言ってまで理解してくれないなまえに感情は沈静化していく。




ふと見たなまえの瞳にはきちんと俺が映っていて、

もう、今はとりあえずどうでもいいや。







そのあともうやらないと約束させたけど、どうせなまえはこれからも続けるだろう。だってなまえは自分の事しか考えてなくて、俺の事なんてこれっぽっちも思ってはいないんだから。

だから、これからもこんな不毛すぎる非生産的な関係は続くのだろう。






(せめてそれが真実なら救われるのに)










ラストの()はタイトル見ればわかります。
臨也に愛があるのは確か。



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